Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第258夜

仙台っこ




 さて、今度は仙台である。1 年半ぶりくらいか。
 Microsoft の Certified Professional という資格があるのだが、その試験を受けてきた。秋田でも受験できないことはないのだが、平日のみなので、どうしても遠出せざるを得ない。田舎はこれだから困る。試験センターも減りやがるし。
 試験の内容については守秘義務があってどこまでしゃべっていいのか判断に迷うところだが、例えば 100 点満点で 70 点とったら合格だとすると、俺は丁度 70 点だった。それ以上でもそれ以下でもなく、ピッタリ合格ライン。これは、効率がいいと言うべきか悪いと言うべきか。

 開府 400 年って垂れ幕が淋しい仙台の駅前は、ちょっと線路との関係が斜めではあるが、縦横に区切られている。きっと覚えやすいに違いないのだが、迷った。
 俺はいつもこうなのである。初回は大丈夫なのだが、ちょっと慣れた頃に迷う。
 に、丸善で方言の本を手に入れた、と書いたが、丸善に寄った後、こっちだろう、と思って歩いていったら、覚えのない通りに出てしまった。困ったもんだ。流石に街のあちこちに地図つき案内板があって事なきを得たが。

 丸善で買ったのが「仙台っこ」というタウン誌。「タウン情報誌」ではなく「タウン誌」。
 いつものごとく話は逸れるが、この種の雑誌って“town”で定着したな。どんなに大都市でも“city”ではないあたり、なんか元があったのだろうか。東京地区では昔、“City Road”っていう「タウン情報誌」があったが、廃刊になったのと関係があるか。ないな。
 で、「仙台・街ものがたり」という連載があり、佐佐木 邦子さんという人が「水と暮らしと」という文章を書いている。
 その中に、「カバタ」「アマヤ」「コマヤ」という俚言が出てくる。
 これ、何かというと、昔の家で、小川の上に建てた台所のことなんだそうである。
「上下水道」なんて言葉もなかった時代、台所の下を川が流れていれば、水汲みに行く必要もないから、絶対的に便利だ。
 3 つの呼び方が挙げられているが、これは集落によって違うらしく、母屋との関係もバリエーションがあったそうだ。
カバタ」は「川端」だと思うのだが、「アマヤ」は「雨屋」なんだろうか。じゃ、「コマヤ」は?

 この号の特集は、「四ッ谷用水」である。部外者ゆえ、全文読んでもどこにあるものかわからないのだが、どうやら、江戸時代から仙台市内を流れている用水だったらしい。
 例によって維新期に廃止されたわけだが、それと同時に井戸水も枯れたという話は印象的である。
 なんでそうなるかというと、昔のことでコンクリートでガチガチに固めたわけではないから、水は漏れる。しかも、染み込みやすい土壌であったらしい。(→「超いずい」)
 つまり、この用水の廃止によって、仙台の水事情がガラっと変わってしまった、ということらしいのだ。

 シンクロニシティという奴か、「地方、その複雑なるモノ」という文章を読んだ。
 いつも世話になっているオンライン書店 bk1 の中にある「ブックス安藤」という店舗、その中の連載コラムである。
 詳しい話はそっちで読んで欲しいのだが、地方ってのはどうしてこう難しい問題を抱えてしまうのだろう。
 難しいなりにガンバって輝いている人はいるのだが、結局その人は、その地域とは波長が合っているのではないだろうか。そのポイントを見つけられない人が、こういったことで苦しんでしまうのだろうかなぁ。
 例えば東京のタウン誌というと「谷根千」がある。これは、ひょっとしたら「東京」ではないのではあるまいかという気がする。
 わざわざ鉤括弧つきで書いたのは、地域としての東京ではなく、異邦人の集まりとしての東京、ということなのだが、東京弁ではなく全国共通語を使って話している人たち、そういう人たちのためのメディアってぼっこり欠落しているような気がするのだがどうか。

「仙台っこ」という誌名は、勿論、仙台の人を指す言葉なんであろうと思う。これから察するに、仙台の人を指す、「薩摩おごじょ」みたいな、いかにも俚言っぽい表現はない、ということか。秋田もないけどな。
「伊達者」って別の意味だしなぁ。
道産子」ってもともとは馬のことだって知ってる人、どれくらいいますかね。
 なので、北海道出身の人と会ったとき、「お、道産子ですか」って言うのは躊躇してしまうのだが、考えすぎだろうか。




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