Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第259夜

大阪学三たび




大阪学 世相編』。
 前にも取り上げた『大阪学』『大阪学』の続編である。
 その時にも書いたが、発想が大阪に偏ってて、読む方で修正作業を余儀なくされる。
 こういう発言が俺には多いな、と思いながら書くのだが、東京で、商品を値切るときについて:
「すみません、この商品はこれ以上もう下がらないのですか?」と言っている。これでは、客と店員の間がどうもよそよそしくなってしまうのではないか。
 いや、だから、そういう言葉なんですって、東京の言葉ってのは。
「負けてよ」がよそよそしく感じられるのは「負けてよ」の地域の人ではないからだ。
 大体、耳にしたという表現は丁寧過ぎる。極端な例である。これと「ちょっと、負けてーや」とを比べるのは間違いだ。
 後の方に出てくるのだが、「迷惑駐車はアカン! みんなおこってるで」という呼びかけが「ほほえましい」と受け止められてしまうのはその裏面であろう。尤も、そう受け止めたのは大阪者ではないようだが。それで迷惑駐車が減ったっていうんならまだしも。
 これは個人的に思うのだが、客と店員がよそよそしくて何故いけないんだろう。値切れなくなるから?

 首都移転の話がある。
 東北や北関東に移ったらどう考えても偏りすぎである、というのである。
 それはそうかもしれない。俺自身も、東北なんかには来てほしくないと思う。うっとうしい。
 だが、西日本にとってはチャンスなんじゃないだろうか。
 いくらネット社会とは言え、政治を動かすのは、メールマガジンを出せば情報公開だと思うようなオールドタイプの人たちだから、人の移動は不可避だ。それにしては、例えば福島−大阪は距離がありすぎる。西日本には大幅な裁量権が与えられそうな気がするがどうか。与えられるというより、もぎとって欲しい。その中心は当然、大阪だろう。
 しかし、現都知事がお下品にも thums down で抵抗しているので首都は移転しないだろう。ゴジラでも来ない限り。

 京都では「〜してはる」の「はる」を身内に対しても使うそうだ。
 これは (も?) 聞いた話だが、必ずしも敬語ではないらしい。例えば、小学生が先生に同級生のいたずらを告げ口するとき「せんせ、○○君があんなことしてはる」と言うそうな。同級生に敬語を使ういわれはない。「はる」は一種の距離感の表明でもあるらしい。
 さて、大阪では、身内には「はる」を使わない。
 なので、京都から大阪に行き、この「はる」の用法を身に付けて京都に戻ると「言葉が悪くなった」と言われるらしい。*1
 で、その人は、自分の姉に「知らん間に声大きくならはったなぁ」と言われてしまう。
 やはり、近くの人が聞いても、大阪者の声は大きいものらしい。

 ジャストシステムの仮名漢字変換ソフト ATOK15 が、「関西弁」をサポートするんだそうである。
 面白ぇ話だとは思う。どの程度までサポートしてくれるのか楽しみである。
来 (き) いひん」「来 (け) ぇへん」はもちろんだろうが、「来 (こ) ーへん」はどうだ?
 チャットなど、話し言葉のコミュニケーションが、という以上、必須だと思うのだがな。
なにいうてんねん」と「なにゆーてんねん」はどっちだろう。会話への歩み寄りの程度によるのだろうが。
 来年発売だという。
 俺が買うかどうかは未定だ。俺はどうも、あそこの会社のソフトとは相性が悪いのである。モノの考え方が全く違うのか、操作方法がストンと胸に落ちてこないのである。

 なんで ATOK の話を持ち出したかというと、ATOK がサポートするのが、大阪、京都、神戸という「関西」だからである。おそらく、奈良や滋賀は入っていない。
 それと同じことが、この筆者の言う「大阪」に感じられる。
 前作で、宝塚を大阪のものとしている。出自から考えれば、それは確かにそうかもしれないが、そういう線の引き方を神戸の人がどう思っているか聞いてみたい。

 この本では、いじめは犯罪である、みたいに、全くその通り! とひざを打ちたくなるような文章も多い。いや、人の文章は一定量読んでみないとわからないもんである。




*1
というのは、やはり「はる」には、少なくとも丁寧語という意識はある、ということだ。(
)



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