風の季節


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    目 次
0. 劇場ほか
1. あらすじ
2. スタッフ
3. キャスト
4. 演出にあたって
5. 高橋広司君の手紙より

0. 劇場ほか(出典: 特に断りのないものは俳優座劇場「風の季節」プグラム)
俳優座劇場フロデュースNo.57
風の季節
2001年12月7日(金)〜15日(日) 俳優座劇場(六本木)

1
. あらすじ

 海辺の小さな家に、日向子(ひなこ)は一人で越して来た。夫婦で週末を過ごすはずのセカンドハウスだったが、夫の浮気が原因で離婚し、日向子ひとりのものとなったのだ。荷物を整理していると、母親の理恵が突然現れた。日向子は、何か騒動を起こすと自分の所へやって来る母にうんざりしていた。今日もいきなり「二人で旅行に行こう」と言い出す。そんなところへ今度は別れた亭主がやって来て、また一騒動が起こる。
 だが翌日、佐々木という弁護士と、黒木俊一という男が現れ、日向子と理恵、二人の母娘にとって重大な騒動が起こるのだった……。

2. スタッフ
作…………………………川崎照代
演出………………………鶴田俊哉(鶴には雨冠が付く)
美術………………………神田真
照明………………………森脇清治
音響………………………小山田昭
衣裳………………………宮本宣子
舞台監督…………………伊達一成
舞台統括…………………荒木眞人
企画制作…………………俳優座劇場

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舞台監督助手……………上村利幸
                久保田朱美
照明操作…………………高橋一暢
                株式会社東京舞台照明
音響操作…………………皆川貴夫
                株式会社音映
大道具……………………安藤宣弘
                株式会社俳優座劇場舞台美術部
小道具……………………和田博
                高津映画装飾株式会社
衣裳………………………中村洋一
                東京衣裳株式会社
イラスト……………………沢田としき
宣伝美術…………………勝木雄二

協力………………………文学座
                劇団俳優座
                円企画
                サイスタジオ

3. キャスト
(配役順)
日向子……………………鶉野樹理 (俳優座)
理恵………………………高林由紀子(演劇集団円)
陽介………………………伊東達広 (俳優座)
はるみ……………………浅海彩子 (文学座)
俊一………………………高橋広司 (文学座)
佐々木……………………三木敏彦 (文学座)
山口………………………助川嘉隆 (文学座)
原田………………………関口晴雄 (俳優座)

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4. 演出にあたって                       鶴田俊哉(演出)
  何故だかわからないが、女性が主になる芝居の仕事が多い気がする。演出助手を勤めた井上ひさしさんの「頭痛肩凝り樋口一葉」のように、出演者全員が女性の芝居も何本かあるし、少ない演出作品の中でも、女性作家の作品が主だった。僕自身、特にフェミニストというのでもないし、女性の作品をあえて選んでいるわけでもないのだが、気がつくと女性の多い現場にいたりするのだ。
 さて、この経験が僕の芝居作りに生かされているかどうかは分からない。年相応に、以前に比べると女性を前にして構えるところはなくなってきたが、よく理解できるようになったという域にはとても達していないと思う。ただそんな中でひとつだけ、これは間違っていないだろうなということがある。それは「女とは」もしくは「女だから」などと紋切り型で考えることがなくなったということだ。何もそんなあたりまえのことを声高にと思われるかもしれないが、意外とこれは大事なことではないかと思う。例えば「女性は子供を産むから強い」などと言う人がいる。確かにこれは間違ってはいないだろうし女性に対する賞賛や尊敬を含んでいることもある。だが反面、男の身勝手な都合から語られることも多いのではないか。一見的を射ているように見える言葉で物事を片付けようとする行為と言ったら言いすぎだろうか。見方をかえれば、それは理解の放棄、コミュニケーションの拒絶と言ってもいいだろう。僕にしても女性から「男って」とか「男だからね」とか言われて気になることがある。女性の方も「女の人は」「女だから」と言われて嫌な思いをしているのだろう。では、お互いさまと片付けることができるのか。どうも世の中ではそうともいえないようだ。
 ここ数ヵ月テレビや新聞で伝えられているニュースを見ていると、そうした思いを強くする。戦争は最悪の男の身勝手だと思えてならない。正義とか平和などの言葉は、とても空疎に響き、女性や子どもに犠牲を強いるその身勝手さから、いつかその代償を払わされる時がくるだろうと思ってしまう。そしてそれは、「女とは」とか「男とは」とか簡単に語り決めつけてしまう傲慢さに連なっているものではないか。もちろん「女とは」「男とは」と考えなければならないことはある。ただ、それですくいとれない事に耳をそばだてていたい。そう考えなければいけないと、油断しがちな頭に言いきかせている。
 そんなことを考えているところへ、俳優座劇場からこの演出のお話をいただいた。川崎照代さんの新作で、母と娘の関係を軸として描いた作品だという。これは自分を試すのに良い機会だと思った次第である。
 俳優座劇場プロデュースで演出するのは今回が初めてだが、作家の川崎照代さんとは以前「野分立つ」という作品でスタッフとしてお会いしている。「野分立つ」は、夫が亡くなった後も同居を続けている嫁と舅を軸にその家族の姿を描いた秀作である。この作品の中にも綾子という短大生の娘が登場する。そこで描かれている母と娘の関係は、母と娘というよりも、母と子という色合いが強い。母娘は対立関係にある訳ではなく、むしろ娘は母親を応援しているといってもいい。そして彼女たちの家族は互いの葛藤はあっても崩れることはない。

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 しかし、今回の「風の季節」の母と娘の関係はかなり様相が違う。母と娘の年令はそれぞれ五十代と三十代という大人の母娘になり、娘は離婚したばかりという境遇である。そして最も大きな点は、この母娘は一緒に暮らしたことがないというところだ。未婚のまま娘を産んだ理恵は、娘日向子を両親に託してひとりで生きてきた。娘に三十五年間で何日一緒にいたのかと問われるほど母娘には距離がある。この二人は肉親同士ではあっても家族ではなかったのである。だから二人はお互いにどう接していいのか分からない。そして分からないながらも一人の女性として互いに向き合わなければならない。
 川崎さんは今回もまた、このような巧みな仕掛けを用いて家族の問題を提示している。それは押しっけがましいものではなく、ウィットに富んだ視線に包まれている。この戯曲の素晴しさを損うことなく造り上げるのが僕ら現場の使命なのだ。そして素敵なキャストと出会えたことを素直に喜んでいる。特に、母親役の高林さんと娘役の鶉野さんの顔合せは、とても刺激的である。山手のお嬢様という感じの高林さんと、ストレートな浪速っ子の鶉野さん。お二人が全然似ていないようで、どこか似ている親子のように見えてきたら成功だと思っている。

5. 高橋広司君の手紙より
 今私は「風の季節」という芝居の稽古に入っています。
 少しねじれた関係になってしまった母と娘の物語。
 軽妙に流れる芝居の時間の中で、親と子のこと、家とか血筋とか、男と女のこと、色々な事を考えさせられます。私はその二人に外部から波風を立たせる人間を演じます。
 そして最後には・・・。見にきて下さった方が、どう感じて頂けるか・・・大変楽しみな芝居です。

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[Last Updated 12/31/2001]