浅香唯が本格的に復帰して、あちこちで見るようになった。
根が単純なので、その昔にため込んだ「スケバン刑事」のビデオを引っ張り出して見たりしている。やっぱり面白い。
もうお忘れの方も多いかと思うので、簡単に解説する。
「スケバン刑事」は、和田慎二原作のマンガをベースにして
東映が製作した実写作品で、TV シリーズが 3 本、映画が 2 本ある。これを書きながら改めて驚いているのだが、1985〜88 と足掛け 4 年にわたる人気作品である。後半になると、どこが刑事なんだか、という展開にはなるものの、少女が主人公の活劇、というジャンルを作り上げ、本家東映が後続の 2 作品を発表したほか、他局で亜流の作品まで放送されるという広がりを見せた。
主役の麻宮サキは斉藤由貴、二代目が南野陽子、三代目が浅香唯と引き継がれるが、初代では希薄だったパートナーの存在が二代目以降は明確に規定されて、団体戦の様相を帯びる。勿論、営業上の展開も激しく、役名である「風間三姉妹」名義で主題歌が発売された他、パートナーたちが歌う挿入歌も含めると、関連するレコードは 25 枚を越える。
南野陽子演ずる二代目麻宮サキこと五代陽子 (更に本名があるというからややこしい) は、
高知からやってきたという設定である。番組上は、初代に匹敵する力を持った少女を全国から探し出した、ということになっているが、迫力を増すため、というのが理由だろう。
斉藤由貴の「
てめぇら、許さねぇ」がかなりのインパクトだったから、それを超えるための
土佐弁採用であったと考えられる。売り出し真っ最中のアイドルが切る「
おまんら、許さんぜよ」という啖呵は、確かにそれだけの効果をあげた。
迫力がある、という風に考えられている方言はいくつかある。例えば、大阪弁、広島弁、土佐弁というあたりか。
火事と喧嘩は、ということで江戸弁も思い浮かぶが、これはどちらかというと「宵越しの…」だの「気風 (きっぷ) がいい」だので、カラっとしたプラスイメージを持っている。つまり、
恐くない。
大阪弁と広島弁が持っていると考えられている迫力は、菅原文太 (仙台出身) などの映画を背景にした、ヤクザの迫力である。番組の主旨にそぐわない。それに大阪弁の方は、同時に寄席芸のイメージもまとっているから、扱いにくい。
土佐弁は、あの坂本竜馬が真っ先に浮かぶ。役柄から考えてもピッタリである。なお、ストーリー中では、土佐である必然性はなかった。
三代目麻宮サキこと風間唯が
宮崎弁というのは、浅香唯の出身地を生かしたものだと考えられる。自然だし、主役に方言指導をする手間が省けるのも大きい。
劇中では単なる田舎者扱いで、これまた宮崎である必然性がない。二代目の場合とは違って、都市でなければどこでもよかったのだと思われる。
スタート当初の言葉遣いはかなりたどたどしい。これは、ドラマ収録に対する慣れの問題であろう。話が進むにつれて自然になり、「
いっちゃが (いいよ)」というようなフレーズが何の解説もなしに飛び出してくるようになる。全国放送のためにいくらかマイルドにする作業があったものと思われるが、そのコツをつかんだのだとも考えられる。
なお、最も自然なのは、姉妹喧嘩のシーンである。
宮崎弁にしろ土佐弁にしろ、
さほど強烈なイメージがない、というのが特徴である。
土佐弁の方は、坂本竜馬の「
〜ぜよ」の他には誰でも知っているというフレーズが少なく、意外に知られていない。二代目サキとしては、プラスイメージだけが欲しく、方言を使うことによるマイナスイメージはできる限り避けたい。詳しい調査をすればマイナスの部分が出てくるのは間違いないが、ドラマでの使用という条件を考慮すると、例えば「恐い」というのは
逆にプラス要素であり、ほとんどのマイナス要因は無視できる。
三代目サキの場合は寧ろマイナスイメージが欲しい。かと言って、そのイメージが強すぎても困る。
津軽弁や名古屋弁のスケバン刑事を想像してみるとよい。間違いなくなんらかの色が付く。「恐い」がプラスに作用したとしても、リカバーしきれないのである。
つまり、他の方言では役が食われてしまう虞があった。固定イメージがないという点では宮崎弁はうってつけと言える。
なお、南野陽子は神戸出身である。神戸の言葉は、全国的には大阪弁・京都弁と混同されており、更に上品なイメージがプラスされているから、「
スケバン方言」としては使いにくいだろう。
本人は後のインタビューで、やっと標準語が使えるようになったのに、とゲンナリした、と述懐している。
浅香唯の方も、田舎娘メークがショックだったと述べている。確かに、あんな汚い女子高校生はどこの田舎にもいないと思う。
なお、方言の使用は徹底されていない。相楽晴子 (当時は「ハル子」) 演ずる二代目のパートナーで、新宿出身の庶民代表である
ビー玉のお京は、性格設定から言っても江戸っ子なのだが、まともな江戸弁ではなかったし (新宿が江戸かどうか、という問題はあるが)、風間唯の育ての親である帯庵和尚も疑似方言っぽかった。
そうかと思うと、例えば博多から出てきた少女など、一回きりのゲストがそれなりの言葉遣いになっていたりする。
まぁ、娯楽作品だから、そう肩ひじ張らずに見ればいいのである。ステロタイプ大いに結構。
今、中古のレーザーディスクを探しているところである。心当たりのある方はご一報を。