Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第218夜

ふるさと日本のことば (13) −岡山、新潟、佐賀−



岡山県−見てちょーでぇー (12/10)−

 冒頭、バスケットの練習シーンで「何しょんならー」という罵声が紹介されて、「恐い」とか言う感想が聞かれたが、恐いか? と思った。まぁ、怒ってるわけだから恐いと言えば恐いが、俺にとっては「何やってらってが、んが」の方が恐い。

 ゲストの岩井氏。
ぼっけぇきょうてぇ」の作者だったのだな。俺、恐い話は苦手なので、近づかないようにしているのである。方言に関心があったら読むべき本だな、とは思っていたのだが。高橋克彦の「記憶」シリーズとか、読んでから、しまった、と思った。
 この作品について、「共通語だと賞は取れなかっただろう」と言われたという話や、「タイトルが呪文に聞こえた」という話は実に興味深い。
 それにしても、きっちりカメラ目線でしゃべっていた。なんかユニークな人、という印象を受けた。

 若手アナウンサーが、吉田氏を紹介するとき、いきなり敬語を間違っている。心配だ。

きょうてぇ」あたりもそうなのだが、やや名古屋弁に近いのでは、という印象を受けた。
「あい」や「あえ」という音が「えー」になる、というあたりでそう感じたのだろう。
 それにしても、「これ誰だい」が“KDD”、「会いたいと行っておいて」が“ATUTT”になる、というのは笑った。モールス信号に見立てた読み方もおかしかった。よく気づいたなぁ、全く。

やっちもねー」「らっしもねー」というのが紹介されていたが、これは「埒も無い」だろう。
 秋田弁で「ダメだ」という意味の「やざね」「やじゃね」「やづがね」という語があるが、これも同じである。
 あんまり意識に上ることは無いと思うのだが、ラ行からヤ行への変化って意外に多いようだ。

 津山市の高校の先生。
 東京から帰ってきたら今まで以上に方言を使うようになった。
 この人がそうだったかどうかは知らないが、そういう感覚には俺も覚えがある。一応、一生懸命に溶け込むべく努力をするのである。ちょっと例えが違うが、女形が本当の女性よりも女性らしい、というのに似ている。ちょっとでも東京っぽい言動をするとよくないのではないか、と考えるわけだ。
 実際に良くなかったのだが。最初に入った会社では、二言目には「ここは東京じゃなくて秋田なんだから」であった。であるなら、U ターン者など採用しないで欲しい。

 美甘村。これ「みかもそん」と読む。難しいわ。
 おばあさん達の会話で「ばんじまして」が聞こえた。出雲地方で使われるのは知っていたが、ここもか。
 風邪は「つく」ものらしい。細菌やウィルスで感染することを思えば、「引く」よりは理に叶っているのかもしれない。

 今イチ、インパクトに欠ける回だった。
作家 岩井 志麻子
岡山大学 吉田 則夫
岡山放送局 後藤 理

新潟県−見てくんなせてー (12/17)−

 新潟はでかい。長い。日本海を南下していくと、秋田や山形はすぐに過ぎるのに、新潟がなかなか終わらん、という声を聞く。それも道理で、沿岸が 350km. 東京―名古屋、九州の南北方向に相当するんだそうな。
 で、方言も多彩、というふれこみだったが、そんなに多彩、という感じもしなかったぞ。

 やっぱり、という感じのゲスト、林家こん平。
 非常に早口で、メモできなかった表現多数。
 よく「ちゃーざー村」と言っているが、「千谷沢村」なんだそうな。今は、越路町と小国町に分かれている由。
 これは、やはり新潟出身の漫画家・魔夜峰央の『パタリロ!』に書いてあった。

 朝市場 (あさいちば) のおばちゃんの話で、大して金にもならないので (恐らくその市場で) 魚を買ったらおしまい、というような文脈で「魚買い銭 (さかなかいぜん)」という表現が出てきた。これは面白かった。

「百円分」などの「〜分」に相当する「がん」だが、香川で「まんでがん」というのがあった。これは、丸ごと、という意味だが、同じ「がん」だろう。
 秋田では「〜あで」という。これは全く別系統か。

「イ」と「エ」の混同で、「越後」と「苺」が上げられていた。
 俺、実は「苺」で単語の正しいアクセントがわからない。標準語形も、秋田弁形も。
 新潟では「ちご (越後)」「いちご (苺)」だそうだ。秋田も「いちご」かなぁ。
 この話題で気づいたのだが、どうやら新潟では濁音にはならないようだ。「駅」は「えき」であったし、「息」も「いき」であった。秋田弁ではどちらも「」になる。

