Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第408夜

大阪弁は元気か?




日本語学』誌の 9 月号が、「大阪弁はなぜ元気か」という特集をやっている。
 読んでみたところ、大阪弁の元気は見えてこなかったのだが…。

 まずは中井 精一氏の「お笑いのことばと大阪弁」。
 吉本芸人の大阪弁が本流の大阪弁ではない、ということは前から言われている。西川きよしは高知、島田 紳介が京都、明石家さんまが奈良、ダウンタウンは二人とも兵庫である。*1
 中井氏は、こうした大阪弁を、語尾や助動詞などに大阪弁的特徴を持ったものに置き換えた、簡略化された大阪弁、としている。
 にも書いたが、松竹酒井くにお・とおるは岩手県出身。東日本から、漫才をするために大阪へ行った若者が、大阪弁を訓練されている様子を、「ふるさと日本のことば」で大阪が取り上げられたときに紹介していた。
 つまり、大阪出身でない人間が、全国に向けて使う大阪弁が、彼らの大阪弁だ、ということである。
 桂 枝雀の落語の一部が採録されているが、この大阪弁は、漫才で耳にする大阪弁とはかなり違っている。
 大阪といえばお笑い、町中が漫才している、と言われるようになったのは 80 年代後半以降である。NHK大阪放送局が製作した朝のドラマの一覧があげられているが、確かに、その頃までのドラマはホロっと泣かせるようなものが多いような気がする (全部を見たわけではないが)。「てるてる家族」は、泣かせるエピソードもあったが、全体としてコミカルな話であったのに対して、何かと話題の若村麻由美の「はっさい先生」あたりは、そういうイメージからはちょっと遠い。
 さらにそれ以前の大阪は「どてらい男」「あかんたれ」などの「浪花ど根性」の「サクセス ストーリー」であった。これが、ともすれば軽妙なだけのお笑いイメージになってしまったのは、「大阪が没落」し「成功する人がいなくなった」からだ、とする意見は興味深い。
 このあたりについては前の「役割語の手抜き」で取り上げた『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』でも触れられている。

 渋谷 勝巳氏の「大阪人は大阪弁をどう思っているか」は、「大阪弁」という語のあやうさを改めて思い出させてくれる。
 つまり、大阪弁を自分の方言として語るときと、東京弁との比較で語るときとで全く違うものになる、ということだ。これは、大阪に限らず、すべての方言で言えることである。
 たとえば、東京弁と大阪弁を比較すれば、前者が固く、後者が柔らかい、ということになるが、大阪弁と京都弁とでは、京都弁の方がはるかに柔らかいことになる。逆に、大阪弁は荒っぽいというようなイメージについては、河内言葉は荒っぽいが、船場は上品だ、というようなことも言える。
 つまり、そういうのはすべて相対的なものだ、ということである。方言ナショナリズムな人は、方言には温かみがあって云々と判で押したように言うが、それは、東京弁という「外国語」と比較したり、どちらかと言えばツールである「全国共通語」と比較するからである。
 それは大阪についても言えることで、特に、東京の対比で話をするとき、知らないうちに「大阪弁」という語が京都や兵庫の言葉を含んでしまっていることがある、ということには注意したい。

 小矢野 哲夫氏の「大阪的談話の特徴−ボケとツッコミ−*2」や舟橋 秀晃氏の「大阪の教師の話術」では、大阪弁で行われる会話がなぜ漫才になるのか、について触れられているが、今イチすっきりしない。明快な答を期待する方が間違っているのかもしれないが。
 これにはよく、大阪が商都であったから、という説明がなされる。また、京都弁がもってまわった言い方を得意とするのは、そこが首都という権謀術数の都会で、うかつに本心を吐露するとろくなことにならなかったから、という説明がされることがある。
 だが、それは東京も同じである。だが、東京弁での会話は漫才にはならないし、もってまわった言い方もしない。
 これは思いつきだが、江戸ないし東京が、人為的に作られた街だからなのではないか。大阪という町が発生、反映したのは川と平地と海という交通事情によるところが大きい。だが、江戸はそうではない。もともと低湿地でどうしようもないところを切り開いた町である*3。それが短期間で人口百万の大都市になった*4。そこには、大阪や京都のような事情が作用する余裕はなかったのではないか。
 もちろん、大阪弁イコール漫才、東京はスタイリッシュというのが、たぶんにイメージの産物である、ということは言うまでもない。

 中井 幸比古氏の「大阪弁と京都弁」は、江戸時代の狂歌から、大阪と京都がお互いをどう見ていたか、ということが紹介されており、読んでいて楽しい。
 ここでも、大阪弁と京都弁の違いが小さくなっていること、特に若者は自分の言葉を「関西弁」と捉えていること、外部からは、全く違うもののようにイメージされていることが紹介されている。

 地域を語る上で、歴史と、内部と外部の人間それぞれが持つイメージは非常に重要な意味を持つ、ということである。
 プロ野球の合併だのなんだののコップの中の嵐*5に関連して、東北にプロ野球チームを、という声が聞こえてくる。東北から日本のプロ野球を変えるんだ! という論調だが、これも、東北は虐げられてきたところだ、というイメージによるところが大きい。
 だが、そういう声が出てきたのは、ライブドア楽天が仙台をフランチャイズにする、と発言してからのことである。
 1 チーム減った時点でそういう声をあげたわけではない、というところが、どうにもやっぱり「道の奥」という感じがする。




*1
 文中、「大木こだま:大阪府吹田市:滋賀県」とあるが、これはひょっとして ひびき が滋賀県ということか。脱字なんかしてもろたら往生しまっせ。(
)

*2
 正しい日本語信者の人は、この「ツッコミ」というカタカナ表記に引っかかるかもしれない。この場合、この「ツッコミ」は「ボケ」に対する語、漫才的な意味だけを表している。「政治家の答弁の矛盾点を突っ込む」のとは意味が違うわけである。「ケータイ」が「携帯ラジオ」も「携帯灰皿」も意味せず、しかも「携帯電話」とはシステムが異なる“PHS”をも包含するのと同じである。ここは日本語の豊かな表記方法に感謝するべきであろう。
 ところで、正しい日本語としては「カタカナ」は NG か? 「片仮名」でなければならないのだろうか。(
)

*3
 渋谷などはほんの百年前 (つまり江戸時代ではなく明治) までは本当に湿地だった。(
)

*4
 世界で最初の百万都市は江戸である。(
)

*5
 ファンには申し訳ないが、俺にはそうとしか見えない。心情的にはわかるが、観客は減少、視聴率は低下、選手は流出、赤字は増える一方、というこの現実をどうするつもりなんだろう。古田は色々と考えていそうだが、ファンの人は?
 この騒ぎの、言語的な影響として顕著なのは、“
NPB”という名称を定着させたことであろう。ニュースで、なんの注釈もなしにこの語を使ったのを聞いたときは驚いた。*6
 そういえば、この問題は大阪の球団と神戸の球団の合併が発端、震源地は関西だった。()

*6
 調べたらなんかややこしい。
 
npb.or.jp は、「日本野球機構」のオフィシャルサイトで、この機構の英語名称は“The Professional Baseball Organization of Japan”らしい。
 だが、“NPB”というのは、「日本プロフェッショナル野球組織 (Nippon Professional Baseball)」の略称。選手会と交渉したのはこっちである。どないやねん。()





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