徳島県-
見てはいりょ-
再放送分をやっと見たので、最後に徳島県。
徳島と言えば阿波踊りだが、姿勢を子細に見たのは初めてだった。
見るからに不自然な姿勢である。肩が辛いのはまぁいいとしても、いかにも腰に悪そうな、‘ζ’みたいな感じ。右側が前である。
やねがえらい(肩が辛い)そうである。
その不自然な姿勢のせいだと思うが、洋服で練習していると、その奇妙さは倍増する。
「外」を「
かど」と言うらしい。踊りを教えている人が「(ちゃんと踊らないと、まだモノになくても見せしめに)
かどで踊らすぞ」と言っていた。
秋田弁の「
きゃど」と同じかもしれない。前にも取り上げたが、これは「街道」である。
徳島放送局のアナウンサーが、阿波踊りの格好で出てきた。NHK のロゴいりである。NHK でも連を作って参加するらしい。
因みに、秋田放送局の竿灯はない (確か)。
冒頭で「徳島と言えば阿波踊り」なんて書いたが、全県的にはどうなんだろうな。
そう言えば、県をどういう風に分けて考えるかの説明がなかった。
手元の『
最新 一目でわかる全国方言一覧辞典(
学研、1998、ISBN4-05-300299-0)』によれば、山分 (やまぶん) が剣山を中心とする山間部、里分 (さとぶん) が吉野川沿いの平野部、中分 (なかぶん) がその間、とのこと。「分』という呼び方も珍しいのではないかと思うのだが。
ところで、この仮名漢字変換ソフト (VJE-δ)、「なかぶん」だけちゃんと変換したのだが、どういうわけだろう。
南北での文末表現の違いを説明している場所で、宍喰町が取り上げられていた。
ここで、「
ほうばいよー」という表現が出てくる。
「
ほうばい」は「朋輩」である。それはいい。問題は「
ほうばいよー」なのである。
なんの説明もなかったが、これは呼びかけであろう。つまり「友よ」と呼びかけていることになる。おそらく、「朋輩」という意味は失われていて、「
ほうばいよー」という形だけが残っているのだと想像する。
恒例の、10 の表現。
「
ほなけんど」。意味は想像したとおり。だが、話の導入部に使うらしい。共通語に置き換えると、いきなり「だけどさ」で始まるわけだ。
若い連中を中心に「
っていうか」が定着して久しい。最近は「つか」あたりまで縮んでいるようだが、これも似たような使われ方をする。ひょっとして徳島では「つか」に対する抵抗感が低かったりするだろうか。
「
まけまけいっぱい」。酒などを (別に酒でなくとも構うまいが) なみなみ注いだ状態を言う。どこかで似たような形を見たような記憶があるのだが思い出せない。
もともと「
まける」という語があるのだそうで、これは「あふれる、こぼれる」という意味らしいのだが、東北の「
まがす」と同根だったりしないか?
形として面白かったのは「
あるでないで」。逆の意味では「
ないでないで」と言うらしい。
これは「あるじゃないか」「ないじゃないか」。言われてみれば納得である。
「~してください」の「
~はいりょ」が「拝領」,「寝る」の尊敬語「
げしなる」が「御寝成る」であるという。「○○には古い言葉が残っている」は聞き飽きた。
東祖谷山村 (いややまそん) が紹介されている。落人伝説があるところらしい。
ここの言葉は、これまで聞いた言葉とはまた違う。メモを取るのに大忙しである。
「転んで、膝の皿を割るところだった」というのを「
わんりよった」と言っていた。これは、我々が勝手に解釈すると「割ってしまった」となる。危ないところである。
その「膝」なのだが、「
つぶし」だった。鹿児島では「
つんぶし」と言うそうだ。
これは、数々ある人体の「節」の中で、「膝の節」という意味で「膝つ節」と言っていたのが、「膝」が脱落したものだ、と説明されている。
鹿児島と言えばサツマイモだが、これは「
りーき」。どっから来た?
「
おます」というのは「差し上げる」という意味である。大阪の「
おます」はこれと同根らしい。江戸自体の本に「
おますれば たまる」という諺が紹介されているそうだ。「たまる」は「賜る」で、「人に何かをくれてやれば貰うこともある」という意味。「情けは人のためならず」と同じ意味か。
徳島独自の表現として、例えば「
走って走ってしても儲からん (タクシーの運転手)」というのがある。これは、「いくら走っても儲からない」ということ。強調表現の際に、2 度繰り替えすのだそうだ。
それもそうだが、次に続くのが「する」である、というのもポイントだろう。
そういえば
佐賀の回に、擬態語を 3 度繰り返す用法があった。
最後に、101 歳で農業現役というおばあさんが出てきた。
この人の言っていることがわからない。手を抜かないで字幕を出して欲しかった。
というわけで、やっと全都道府県を見終わった。
想像もつかない言語現象があるものである。勉強になった。面白かった。
が、ともすれば自方言オタク的な人が出てきたりしてちょっと鼻白むこともないではなかった。「由緒正しい表現」という、他者の権威に寄りかかった評価も多かった。
言葉に貴賤はない、とドライに構えてしまうと番組として楽しくなくなってしまうのは確かだろうが、センチメンタリズムに傾きすぎだったような気もする。
最初に書いた「
ちょーいずい」のような、方言がきっちり命脈を保っている現状を紹介していくと、かなりエキサイティングなものになるのではないか、などど思ったりする。
過去を振り返るのもいいが、今と将来の方が大事なのではあるまいか。
なにはともあれ、関係者の皆さん、お疲れさまでした。