Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第409夜

空港にて



 ここのところ出張が込んでいる。
 と言ったって週に 1 回ペースなのだが、俺はエグゼクティブでも営業マンでもなく一介のプログラマーであり、そもそも出張すること自体が異例なのである。記録を調べたら、最後の出張は一昨年の秋だった。2 年とちょっと。おかげで出張申請の書き方を忘れてしまっている。出張の日当が変わってたとは知らなかった。

 出張先は神奈川なのだが、大企業であり、そもそもそこは首都圏なのだから、向こう側の担当者が関西イントネーションであっても特に驚かない。ただ、そこの会社と一緒にやった昔のプロジェクトでは、関西出身の責任者のせいで痛い目に会っているので、あんまりいい印象はない。こういうのを偏見という。

「偏見」は、英語では“prejudice”である。“pre (前)”の“judge”であるが、直訳するなら「偏見」というよりは「予断」という方が近い。

 俺の方は、すっかり秋田弁者になってしまっているなぁ、と思う。
 アクセントが秋田なのだ。しかも、県外者と話しているときに、それを標準語風にしようとしない。
 通じるからいい、という側面はある。
 アクセントが語の弁別に果たす役割は小さい。無アクセントの方言が存在することが何よりの証拠。同じ例を引き合いに出して恐縮だが、「雨」と「飴」をアクセントだけで聞き分けなければならないケース、というのはほとんどない。飴が降ってくるのは上棟式の時くらいだろう。
 それに、これは出張だから、向こうは俺が秋田の田舎者であることを知っている。改めて隠す必要はない。初対面のときなんかは、「話題」というコミュニケーション ツールとして役に立つ場合もある。

 その現象を自覚したのは、「これ、黒ですよねぇ」という発話で「黒」という語を口にしたときである。
 前にも書いたが、秋田弁では「ロ」の方が高い。標準語の「風呂」「魚 (うお)」に近い。
 その結果、「これ、クロですよねぇ」という文全体のイントネーションもかすかに変わる。「です」の高さが違ってくるのだ。
標準語
秋田
 というような感じ。

 まぁ、さすがに「こい、黒だすべ」などとは言わない。形まで変わってしまうと、さすがにコミュニケーションに支障を来たす。
 向こうがこちらを見下す可能性も出てくる。尤も、大企業の常で、初めから田舎の中小企業の社員なんか見下しているのはわかるのだが。こちらからの質問に対して、「それ何に使うんですか」と逆に質問してくる、しかも回答しないというのは、不躾窮まりないと思うのだがどうか。

「回答」と「解答」も誤変換の多い語である。俺もきっとやっているに違いない。
 ただ、意味の違いを分かってない人もいるようだ。アンケートに対しては「回答」する。「解答」は、クイズに対する答えなど、「解いた」ものである。

 泊まったホテルは駅ビルにある。深夜に仕事を終えて、最終に近いバスで戻ってくるともうそこはホテル。飯を食って風呂入ってメールチェックして、ってあれこれやったのに、向こうの会社を出て 2 時間後には眠っていた。
 時々なんか妙な街宣車が来るなぁ、と思っていたら、駅のアナウンスだった。最終電車までやって、始発からやっている。時間的に街宣車のはずがない。
 録音ではなく、車掌や駅員がアナウンスをする際、「ドア、閉まります」を
 のように発音することが多いような気がする。標準的なアクセントでは「ド」の方が高いはずだ。「ア」の方が高いと、俺の「黒」のようになんだか秋田弁っぽくなってしまう。
 あれはどっから来たんだろう。「ア」の後に間が開くことがおおいが、それと併せてストレス (強勢) を置いたのか、それとも「扉」にひきずられたのか。

 次第に方言から離れる。地元民の会話に耳を傾ける余裕もなかったし、方言的な特徴を拾えなかったから。
 あれ、と思ったときにはすでに定着していた「〜してもらっていいですか」。俺が作業している隣で何度も口にする奴がいた。
 相手になにかをしてもらうときの依頼の表現である。率直に言って違和感はあるが、「〜していただけますか」と、構造的にはそう変わらない。だめなのか? と問われると答えに窮するような気がする。そもそも俺、この段落で「してもらうときの表現」なんて書いてるし。
 この形そのものは前からある。ただし、以前は、もう一人の人間が関与する場合に使っていたのではないか。例えば、会社に残っている人から情報を得たい、だが、俺はメールを受信する手段を持っていない、という場合、会社の人間に対して「出張先のお客さん『にメール取ってもらっていいですか』」なんて言える。これが二人の関係で使われるようになった、ということか。いかがですか、正しい日本語教信者の皆さん。

 空港に行くとルールを守らない人間が如何に多いか、ということがわかる。両手いっぱいの荷物を持ち込もうとする奴、出発時間までにゲートに来ない奴、自分がチケットを紛失したのを係員のせいにする奴。
 そういう連中を笑顔で相手する関係各位には頭が下がる。




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