地域の話ではあるが、方言分野には到達しない、ということを初めに書いておく。合併による新自治体の名称のことだ。
能代山本市町村合併協議会が、「
白神市」という名称にすることを決定したところ、
青森の NPO からクレームがついた。白神は秋田だけのものではない、この新市は白神の世界遺産地域に接していないから白神市という名前はおかしい、と言う。この名前には、地元からも反対の意見がある。
一方、岩手の
西根町・松尾村・安代町合併協議会では、
八幡平市という名称を採択した。これには逆に、秋田側から不快感が表明されている。八幡平は岩手だけのものではない、と言う。
地名というのはそんなに大事なものだったのか、と驚く。住居表示は何度も行われてるが、これほどの騒ぎになったことってなかったじゃん。何を今更、という感触はぬぐえない。
地名がそこに暮らす人のアイデンティティに関わる、認められん、というのなら、そもそも合併を選択してはならなかったのではないのか。
クレームをつける方もつける方である。協議会だって、朝に候補を公表して昼前に決めてしまったわけでもあるまいし、「白神市」「八幡平市」が挙げられた時点で「おいおい」と言うべきだった。
『
住所と地名の大研究 (新潮社、今尾恵介)』という本を読んだ。面白い。
住所と地番とは別のものである、町名変更作業そのもののことを「住居表示」というのだ、などなど、聞いてびっくり、という話は色々とある。前者は、土地を持っている人なら当然、知っているのかもしれないが。
「町」や「村」の読み方で、西日本に「ちょう」「そん」が多い、という傾向がある、ということはよく知られていることであろうか。理由は不明なんだそうである。
筆者は、役人の机上の理屈、というような表現を何度か使っている。
住民同士のつながり、ということを考えたとき、「向こう三軒両隣」という言葉があるくらいで、通りを挟んでお互いに玄関を見せている範囲の関係は深いものであろう、ということは容易に想像できる。
だが、現在では、その通りの真中を境界が走っている。目の前に見えているのに、別のご町内なのである。
もともと日本では、道によってできる区画の内部に境界があったという。家が並んでいると、その背中が境界だった。そこに西洋風の割り方を持ち込んだわけだ。どちらにもメリット・デメリットはあるが、いずれ、それによってご近所関係が変化する、ということは言える。決める方ははたしてそこまで考えていたのかどうか。
また、住居表示の効能として、事務の簡素化、ということが挙げられるが、実態としては二つのルールの並存である。作業量はむしろ増える。
定着するまでの間だけだ、という反論はあるだろうが、現実に、住居表示が完了して数十年経っても前の住所で手紙が送られてくることはあるらしい。
それは、自分が、ほかの自治体の住居表示の事をどれくらい知っているか、ということを想像すればわかる。ほとんど知らないはずだ。相手から、変わったよ、という通知を受け取らない限り、手元の住所録を直したりはするまい。
年賀状、という手段はある。だが、それは友人関係、多くは個人宛てだろう。会社、例えば、十数年前に入ってそのままにしてある生命保険の通知、とか。それに、変わったよ、という通知を出すだろうか。
*1
古い区割りが残っている地域はいい。たとえば、お祭りなどは、古い区割りのままでチームを組むことが多い。それであれば、「鉄砲町というのは、今の大町六丁目だ」というようなことを知っている人はいる。
「いるならいいじゃん」と言ってはならない。これは、そういう人を確保しておかなければならない、ということなのである。
*2
念のために書いておくが、この本の筆者は住居表示を否定してはいない。入り組んだ名称のおかげで、住所だけではたどりつけない、という問題は解決しなければならない。だが、町の実情を無視して「本町 1 丁目」と区分して、しかも新しくできた 1 丁目が非常に広くて、やっぱり簡単にはたどりつけない、というのも現実にある。そこはもっと考えようよ、と言っている。
合併自治体の名称については、同じような点が引っかかっている。
能代山本市町村合併協議会も
西根町・松尾村・安代町合併協議会も、正しい手続きで決めたのだから、
よそからとやかく言われる筋合いはない、という姿勢をとっている。
そういうものか?
