Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第211夜

ふるさと日本のことば (11) −福島、兵庫、静岡−



福島県−見てくんなんしょ (11/19)−

 まずは、ゲストの発言に注目したい。
 国井アナに、福島の言葉を使うことはあるか、と聞かれた田部井氏曰く「使いますよ。『んだべーとがって」。
 ポイントは「とがって」である。
 前が「んだべー」だから、言語系が福島弁に切り替わっている。それをひきずったのだと思われる。
 そういうことがあるから、よその土地に行ったときなど、「○○弁でしゃべってみてよ」、と言われても難しかったりする。発話全体が○○弁になってしまうのを抑えつつしゃべる、というのはちょっと大変である。

 無アクセント地帯ということで、街頭で女子高生を捕まえて発音させてみる。
 福井とやってることが同じである。「箸」と「橋」と単語も一緒。なんなんだか。
 「柿」を「かじ」という人もいる、ということでやっとオリジナリティが出てくる。ズーズー弁特有の事情として、「土」と「乳」が衝突する、というのも興味深いが、俺としては第一印象が悪すぎる。
 「鎌」と衝突する「釜」を「はがま」というそうだが、これは「羽釜」だろう。「ご飯+釜」の連想、というのはいわゆる「民間語源」ではないか。そうは言っていなかったが。
 この話をしているとき、福島放送局のアナウンサーのアクセントが混乱しているのが面白かった。

 会津若松の駄菓子屋が紹介される。
 敬語やもてなしの言葉、という視点で紹介されることは多いが、そういう場合に商店を取り上げるのはどうかと思う。待遇表現の最前線だから、典型例と言うことはできるが、一般的な形ではない、と言うこともできる。
 このおばちゃんは元気でいいんだけどな。

 いわき市で「よもぎ」のことを「餅草」と読んでいたので、へぇぇ面白れぇと思ったのだが、「よもぎ」の語源は? と思って大辞林を引いたら、あっさり「餅に搗(つ)き込んで草餅とするので餅草ともいう」と書いてあった。
 「きびちょ」を使ったおばさんたちが笑っていた。ということは、これはもう消える寸前のところまで来ているのだろうか。

 これまた女子高生だが、相馬の方言をとりあげたビデオを作ったという放送部の人たち。
 彼女の言葉で印象に残ったのは、方言を使うと「親密な人には必ず伝わる」という言葉。
 つまり、地域をつないでいるものなのだ、ということなのだが。これ、ポイントなんじゃないかなぁ。

 三春の農家。
 全く言葉の話じゃないが、相当昔にタバコからピーマンに切り替えたという。タバコの葉は専売公社が確実に買い上げるものだと思っていたのだが、なぜやめたのだろう。
 ピーマン音頭で踊る様子を見ながら、ビートたけしが大喜びしそうだな、と思った。

登山家 田部井 淳子
小学校教諭 小林 初男
福島放送局 大蔵 哲士


兵庫県−見たっとーな (11/26)−

 これも福島の回で指摘したのと同じことなのだが、言葉に男女差が無い、という実例として、荒っぽい祭りやボクシング会場での観客を挙げるのは、例としては不適切ではないか。

 ゲストとして小説家が出てくることは多い。
 必ず、作品中で使うか、というようなことが聞かれるわけだが、玉岡氏は、標準語を使うとリアリティに欠ける、というようなことを言っていた。足が地についた感じがしない、ということだろうか。なるほど。
 この人って、割と上品な感じがする人だな。

 実に象徴的なのが、兵庫の言葉というと関西弁と思ってしまう、という表現。
「関西」ってのはどこのことか、という話である。「近畿」とは違うのか?
 最近、地域名というのは無味乾燥なものだなぁ、と思う。東北、関東、中部、北陸、東海、関西、近畿、中国。どこにあるか、ばっかり。四国と九州が、辛うじて地域的な特色と言えるか。北海道って異質だな。
 神戸の人間は、自分の言葉と例えば大阪の言葉を比べてどう思っているか、という質問で、「(大阪で) 自分は普通にしゃべっとうつもりでも、神戸の人間だという事がわかってしまう」というようなことを言っている。
 こういうところで、「とう」という、神戸に特有の表現が出てくる、というのは実に愛すべき現象だと思うのだが。

