Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第219夜

ふるさと日本のことば (14) −奈良、千葉、宮崎−



 さて、「ふるさと日本のことば」も残り少なくなってきた。
 このペースだと、最終回は東京ではないかと思うのだがどうか。

奈良県−見てやー (1/7)−

 奈良といえばかつての首都である。
 京都の方は首都であったことをおおいに宣伝していて、住民の方もそういうプライドを持っているように言われているが、奈良の場合、それが感じられない。京都が 1200 年来の「みやこ」なら、奈良は 1200 年前までは「みやこ」だったのではないのか。
 それが言葉とどう絡んでくるのか興味津々だったのだが、奈良がどんづまりである (失礼) という観点には目から鱗が落ちる思いであった。
 奈良全体がそうだというのではなく、県南部のアクセントが、周囲と違って東京式である、という話が基点。確かに、その先は山間部で人の行き来は難しい。
 さらに、日本語全体としては東京式がもともとの形で、京阪式が後からあらわれたもの。すなわち、前者が縄文系、後者が弥生系であるという。これもビックリである。
 もっと昔は無アクセント型であったという。確かに、無アクセント型は九州や東北など辺境に残っている。が、言語全体としては無アクセント型 (単純な方法) に向かっていくのだ、というルールに逆行した動きが一時的にあったことになる。
 …と理解していいのかな?
 この辺の人たちは、街に出ると自分のアクセントを「直す」のだそうだ。県庁所在地の奈良市も含め、京都も大阪も京阪式アクセントだから、東京式アクセントではまずいわけだ。「この辺のアクセントはなんかおかしい」と言っている人もいた。

 方言とは関係ないが、国井アナが生徒だった頃、794 年の平安遷都を覚えるとき「泣くよ坊さん、平安京」と覚えたのだそうだ。これは、遷都の際に、当時の堕落した仏教関係者は連れていてもらえなかった、という事実に即したものらしい。
 これが「鳴くよウグイス、平安京」と変わったのにはどういう事情があったのか。明らかに情報が欠落していると思うのだが。詰め込み教育のせい?

 天川村の洞川というところでは、人称代名詞に複数の体系がある。
 つまり、目上の人間に言うときと、目下の人間に言うときとで異なるのである。一人称では、前者が「いげ」、後者が「わし」だ。
 複雑に見えるが、その代わり、他の要素が単純なのだそうだ。
 これは、この地区が古くから修験の地であり、人の出入りが激しかったことによる。つまり、複雑な敬語体系を維持できないのである。その結果、人称代名詞の部分をきちんと決め、それ以外はフリー、という形になった。
 理に適っている。

 「よのなか/よんなか」で、「豊作」を指すらしい。
 ということが、最初は理解できなかった。説明不足。
 これは、「天気」で「好天」を指すのと同じように (「あーした天気になーれ」)、「世の中」だけで「良い世の中」を指すようになったものだそうだ。面白い。

 この高田聖子という人、ニコニコしていい感じの人だ。

女優 高田 聖子
富山大学 中井 精一
奈良放送局 高田 康弘


千葉県−見てくったいよぉ (1/14)−

 千葉って、それこそ東京ディズニーランドと幕張メッセに行ったことがあるくらいで俺とはほとんど接点が無い。10 年以上も首都圏にいたのになぁ。
 「東京ディズニーランド」にしろ「新東京国際空港」にしろ「東京」に異論があるわけだが、大阪にオープンする「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」については、「ユニバーサル・スタジオ・オオサカ」だと略称が“USO”になってしまうからだ、という説がある。ほんまかいな。

 さて、千葉の東側は東北弁の地域だそうな。栃木から茨城がそうだというのは知っていたが、千葉もだったか。
 東北弁は、栃木から千葉の「鎌」の根もとあたりを結ぶ線の東側、ということになるらしい。
 「畑」が「はだげ」であるなど音は確かに東北風。ただし、アクセントは「だげ」で、これは東京風。秋田では「」となる。

 K 音の脱落、というのが南部の特徴なんだそうな。他には、沖縄や奄美の一部にあるだけらしい。
「〜ばかり」が「〜ばーり」、「袋」が「ふーろ」で、「欠ける」が「かえる」である。秋田でも「〜ばり」って言うが、「ふーろ」はないなぁ。「ふぐろ」だ。「欠ける」も「欠げる」。
 面白いのは「いくつ」が「ゆーつ」であること。K が落ちて「いうつ」、更に「ゆーつ」となる。「お前ゆーつだ」と言われたらよその人は戸惑うだろうなぁ。

「何」が「あに」、他に「行ってんべーや」「おっぺす」と、なんか聞いたことがあるなぁ、と思っていたらドリフターズでよく聞いた表現だ。主に加藤茶が使っていたような気がする。
 千葉出身か? と思って調べて見たが、東京だった。なぜこれを好んで使ったのだろう。東京近郊の言葉を使ってみた、ということなのだろうか。
 仲本工事が沖縄出身だとは知らなかった。アムロの先輩じゃん。

 八日市場での、植木のオークションが紹介されていた。
 言葉もさることながら、植木の枝を持っていることに驚いた。いいのか、あぁいう持ち方して。

 こちらとして「おいし」かったのは「アオナジミ」。
 これ、方言調査の話題でよく取り上げられる俚言だが、「青あざ」のことである。
 その説明を聞いたとき、国井アナが「あ、アオタンか!」と叫んでいたが、それも西日本の俚言なのであった。

