1 月の末に、桂 文治が他界した。
訃報を見てたら、「歯切れのいい」と紹介されていることが多かったのだが、そういう印象はあんまり持ってないんだなぁ。あるサイトで、「年寄りが愚痴ってる感じ」と評している人がいたが、それが割と俺のイメージに近い。
去年の暮れから、『
サライ』誌に「今日から使える 粋な『ことのは』」という連載をしていた。江戸弁について一言ある人だった。
言葉のプロだから当然、というのは嘘で、最近は、アナウンサーや物書き、政治家など、言葉で食ってるはずの人がいい加減な (間違った、というのとは違うので注意) 言葉づかいをしている。残念ながら、桂 文治の場合が特殊、ということになってしまう。
第 1 回は「ありがとうございました」ではじまる。
これは、「ありがとうございます」ではないのか、という形で色々なところで話題になる。恩恵を施して貰った、という事実が過去のものである、というところに立脚すると「ました」になるわけだが、文治の言葉を借りれば「(商人は) 過去形にして、客との縁を切るのを嫌う」わけで、商店などで言われて違和感を覚えるというのは自然な感覚かもしれない。
商売の関係ではなく、助けてもらった、というような場合は、それが常態ということはあまりないだろうし、「ご迷惑をおかけしました」との対応で、「ありがとうございました」になるのかなぁ。
第 2 回は「向こう」。
「向こうの空き地に囲いが出来たってねぇ」「へぇ」では、「向かい」ではなく「
向こう」でなければならないらしい。
『大辞泉 (増補・新装版、1998、
小学館)』によれば「向こう」は
微妙に違う。離れているかどうか、である。
俺の語感では、「向こう」には距離感がある。通りを隔てて反対側、は「向かい」である。それを「向こう」と言うのは、人が間違って尋ねてきた、ケンカで責任のなすりあいをしているなどで、「こっちじゃない」ということを強調したいときである。
が、文治が挙げている「向島
(むこうじま)」「向こう三軒両隣」、あるいは相撲の「向こう正面」など、江戸弁としては「
向こう」であるらしい。
最後に出てくる人のことを「トリ」と言うが、これは「給金を余分に取る人」から来た、落語界の隠語だそうである。つまり、人前で使ったり、ましてや、トリを取る人に面と向かっていっていい言葉ではない、ということになる。すると、「トリを飾る」なんて言語道断か?
飲食店で勘定をする際の「おあいそ」も、本来は、店のほうから、「大したものも出せず、愛想もつきているかもしれませんが」と会計をお願いするときに言う言葉から来ている。客が使っていい言葉ではない。これは「正しい日本語」の人たちが口にすることが多いから、知っている人もいるかもしれないが。
第 3 回は、八っぁん、熊さんの言葉づかい。
文治曰く、彼らは修業を経て職人になったのであり、無知ではあるが、馬鹿ではない。したがって、常に乱暴な言葉づかいをしているわけではない。
だが、そうやって演じないと、聞く方が「江戸」を実感できなくなっている、ということは言えるのではないか。
急に話が特撮にふれるが、今、衛星の
東映チャンネルで「超新星フラッシュマン」をやっている。1986 年の作品だが、敵方の幹部を清水 絋治氏が演じている。
*1
この演技がすごい。
最終回の鬼気迫る演技がすごい、というのは当時でもわかったんだが、第一話も、台詞の一つ一つがすごいんである。そういう細かなところを感じとるには、見る方でもある程度の蓄積がないとだめなんだなぁ、と思った次第。
話を文治に戻す。
「甥っこ」「姪っこ」という言い方を嫌うらしい。それは「
鍋っこ」「
しがっこ (氷)」など、東北弁の影響だ、という。
「甥」「姪」の方がすっきり聞こえる、とのことだが、この「子」はひょっとしたら、「可愛いくてしょうがない」という気持ちの表れかもしれない、と思う。あるいは、見下している、という感覚かもしれないが。
飛んで第 6 回。
「色物」。
びっくりしたのでそのまま引用する。