Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第190夜

微妙なとこネ



 「ふるさと日本のことば」を見ていると、「〜弁って、こういう微妙な感情を表現できるんですよ」という肯定表現をよく聞く。
 「微妙」とはどういうことか。
 goo が提供している大辞林(第二版)によれば、
びみょう ―めう 【微妙】
(名・形動)[文]ナリ
(1) なんともいえない味わいや美しさがあって、おもむき深い・こと (さま)。「―な色彩のバランス」
(2) はっきりととらえられないほど細かく、複雑で難しい・こと (さま)。「両国の関係は―な段階にある」「―な意味あいの言葉」
[派生] ――さ(名)
 この場合、恐らく (2) の意味だと思われる。むしろ、(1) と (2) をあわせたような、言ってみれば「はっきりととらえられないほど細かく、おもむき深い・こと (さま)」という辺りか。
 それにしても、「微妙」が誉め言葉だとは知らなかった。そう言えば「妙なる」だもんな。

 言語に貴賎の別はない、という前提に立って誉め言葉部分を割愛、「細かい」という部分を検討してみる。
 秋田弁の「うって」は「たくさん」という意味だが、「もう十分ある」というニュアンスを持つ、どちらかと言えば否定的な副詞である。「いっぺ」とは異なる。なるほど、確かに細かい。
 しかし、細かいというのは、わずらわしさをも意味する。
 例えば、英語で「これ何の肉?」「鶏」という会話をする場面を創造してみるとよい。
 英語では、オスは“cock”、メスは“hen”である。オスメス不問の「鶏」に相当する単語はない*。英語の初学者はたちまち答えに窮するはずだ。*
 同様に、「これだけあるんだからもういらない」というときは「うって」、「必要以上にある」というときは「よげだ」、「飲食物が山ほどある」は「じっぱり」、価値判断を伴わない場合は「いっぺ」と、使い分けなくてはならない。マスターしている人間には造作もないことだが、ネイティブでない人間にとってはややこしいだけである。
 細かいからって、いいことばかりではない。

 ところで、秋田弁の「ごしゃぐ」は「怒る」に相当する。他人を「ごしゃぐ」場合は、「叱る」と置き換えることもできる。
 これを逆から見ると、「叱る」に相当する単語がない、ということになる。
 つまり、「怒る」と「叱る」には、意味の重なる部分もあるが、重ならない部分もある。その、重ならない部分、「一人で立腹しているのではなく、誰かに強い調子で注意を与えている」という意味を表現する単語が秋田弁にはない。
 また、何度か取り上げた秋田弁の形容詞。実質的に無活用なので、形から情報を取り出すことができない。
 これでは、細かいとは言えまい。

 なんのことはない。細かいところもあれば、粗いところもある、という程度の話なのだ。

 ごく一部の人を除けば、英語が日本語より優れているだの、日本語が英語よりが優れているだのとは口にしない。
 英語では“ox/bull/cow”と言い分ける動物を*、日本語では「牛」とまとめてしまう。だから日本語は劣っているのか。
 日本語では「米/稲/ご飯」と言い分ける植物とその加工品は、英語では“rice”としか呼びようがない。では英語が劣っているのか。
 どちらも誤り。単に「違う」のである。

 何故、日本語の方言の場合に限り、「細かい」「微妙だ」とことさらに強調されてしまうのか。
 我々がまだ「標準語」の呪縛にとらわれたままだからであろう。
 標準語を強制された歴史が言わせているのかもしれない。方言が劣ったものではないことを積極的にアピールせざるを得ない、というのが実情なのだと思われる。
 不幸なことだ、と言ってもいいのではあるまいか。
 アピールはアピールでいいのだが、これは結局は郷土自慢で、最終的に好き嫌いの話に還元されてしまうから、度が過ぎると却って嫌がられる。

 そう言えば昨年、英語を第二公用語に、とかいう寝ぼけたことがぶち上げられたが、官僚も政治家も知識人も日本語破壊の急先鋒、まずは自分達の日本語を直してからものを言っていただきたい。
「前向きに善処」から本来の意味を奪ってしまった罪は重い。
「寝てて欲しい」に至っては、コメントする気力も湧かない。




*1
 “fowl”という単語があるにはある。(
)

*2
 このコンテクストでは、“chicken”と答えるのがよい。なお、「鶏肉」は合成語だから、“chicken”に対応する単語も日本語にはないことになる。(
)

*3
 “bullock”、“bovine”という語もある。(
)




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