年表 村上春樹の足跡
 編 宮脇俊文

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年代 村上春樹の歩み(*=世相) 長編小説 短編小説 エッセイ 紀行・その他 翻訳
1949 1月12日、京都市に生まれ、その後すぐ兵庫県西宮市の夙川に転居。またその後まもなく芦屋市に転居し、10代の大半をそこで過ごす。          
1961 芦屋市立精道中学校入学。          
1964 兵庫県立神戸高等学校入学。*東京オリンピック開催。          
1968 一年間の浪人生活を経て、早稲田大学第一文学部演劇科入学。          
1969 「『問題は一つ。コミュニケーションがないんだ!』−'68の映画群から」を『ワセダ』に掲載。*機動隊、東大安田講堂封鎖解除。          
1970 *三島由紀夫割腹自殺。          
1971 陽子さんと学生結婚。          
1972 *川端康成ガス自殺。          
1973 *オイルショック。          
1974
(27歳)
国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」開店。*地価の上昇率史上最高を記録。          
1975
(26歳)
早稲田大学第一文学部演劇科卒業。*南ベトナム、サイゴン政府降伏。          
1976 *村上龍「限りなく透明に近いブルー」。          
1977
(28歳)
店を千駄ヶ谷に移転。          
1978 *成田空港開港。ディスコ・ブーム。          
1979
(30歳)
6月、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞。*ソ二ー、ウォークマン発売。 『風の歌を聴け』(7)        
1980
(31歳)
*校内暴力、家庭内暴力急増。 『1973年のピンボール』(7)        
1981
(32歳)
店を手放し、作家業に専念。千葉県船橋市に転居。『早稲田文学』の編集委員に (一年半)。*田中康夫「なんとなく、クリスタル」     『ウォーク・ドント・ラン』(7)『夢で会いましょう』(11)   『マイ・ロスト・シティー』(5)
1982
(33歳)
『羊をめぐる冒険』で野間文芸新人奨励賞受賞。 『羊をめぐる冒険』(10)        
1983
(34歳)
アテネ・マラソンのコースを独自に完走。ホノルル・マラソン参加。*東京デイズニーランド開園。   『中国行きのスロウ・ボート』(5)
『カンガルー日和』(9)
『象工場のハッピーエンド』(12)   『ぽくか電話をかけている場所』(7)
1984
(35歳)
10月、神奈川県藤沢市に転居。*グリコ、森永事件。   『螢・納屋を焼く・その他の短編』(7) 『波の絵、波の話』(3)『村上朝日堂』(7)    
1985
(36歳)
1月、渋谷区千駄ヶ谷に転居。『国文学』にて中上健次と対談。*ファミコン・ブーム。 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(6) 『回転木馬のデッド・ヒート』(10) 『映画をめぐる冒険』(12) 『羊男のクリスマス』(11) 『夜になると鮭は・・・・・・』(7)『西風号の遭難』(9)
1986
(37歳)
2月、神奈川県大磯町に転居。3月、明日香村ひなまつり古代マラソン参加。10月、ローマ、ギリシャヘ。*「新人類」が流行語に。   『パン屋襲撃』(4) 『村上朝日堂の逆襲』(6)『ランゲルハンス島の午後』(11)   『熊を放つ』(5)
1987
(38歳)
6月、一時帰国。10月、国際アテネ平和マラソン参加(89年まで)。*マドンナ、マイケルジャクソンが来日。 『ノルウェイの森』(9)   『‘THE SCRAP’懐かしの1980年代』(2) 『日出る国の工場』(4) 『ワールズ・エンド』(7)『偉大なるデスリフ』(11) 『急行「北極号」』(12)
1988
(39歳)
*リクルート事件。 『ダンス・ダンス・ダンス』(10)     『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』(4) 『おじいさんの思い出』(3)『and Other Stories』(9) 
1989
(40歳)
12月、富士小山20キロレース参加。*昭和天皇死去。平成に改元。坂本弁護士一家失踪事件。宮崎勤事件。東西ドイツ統一。     『村上朝日堂 はいほーー』(5)    『ささやかだけれど、役にたつこと』(4)『名前のない人』(8)『ニュークリア・エイジ』(10)『あるクリスマス』(12)