 千葉市に住んでいて、一宮町からやってくる行商のおばさんと話をするのを楽しみしている、という人が出ていた。
 この人、普段は自分が生まれたところの言葉を使わない。行商のおばさんと話をするときだけである。なぜか。
 自分の言葉を、悪い言葉だと思っているからである。
 年齢から逆算して昭和元年頃の生まれ。そういう時代に教育を受け、自分の言葉を奪われてしまったのである。

 黒潮が運んだ言葉、というのも面白かった。
おおきに」「たく (煮る)」とか言うのである。
 ご存知のとおり、銚子といえば大漁港であり、醤油の一大産地でもある。ここに大阪の商人が移住してきた。そのおかげであると言う。
 もう一つ歴史的な話では、山田町における挨拶で「おあがんあさいまし」というのがある。
 これ、「家に入りなさい」でも「おめしあがりください」でもなく、道端で人と会ったときの挨拶なのである。午後になると「おあがんなさいましたか?」になる
 どういうことかというと、なんと天明の飢饉 (1783〜6) まで遡るという。
 食うものが無い。赤土にはいくらか栄養がある、とか言ってたからすさまじい話なのだが、そういう状況においては、相手がなにかを食えているのかどうか、というのが非常に重要な問題なわけだ。「こんにちは」とか言って天気を話題にしている場合ではない。
 今とは違って、食うことの優先順位が非常に高かった時代の名残なのである。

 重い話が続いたが、それを地井 武男のキャラクターがカバーしている。
 バラエティ番組で「チイチイ」とかいって遊ばれているのは知っていた。それにしてもにぎやかなオッサンだな、と思っていたが、「地」で始まる姓は和歌山に多いらしい、ということを紹介するなど、意外にピッタリのゲストだったのではないかと思う。

俳優 地井 武雄
都立大 篠崎 晃一
千葉放送局 関口 健


宮崎県−見ちくんないよ (1/21)−

 ゲストは赤星たみこ。浅香唯が来るかも、なんて思ってなかったけどさ。

 に、宮崎弁は大分わかるような気がする、と書いた。
 今でもそう思うことには変わりない。少なくとも、他の地域の言葉よりはわかりやすい。
 だから、今回の放送でも、色んな俚言が飛び交っていたが、順調にメモできた。知っている俚言が多いから、急がなくても大丈夫。
 が、それも最初のうち。
 見ていた人は気づいたと思うが、この番組では、色んな表現について逐語訳の字幕を出す。上下 2 段で、上にご当地表現、下に全国共通語が出る。場合によっては、それが 2 組で、全体で 4 段ということもある。
 が、今回の放送では、それをやめて大意のみ、という字幕が多かった。手抜きやがって、と思ったが、そういうケースでは割と早口だったりするので、こうなると俺にも聞きとれない。
 特に、西都市のおじさんのはわからなかった。

 ここで冷や汁が出てくる。
 出し汁に味噌を溶いた冷たい汁を温かいご飯にかける。旨そうだなぁ、と前から思っていた。確か、トッピングのバリエーションも豊富だったはず。宿酔いの朝なんかピッタリらしい。
 これ「ひやしる」だったんだな。「ひやじる」だとばっかり思っていた。

 他地域との共通点で言うと、「てげてげ」「むぞい」「だれやみ」あたりか。
てげてげ」は「大概」で、関西弁あたりの「大概にせーよ」から連想してもらうとわかる。「こんなもんでいいや」という感じ。沖縄の「てーげー」と同じ。南国特有の温厚な器質の表れ、だそうだが、激しやすいとか言われることもなかったっけ?
むぞい」は、こないだ佐賀でも出てきた。「可愛い」という意味。
だれやみ」はだいぶにも取り上げた。「だれ」は「疲れ」で、これを「やめる」。すなわち晩酌のことである。「飲み会」のことを「飲み方」というのもあったな。

はげらしい (恥ずかしい)」ってどういう意味だと思いますか、というやり取りで、二人のアナウンサーのボケが噛み合っていない。無理にお笑いやるのやめようよ。

 ここは無アクセント地帯である。
 赤星氏は、「柿」と「牡蠣」を言い分けるときは、アクセントにあわせて顔を上下しないとダメなんだそうである。
 浅香唯もドラマ収録のときに苦労したらしい。しまいには文全体のイントネーションを丸ごと覚えるしかない、というようなことをどこかで言っていたような気がする。“QUIZ”の本だったっけか。
 方言を使うドラマに出る俳優達もそういう手法を使うことは多いらしい。中には、音符に書いて覚える人もいるそうだ。
「浪花恋しぐれ」の岡千秋も、歌の途中で出てくる、春団治の台詞を覚えるとき、大阪弁のイントネーションを音符に直して覚えた、と何かで聞いた。これは「クイズ日本人の質問」かなぁ。

 南西部の諸県 (もろかた) 地方は、もとは薩摩藩の領地であったそうだ。そのため、鹿児島弁風の特徴が濃く残っている。
 それまでのとあんまり違うから、閉鎖地域なのかなぁ、と思っていた。なんか島っぽい。
 70 歳以上の人にアンケートを取ると、実に 96% もの人が、親しみを感じる方言として鹿児島弁を挙げるそうである。
 高校生が対象であっても 57%、つまり半数を超えるというから驚きだ。
 島っぽいと思ったのは、奄美大島とか、あの辺からの連想かな。尤も、俺は奄美大島の言葉の特徴を説明できるほど詳しくないが。

 最後に、松永助教授が、方言の衰退や相手によって方言を使わなかったりするのは、チャンネルを一つ失うことだ、と力説。おぉ熱いなぁ、と思った。
 そう思うだけである。俺の場合は。
漫画家 赤星 たみこ
宮崎国際大学 松永 修一
宮崎放送局 原口 雅臣




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