Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第453夜

おフランスなコミュニケーション



 大分にとりあげた、伊藤 秀志の「大きな古時計」。
 方言学習の題材として、国語の教科書に載るんだそうである。
 元歌を誰でも知っている、というのが選定理由なんだとか。

 こないだ指摘を受けたのだが、その伊藤 秀志の「御訛り」に入っている「亜麻色の髪の乙女」。
 前に、「たっぺもす」がわからない、と書いたが、ひょっとしたら、とてもここには書けないようなことを言っているのではないか、という。
 聞きなおしてみたら、確かに、一番と二番が違う。二番は「たっぺもしてける」ではなく「ばっぺもしけてくる」と言っているように聞こえる。だとすると…。

 いかん。軌道修正だ。
 伊藤 秀志の秋田弁といえば、よくフランス語に似ている、と言われるが、フランス語では数を勘定できない、などとみっともないことを言っちゃった人がいる。
 確かに、フランス語における数の数え方は、20 進法も組み合わさっているため、外国人が覚えようとすると、割と面倒くさい。
 だが、十進法に基づく読み方、数え方は必ずしも普遍的ではない、ということはちょっと調べてみるとすぐにわかる。
 我々がよく知っている (と思っている) 英語にしてからが、12 進法併用。“thirteen”“fourteen”と“eleven”“twelve”は明らかに構造が違うでしょ。*1
 日本語だって、読み方に音と訓がまじっている、ということはに書いたし、度量衡なんてグチャグチャである*2。1、2、3、って数え方を知ってても、生活に困るわけ。

 そういう数え方のせいでフランス語が使われなくなったんだ、と続けたようだが、ある言語がどういう場面で使われるかというのは、言語そのものよりは、それ以外の要因によって決まる。
 英語が「国際語」となったのは、英語そのものが優れた言語だからではなく、「日の沈まない国」となった大英帝国と、超大国であるアメリカの存在によるものである。その版図と影響力の拡大によって使用者が増え、それが英語に影響を与えていく。それはすなわち簡略化であり、それによって学習が容易になり、学習者が更に増えて行く、という相乗効果があることは事実だが。
 バブルの頃に、海外での日本語学習熱が高まったことがあるが、それは日本語を使えると金になるからである。日本語そのものの特質とはほとんど関係ない。井上 史雄氏の『日本語の値段』に記述があるように、英語のネイティブにとってアラビア語と並んで習得が難しいとされているくらいだから、それが関係あるのだとすれば、日本語学習者なんてそう簡単には増えないはずである。

 教科書に話を戻すか。
 学校で方言を学習することの意義、ってどの辺に置かれているのだろう。
 まずは、自分の産まれた、あるいは今、住んでいる地域のことを知る、というあたりか。
 そういうのは、社会科なんかでもあったはずだが、地域の歴史とか産業の状態なんてのは調べないとわからないのに対して、方言はちゃんと周囲、特に大人たちの会話を聞いていれば、特に意図しなくても耳に入るはずだ。
 が、そうではない、というのが実態。なんせほんの数十年前まで、一生懸命に撲滅運動を展開していたわけだから。容易に教育材料にできる時代には抑圧対象であり、学習対象となったときには衰退しているという皮肉。あるいは順番が逆で、滅亡しそうだから慌てて教科書で取り上げてる、というほうが近いのかもしれん。学校での教育がきっかけで復興した方言って聞いたことないしなぁ。
 こういう形態で触れる方言って、成立に地域的な説明のつく表現に偏っているんじゃないかと想像するんだがどうだろう。
 俺も何度も取り上げてきたが、例えば「北国では、雪を表現する言葉が山ほどあって、それぞれが使い分けられています、それに対して、南国では『雪』以外の単語が使われることはほとんどありません」みたいな、半ば、社会科と結びついているような話。
「さむい」が「さび」になるような、なんで? と聞かれても説明のしようがない現象ってスキップされたりしてない?

 もう一つ、あちこちで違うんだよ、ということを理解させることも目的としていただきたい。今の社会は、他者に思いを致すことのできる社会ではなくなっているようなので。
 上に書いた、11、12 と 13 以降の形の違いは、さして問題にならない、と考える人は少なくないと思うが、それは、その人がその違いを把握しているからである*3。自分の状態を普遍的な基準にして、そうではない人がいる、ということに思いが至らない場合に軋轢が生じる。そこまで考えられる人間にする、ということを学校に期待するのは無理だろうか。

 旧フランス植民地では、70 を 3×20+10 って表現するんじゃなくて、70 に相当する単語を作り出している、とかいう発言もあったようだが、それが日本語で起こったら、正しい日本語教信者の皆さんは、どういう反応をするだろうか。
 少なくとも、例の御仁がそれにプラスの評価をするとはとても思えないのだが。




*1
“teenage”は、厳密には「十代」ではなく、13 歳から 19 歳までを指す。 (
)


*2
 時代によって違うなんてのは勿論、「匁」「貫」みたいに、単位として複数の意味を持っているため、何を計ってるのかがわかってないとどうしようもない、というものすらある。(
)


*3
 序数になるとまた面倒くさい。“first”“second”“third”まで来て、次からやっと“fourth”“fifth”と“-th”の形になる。
「11 番目」は“eleventh”だが、「21 番目」は“twenty-first”である。
 この辺、“3th”とかでちょっとググってみると、かなりの人が間違っていることがわかる。 (
)





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