そのルールは自分達で決めたのであろう。決まった方式があるわけではない。言えば、勝手に決めたことだ。外部の意見を排除する根拠にはなりえない。それとも、ほかの地域とは絶縁して、自分のところだけで生きていけるつもりなんだろうか。
*3
これは政治家や役人の言うことだから、あぁまた始まったね、自分はエラいと思ってるんだねぇ、と考えることはできる。
ところが、市民の方も、
広く知られている地名をとるべきである、などと言う。
知られていない地名は消えてもよい。こういうことを平気で口にする神経には寒気を感じる。
能代は、由緒ある名前である。それはそうだろう。では、ほかの名称には由緒がないのか。そもそも由緒とは何だ。
生まれ育った町が、名前だけでなく枠組ごと、経済と効率の前に押しつぶされようとしている、というもっと悲しい現実から目を背けてはいないか。合併する者同士が角つきあわせている場合ではあるまい。
あるいは、だからこそ金と数だけで進めるべきだ、と考えているということだろうか。であれば、多くの自治体が、観光を念頭において名称を選定しているのも説明がつく。だが、名前で観光客が来る、と思っているのなら、それは机上の空論ですらない。「大江戸線の新宿駅の所在地は新宿区ではない。○か×か」みたいなクイズになるのが関の山だ。
*4
岐阜県
上宝村で、合併によって新しくできる中学校を「北アルプス中学」としようとしたところ、在校生から猛反対をくらった。「アル中」と呼ばれるのは目に見えているからである。そこに思い至らないような鈍感な人たちが、愛郷心という繊細な問題に関わるから、あちこちでもめるのではないか。
都会で、最も田舎者を馬鹿にするのは、ネイティブの都会人ではなく、先に転入している先輩の田舎者である、という。
秋田弁話者は津軽弁を、津軽弁話者は南部弁話者を、「何を言ってるのかわからん。なんだあいつらは」というようにケチをつけることがある。そしてどちらも、東京から「何を言ってるのかわからん」と言われる。
同じことだ。
自治体名は、一部の例外を除けば国内で唯一のものである。「秋田県秋田市」という階層的な言い方をするからって、ほかの都道府県に「秋田市」があるわけではない。だとすれば、その名前を決めるに当たっては、外に開かれた意識を持っていなければならないのではないか。
*5
深浦町・岩崎村合併協議会は、摩擦を避けるために、白神という名前を候補から外した。賢明である。
能代山本市町村合併協議会は、地域エゴの衝突に懲りて、既存自治体名は使わない、という方針を立てていた。それも立派だ。だが、最後に楽をした。その精神を、県境の向こうまで貫くべきだった。
個人的には、「米代市」がよかったと思う。
確かに、ネームバリューとしては「白神」に及ばない。
だが、すでに知られている名前に乗っかるより、街の発展と共にその地名を知らしめようという気概を抱いてスタートする方が、ずっとよかろうと思うのだが。
あるいは、大館市や鷹巣町から、米代川は能代・山本のものではない、とクレームがついただろうか。
そんなんだったら、自治体名なんか未来永劫、決まらないよな。
地域を特徴付けるような規模の川なら複数の自治体を流れるだろうし、稜線は地域を分ける線になるから、山は当然のように複数の自治体にまたがるし。
住居表示で「本町 1 丁目」に統一してしまえ、と考えたくなるのもやむをえないのか。
全国で起こっているこのゴタゴタ、実は民主主義の危機と言えるのかもしれない。
*1
もちろん、生命保険の会社の方で、全国の住居表示に関する情報を把握している、ということはあるだろう。これはあくまで例えなので、そういうことは無視する。
会社員の人は、自分のところの総務部門に、取引相手の住所がすべて正確だという自信はあるか、と聞いてみると面白いかもしれない。(↑)
*2
いや、人を確保する代わりに、対応表を壁に張っても、そういうソフトを用意してもいいのだが、いずれにしろ、それはコスト要因である。(↑)
*3
こういう言い方は嫌だが、民間企業はこういう摩擦が起きると敏感に反応する。名前についてはそうないかもしれないが、略称や通称の衝突なんてよくある話。
民間ではないが、こないだ、整理回収機構が“RCC”という略称を使わない、という方針を立てた。
“RCC”という略称は
中国放送が前から使っており (整理回収機構が“The Resolution and Collection Corporation”、中国放送が“Radio Chugoku Company”)、しかも、整理回収機構がニュースになるときは、「経営破綻」とか「倒産」とかいう話題のときで、見出しに「RCC の事業整理スキーム」なんて書かれた日にゃ、中国放送側からすればシャレにならない。
中国放送から申し入れを受けた整理回収機構の方で、“RCC”を単独では使わない、としたわけである。
実際に損害を被るのだから、また別の側面がありはするが、こういう、人の話に耳を傾ける姿勢は必要だろう。
(↑)
*4
NPO 側の、世界遺産地域に接していないからいかん、という言い分もおかしい。それは、例えば、京都の神社仏閣は世界遺産に指定されているが、その外側は京都ではない、と言うのと同じだ。
世界遺産というのは、従来の呼び方よりも優位に立つものなのか?(↑)
*5
府中市は東京と
広島にある。
『住所と地名の大研究』によれば、群馬県内には東村が 3 つある (
吾妻郡東村、
勢多郡東村、
佐波郡東村)。昔は 5 つあったそうだ。
(↑)
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