Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第323夜

あぁ読み違い



「エマージョン教育 (全教科を外国語で教えることによって、その言語の習得を図る教育方法) では、日本固有の『思いやり』を教えることはできない」と人前で言う新聞社のことは別の場所で取り上げた。

 ところで、言語が意識を規定する、という考え方がある。
 人間の意識が先ではなく、言語のほうが人間の考え方を決めてしまう、というものである。「サピア=ウォーフの仮説」と呼ばれる。ここでは詳しくは述べないので、正確なところは調べてください。
 ちと極端な例を挙げる。
 に、雪国の人と、そうでない地域の人で、雪で思い出す単語の数を調べた、という文章を紹介したことがある。当然、前者の方が多い。
 雪国では、降っているのが粉雪なのか、霙 (みぞれ) なのかは決定的な意味を持つ。後者の場合は気温が高めだと考えられるし、すでに路面が凍ってるところに粉雪が積もると非常に危険だ、ということも体でわかっている。
 一方、年に 1 回、降るかどうか、という地域では、雪が降る、ということ自体が大事件で、どんな雪であろうが交通機関に影響が出ることは間違いないので、呼び分ける必要はほとんど無い。ここでは「雪」という単語しかない、とする。
 すると、そういう地域の人は、どんなものであろうと、雪を「雪」としか認識できない、ということになってしまう。説明を聞かないとわからないし、聞いてもわからなかったりする。日本人が“L”と“R”を区別できない、というようなことが、単語の意味のレベルで起こるわけだ。

 さてこのとき、雪の降る地域で、ある単語が使われなくなってきたとする。例えば「ごっぱ」とか。
「細雪」に対する「粉雪」のように、同等の単語が残ってそれが使われるのならいいが、「ごっぱ」が使われなくなるのと並行して、その種類の雪を呼ぶ、ということ自体がなくなったとしよう。
 それはきっと、惜しまれる事態だろうと思われる。

 長々と書いてきたが、これと、「英語では思いやりは教えられない」というの、同根かな、と思ったのである。

 イギリス人がすべて人でなしなのではないとすれば、彼らも「思いやり」に相当する気持ちは持っている。たまたま、日本語の「思いやり」と完全に同一の単語を持っていないだけである。“sympathy”“consideration”“regard”などと複数の単語がある。したがって、さまざまな側面から、「思いやり」というものを教えることは可能だ。
 というのは、
ほれ、下駄 (げだ) 履いて雪道 (ゆぎみぢ) 歩げば、歯の間さ雪挟まって、なんともさいねぐ (どうしようもなく) なったりするべ。あの雪どご「ごっぱ」って言うなだ。
 と説明するのとは、同じスタンスであるように思う。

 が、「無くなる」というのと、「はじめから無い」というのとは全く違う。
ごっぱ」が無くなる、というのは、「『ごっぱ』が無くなった」ということではなく、下駄を履かなくなった、ということである。「ごっぱ」という単語が使われなくなるのは、下駄が生活の場から退場していったために生じる結果なのだ。
 それは下駄だけではなく、和服を着るという習慣がなくなる、ということでもあり、夏場の、カラコロという軽快な音が失われる、ということであり、果ては『坊ちゃん』に描かれているような世界を理解しにくくなる、ということである。
 これはおそらく「欠落」と呼ぶことができる。これは惜しむべきことであろう。
 が、雪の降らない地域では、雪のない状態で世界が完結している。「ごっぱ」という単語があろうが無かろうが全く影響がない。雪国であっても、生まれたときすでに洋服主流社会であって、そういう環境で育ったものに向かって、そこに「おめがた (お前達)、『ごっぱ』知らねなが」と言うのは間違いである。不遜と言ってもいい。

 それが甚だしい勘違いであることは、逆を考えてみるとわかる。
日本語には“hospitality”という単語が無い。「ホスピタリティ」とカタカナにしているありさまである。日本人には“hospitality”は無いのだ。
 と言われたら、その通りです、と答えるだろうか。
○○県民は、知り合いに会ったときに「まめでらすか」と安否を尋ねることをしない。○○県民には他者に対する気遣いが無いのだ。
 というのと一緒なんだが。
まめ」は「忠実」と書くが、健康である、という意味。

 尤も、その新聞社に限らず、なのだが、言葉で飯を食っている人の、言葉に対する感覚に疑問を持ってしまうことって多い。
 前に、ワープロの漢字変換について、「県議会」が変換できない、それは「県議」が単語として登録されていないからだ、というのを見たことがある。*1
「県議会」をあえて分けるなら「県/議会」である。「県議」の「会」ではない。
 だから最近は、新聞を読んでて妙な文章に出くわしたときは、俺が読み違いをしているのではないか、と考えてみるようにしている。
 今回の、読み違いだったのかなぁ。




*1
 そもそも、「県議会」が登録されていないような安物のワープロを新聞社で使うな、と思うのだがどうか。





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