 加西市の元気なおばあちゃん。90 歳で現役の保険外交員、しかも 33 年間営業成績日本一、というから恐れ入ってしまう。
 この人のしゃべり方って、「そんなことはない」「往生しまっせ」の大木こだまに似てませんでしたか。

 兵庫県は、古くは播磨、但馬、丹波、摂津、淡路と 5 つの国であった。よく考えてみると、すんごい無茶な組み合わせ。南北に 150km、但馬では東京式アクセント、淡路では京阪式アクセントだというからすさまじい話である。
 共存しながらも互いに妥協しない、「野菜サラダのような県」なんだそうである。

 俺の記憶では、彼岸花は、日常的な花でもない割に、全国的にかなりバリエーションが豊富な花であったと思う。
 玉岡氏の地域では、臭くて手が腐ったようだ、ということで「てくさりばな」と呼んでいたそうだが、真っ赤なところから「かじばな (火事花)」と呼ぶところもあるんだそうな。
 「曼珠沙華」というのもあったな。山口百恵の歌だけど。

 「雨がピリピリ降る (降り始めの、人によっては気づかないような雨 : 丹後)」「川がもえる (増水する : 加古川流域だけの表現)」あたりも面白かった。山が燃えるのは石川さゆり。

 最後のほうで、「癒しのことばが多い」ということでエピソードが紹介されていたが、「べっちょないかー」だけだった。多くないじゃないか。
 番組とは関係ないけど、この「癒し」って現象、早くなくならないかね。すごく胡散臭くて嫌なんだけど。


作家 玉岡 かおる
甲南大学 都染 直也
神戸放送局 田村 泰崇


静岡県−見てごー (12/3)−

 富士は日本一の山。
 静岡の人は当然、自分達の山だと思っているだろうが、山梨の人はどう?

 言語の変化はアナログなものだ、ということなのだろうが、俺には神奈川の愛知の両方の特徴を持っている、というふうにしか聞こえなかった。
 「にゃー」ではなく「ねゃー」なんである、というのも一緒だし。

 静岡は、伊豆、駿河、遠江の 3 つの国。
 伊豆の温泉に使っているおばちゃんたちの会話が例によって、実も蓋も無い感じでいいのだが、下仁田のネギのにゃー (苗) を貰ったんで植えてみたが、かわぇぁーそーで (可愛そうで) 食べられなかったそうである。普段、どんなのを食ってるんだろう。

 静岡市の有東木 (うどき) のことが紹介されていた。地図で見たが、ほとんど県境。静岡市ってでかいのねぇ。仙台市みたい。
 山に囲まれた地域で、古い言語現象が数多く残っているところなんだそうである。
 周囲との交流が難しい場所でこういうことが見られるのは良くあることだが、それにしても先生、「袋小路」って言葉を連発するのはどうかと思うが。
 100 歳 (!) のおばぁちゃんと息子さんの使っている言葉が既にして違っているのは興味深かった (男女差かもしれないが)。

みるい」という形容詞は中々面白かった。若い、未熟である、ということらしい。
 お茶の新芽はみるいが、熟れてないキウイはみるくないんだそうな。小さい子供はみるい (本人は「僕、みるくないよ」と反論していたが) し、大人でも手にマメを作っているようではみるいといわれてしまう (鍛えてあればマメなんぞできるわけがない) 。
 で、お茶の新芽を「みる芽」というのだが、これは既に全国共通語で、お茶に関する辞典なんかにも掲載されているそうな。

 途中で、食器の音しなかったか?
 お茶を出したときの道具かと思うが、ちゃんとせぇよ。

 冨士氏の残したい言葉が「そらつかい」だそうである。「とぼける」とかいう意味だそうだが、哲学的な、表現としては高等なテクニックなので、ということらしい。
 で、競馬でも使われるという話なので、こないだ楽天市場に買収されたばっかりの Infoseek に「そらを使う」ぶちこんでみたら、12 件ヒットした中で 3 件が競馬関係のサイトだった。馬がそらを使うらしい。高校生や大学生がテストの日に「いやー全然、勉強してないんだよー」と言ったりするあれか。

女優 冨士 眞奈美
民俗学 中村 羊一郎
静岡放送局 小川 浩司





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