 人の家を訪れたときの挨拶が「だんだんどうも」らしい。
だんだん」については、山陰での例がこの番組でも紹介されているが、ここにもある。日本海沿岸西側に広がっているのだろうか。
 そのシーンで、おばちゃんが農作業中にヘビを見かけた話をしていた。人間で言ったら太もものあたりで切られてたそうなんだが、一体どこよ。

 いわゆるストリート ミュージシャンが紹介されていたが、ギターの音が安い。収録時の問題だろうか。違うような気がするなぁ。
 彼女らの会話で、「この前、川崎に言ったじゃん?」というのが印象に残る。
 このコーナーでは、語尾の「がー」を取り上げたのだが、こっちはあんまり印象に残っていない。

 佐渡の、北前船による各地方言の残存、というのは、あぁやっぱりという感じ。「ばってん」が使われているというのには驚いた。扇の要、という表現は面白かったが。
 佐渡に限らず、「だちかん」というのが「ダメ」という意味で使われているようだが、これ、「埒があかない」である。岡山の回でも同様のバリエーションがある。
 あちこちで「埒があかない」が禁止の「だめ」に変化しているというのが興味深いところである。

 ちょっと、ポイントがポイントになっていない、という印象を受けた。言えば、平坦である。
落語家 林家こん平
新潟大学 大橋 勝男
新潟放送局 高瀬 耕造

佐賀県−見てくんしゃいね (12/24)−

 「やーらしか」がキーワードのようだ。赤ちゃんが出てきたから「やわらかい」なのかと思ったが「愛らしい」であった。なるほど。

 アナウンサーはじめ県外者は「ゴツゴツ」「ケンカしてるような」と感じる。が、佐賀者である針 すなおはやわらかいと思う、と言う。つまり、知らないところの言葉だから、そう感じるというだけのことなのである。
 勿論、これに、自分の周囲の人間や、メディアで増幅された情報が加わることは、ある。
 だから、方言についてイメージだけでものを言うのは非常に危険だ、ということ。
 俺の場合、佐賀ことばは勿論、佐賀についての明確な像が結べない。

〜なんた」「〜かんた」という語尾が特徴なのだそうだ。漫才師の名前ではない。
 それぞれ「〜なぁ、あんた」「〜か? あんた」であるらしいのだが、針が子供の頃、既に年寄りの言葉だと感じていた、というから、もうすぐなくなるんだろう。
 と聞こえたが、年寄りの言葉だと思ったのが「〜ばんた (ばい、あんた)」「〜のあい (〜のう、おまえ)」も含む、この種の表現全てなのか、「〜ばんた」「〜のあい」だけなのか、不明確。
 「こういうのを使うというのは、気持ちとしてどうですか」などと難しいことを聞いている暇があったら、話を整理して欲しい。

 3 回繰り返す擬態語が面白かった。
 他の地域で「どんどん行く」というところを「どんどんどん行く」わけである。
 なのだが、俺にはこれを「で」で受けているように聞こえた。「どんどんどん行く」とか言ってなかったか。これも重要な特徴なのではないかと思うのだが。

 途中で、佐賀ことばを使った洒落や寸劇が疲労されるのだが、国井アナ、針すなおともノリが悪い。企画倒れ。
 焼き物をねぎっている現場のロケのほうは、語学講座のパロディ風で、こっちはまぁまぁ面白かった。売り手が、買い手のおじいさんに圧されていた。年季の違いかねぇ。

 冒頭の「やーらしか」のほか、地域は違うものの「ししゅーか」「むぞーがる」という、別の「可愛い」が登場する。どう違うのやら。
むぞーがる」については、結婚式で、嫁さんを可愛がれよ、と言われたというエピソードが紹介されていたが、当の奥さん曰く「『むぞーがる』は『可愛がる』よりも奥が深い」。
 よそ者はその「奥」が知りたいのだがなぁ。
 尤も、後で針すなおと教授の説明がつく。「やーらしか」はある種、無責任なのである、という。よその家の子供とか、小動物とか、そういうものであるらしい。なんとなくわかる。
むぞうがる」の方は、切なさを伴う可愛らしさで、「無残」と書くのだそうな。こっちもなんとなくわかる。

 全体的に、ちょっと不親切だった。
漫画家 針 すなお
佐賀大学 藤田 勝良
佐賀放送局 武藤 友樹




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