「ゴジラ×メガギラス−G 消滅作戦−」を見た。
最後の 3 分を別にすれば非常に面白い映画であった。音楽もすばらしかったので、最後のロールはその 3 分に含まれない。ロールの前後 3 分である。完全に蛇足。
去年の「ゴジラ 2000」も、最後の数分でそれまでの 2 時間弱を台無しにして映画全体をつまらないものにしてくれたが、そういうヒドさではない。「ゴジラ×メガギラス」の方は、そこだけ無視すればよい。
この映画は、1954 年の第一作に対する続編、という形で、他の話は無かったことになっている。
その際にゴジラは東京を襲っているのだが、それを受けて、
大阪が首都になっている、というのがこの映画の世界観。大阪城の横に国会議事堂が建っている。
さて、その場合、言葉はどうなるんだろうか。
冒頭で伊武 雅刀がスピーチをしている。最初の数語が関西風アクセントである。お、そこまでこだわるのか? と思ったが、そこだけだった。さすがに新しい全国共通語を作り出すパワーは無かったものと思われる。
仮面ライダー クウガでは、いわゆる悪い連中が独自の言語を操っている。濁音の多い言語をスタッフが新しく作ったようである。尤も、途中からカタコトの日本語を操り始める。視聴者に配慮したんだと思われるが、激昂すると独自言語に戻るから、一応の納得性はある。
移転の時期は明確になっていないが、仮に 1960 年頃とすると、東京が首都であった期間は 80 年、大阪が 40 年ほど、ということになる。比率にして 2:1. 決して短い期間ではない。
ちょっと検証してみる。
残念ながら、作品中の東京と大阪の関係は明確でない。
怪獣に襲われるのは渋谷とお台場だが (ゴジラが東京を襲うのは理由があるが、筋の根幹なので割愛)、渋谷はやはり大きな街である。お台場も広い範囲で開発されている。もし東京が、一有力地方都市という、現在の大阪のようなポジションにいるのだとすると、この描写にはいささかの疑問が残る。首都での開発事業と、首都ではない都市に対して行われる開発は自ずから異なるのではないか。
東京オリンピックは行われただろう。とすると首都高 (別の名前になったろうが) も新幹線も同じ。新幹線の方は、新首都との行き来を考慮して、開通が早められたかもしれない。
この映画の世界ではすでにリニアモーターカーが実用化されている。つまり、大阪−東京間はかなり近い。あるいは、大阪が首都としての全機能を持っているわけではない、という可能性もある。
こちらの世界で遅々として進まない省庁移転、都知事自ら thumbs-down でもって抵抗している首都移転問題で見られるように、大阪への移転に対する抵抗はかなり強かったであろうと考えられる。なんのかんのと理由をつけて、東京に残った組織も少なくないだろう。
であれば、ゴジラ世界における大阪の影響力は、こちらで東京が持っている影響力に比べて、はるかに小さいのではないか、と想像される。
大阪城横の国会議事堂も東京にあったのと同じデザインになってることだし。
「大阪都」「東京府」になったのかなぁ。
1960 年というと、とうにテレビ放送は始まっている。したがって、アナウンサーが使う言葉としての「標準語」も、既に一定の形を持っている。これを敢えて変更することは考えにくい。
各種の調査を見ればわかるとおり、1960 年代の前と後で、方言に対する感じ方が異なる。首都が移転しても、メディアにのる「標準語」がそのままであったとすれば、影響は小さいかもしれない。
ただし、大阪の放送局が全国のキー局になっているとすると、「町の声」として全国に流される発言は、池袋や新宿ではなく、道頓堀や御堂筋に集う人のものになる。原宿や六本木のステータスもこちらの世界ほど高くは無いだろう。であれば、
若者の言葉が大阪弁化する可能性は非常に高い。それが震源となり、
全国共通語が大阪弁化する、というシナリオはどうだろう。
こちらの世界では「標準語」と「全国共通語」との違いが問題になることは余り無いが、この場合は「標準語」と「全国共通語」がかなり離れてしまうことになる。東京弁と全国共通語の関係が薄れ、逆に、大阪弁と全国共通語が近くなり、全国的に、明確な二重言語構造が現出するかもしれない。
それ以外の地域では、自分の方言、大阪弁風全国共通語、標準語、という
三層構造になる。
一方、官庁が出す文書の言葉遣いがそう簡単に変わるとは思われない。
「標準語」は、古くは富国強兵と軸を一にしている。上から押し付けられたものである (押し付けようとした、という方が正確か)。この辺は『日本語の近代 (小森陽一、
岩波書店)』に詳しい。
少なくとも、公式な場面で使用される言葉については、押し付ける側が変えようと考えない限り、変わるものではない。つまり、
大阪において大阪弁の使用が憚られる状況が、こちらの世界よりも広く現出することになる。
上とは逆に、大阪弁の特徴が失われ、大阪弁が全国共通語に擦り寄っていく、というシナリオも考えられる。
まだ見てない、という人もいるかと思うので詳しくは書かないが、「なんじゃそりゃ」という場所はたくさんある。が、それを補う緊張感があり、特撮もすばらしいので是非、ご覧いただきたい。
個人的には、その緊張感をぶち壊すので、お笑いを出すのはやめて欲しいのだが。