Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第431夜

60 : 80



 俺って童顔らしい。
 焦点のはっきりしない顔だ、という認識はあるのだが、そういう言い方があるとは思わなかった。
 最近、新しく知り合った人に年相応に見られないことが多く、まぁ向こうは付き合いが浅いという遠慮もあって割り引いて言っているのかもしれないが、頭の白髪を見せないと納得してもらえないことがままある。
 だからって得をしたことはない。

「年を取る」という意味の俚言を探してみた。
 秋田では「としょる」という。勿論、「年」が「寄る」わけだが。「ょ」と拗音化する。
 大辞林で調べてみると、「いく」「くう」「足 (た) る」「とる」「ひろう」と実に多彩である。「年を取った状態」のことを「年高し」と言うそうな。
 で、俚言形なんだが、ほとんど見つからなかった。
 というのは、まず、大方が単に同じページに「年を取る」と「方言」が同居しているだけのページだ、ということがあるが、方言使用者が老人層に傾いている、ということについて言及しているページも多い。
 結局、途中で断念したので、広島の「いらう」という表現しか拾えなかった。これは「拾う」か。一例だけだったのでリンクしない。「いらう」自体は、関西では「いじる」というような意味である。
「年を取る」については諦めざるを得なかったものの、エッセイとしてはよさげなものが並んでいるっぽい。*1 きっと、加齢ということについて考えてみる人の文章だからだと思う。

 それにしても、「年を取る」ということの表現ってマイナス イメージのものばっかりだ。「くう」なんてのは勿論そうだし、一見、ニュートラルな「年を取る」だって、利用場面を想像するとマイナスっぽい。「重ねる」あたりはよさげな感じだが、「馬齢」になるとやっぱりマイナス。尤も、マイナスのニュアンスを持っているのは「馬齢」の方だが。
 に、植物の名前に「イヌ」とつくのは、まがい物を現すことが多い、ということを紹介したが、ミツバに似た、食用でない草を「ウマノミツバ」と呼ぶ。それにしても馬に失礼な表現だ。

 逆に、若いことを否定する表現もある。「青二才」とかああいう奴。
 静岡方面の「みるい」が、未成熟なことを指し、お茶の葉っぱについては公式表現であることはに紹介した。

 これは「青い」わけだが、「ブルー」というとまた意味が違う。この辺、日本語の器用なところである。
 さて、英語ではなんて言うでしょう。
“green”である。まぁ、わかると言えばわかる。場合によっては、「嫉妬にかられている」という意味にもなるので要注意。“yellow”も、「臆病な」のほか「嫉妬深い」になることがある。「くちばしが黄色い」と言えば、青二才のことだが。
“red”が怒っている様子、というのもわかりやすいが、では、“lemon”は。
 これは、お間抜け様ということ。なんだかさわやかそうだが、誉められてないので、こっちも注意されたい。

 鹿児島では、若者のことを「にせ」という。「青二才」が元らしいが、この場合は、悪い意味とは限らない。誉めるときに「よか にせじゃ」などとも言える。
「青二才」そのものについては、大辞林が魚の色で説明する仮説を挙げているが、蒙古斑に関連づける説もある。

 成人式が荒れると話題になることがあるが、成人年齢をもっと上げたら、という人もいる。
 人生が 60 年だった時代の基準で 20 歳としたのであり、いまや人生 80 年、それ相応に計算し直しが必要であろう、というもの。山根一眞がそういう定規をつくったりしている。
 それについては確かにそうかもしれない、と思いつつ、大人達に問う。
 その式に従えば、昔の 20 歳は今の 27 歳に相当することになるが、同時に、今の 60 歳は昔の 45 歳に相当する。
 60 歳のあなたは、自分が 45 歳レベルだと言われて、はい私という人間はそんなもんです、と答えられるか。





*1
  若者風の言葉遣いは、自信なさそうな表現をするのにぴったりだ。 (
)





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