1990
(41歳)
2月、青梅マラソン参加。3月、小田原ハーフマラソン参加。4月、小笠、掛川フルマラソン参加。5月(〜91年7月)『村上春樹全作品1979〜1989』1〜8巻刊行。12月、富士小山20キロレース参加。*「ドラゴンクエストW」発売、大人気。「バブル崩壊」、「オタッキー」が流行語に。   『TVピープル』(1)  『Paparazzi』(6)  『遠い太鼓』(6)
『雨天炎天』(8) 
『大聖堂』(5)『愛について語るときに我々の語ること』(8)『本当の戦争の話をしよう』(10)『クリスマスの思い出』(11)『ハリス・バーデイツクの謎』(11)
1991
(42歳)
1月、館山、若潮フルマラソン参加。渡米(プリンストン大学客員研究員)。4月、ボストン・マラソン参加。*湾岸戦争。ソ連崩壊。         『頼むから静かにしてくれ』(2)『白鳥湖』(12)
1992
(43歳)
1月、フロストバイドロードレース横田参加。プリンストン大学客員教授に(93年8月まで)。3月、モンマス・ハーフマラソン参加。4月、ボストン・マラソン参加。*中上健次死去。  『国境の南、太陽の西』(10)       『ファイアズ』(9)
1993
(44歳)
7月、タフツ大学へ移籍(95年5月まで)。
12月、富士小山20キロレース参加。*ゼネコン汚職頻発。安部公房死去。田中角栄死去。
        『空飛び猫』(3)『魔法のホウキ』(6)『帰ってきた空飛び猫』(11)
1994
(45歳)
3月、ニューベッドフォード・ハーフマラソン参加。4月、ボストン・マラソン参加。
*松本サリン事件。北海道東方沖地震。大江健三郎ノーベル文学賞受賞。
『ねじまき鳥クロニクル 第1部、第2部』(4)   『やがて哀しき外国語』(2)『使いみちのない風景』(11)   『Sudden Fiction』(1)『まさ夢いちじく』(9)『カーヴァー・カントリー』(10)『Carver's Dozen』(12)『象/滝への新しい小径』(12) 
1995
(46歳)
3月、一時帰国、地下鉄サリン事件のニュースに遭遇。4月、ボストン・マラソン参加。8月、『ねじまき鳥クロニクル』三部作で読売文学賞受賞。9月、神戸と芦屋で自作朗読会。11月、国立ロードレース10キロ参加。12月、富士小山20キロレース参加。*阪神淡路大震災。地下鉄サリン事件。 『ねじまき鳥クロニクル 第3部』(8)  『夜のくもざる』(6)       
1996
(47歳)
l月、館山、若潮フルマラソン参加。小笠・掛川フルマラソン参加。6月、サロマ湖100キロウルトラマラソン参加。12月、クリスマス・マラソン参加。*携帯電話、急速に普及。   『レキシントンの幽霊』(11) 『うずまき猫のみつけかた』(5)  『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(12)  『さよならハードランド』(1)『バビロンに帰る』(4)『ペンの見た夢』(4)『心臓を貫かれて』(10)
1997
(48歳)
l月、館山、若潮フルマラソン参加。4月、ホノルル15キロレース、ボストン・マラソン参加。5月、一人で、西宮から神戸まで歩く。9月、村上国際トライアスロン大会参加。*クローン牛誕生。神戸、児童連続殺傷事件。     『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(6)『ポートレイト・イン・ジャズ』(12) 『アンダーグラウンド』(3)『若い読者のための短編小説案内』(10) 『素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち』(6)『水と水とが出会うところ/ウルトラマリン』(9) 
1998
(49歳)
6月、盲人マラソンホノルル15キロレースに伴走者として参加。10月、こどもの国駅伝参加。11月、ニューヨーク・シティー・マラソン参加。*和歌山、毒物カレー事件。     『夢のサーフシティー』(7) 『辺境・近境』(4)『ふわふわ』(6)『約束された場所で』(11) 『犬の人生』(10)
1999
(50歳)
*世界人口60億を突破。 『スプートニクの恋人』(4)     『もし僕らのことばがウイスキーであったなら』(12) 『最後の瞬間のすごく大きな変化』(5) 
2000
(51歳)
1月、大磯内にて転居。*コンピユータ2000年間題騒動。   『神の子どもたちはみな踊る』(2)       
[出典 総特集 「村上春樹を読む」 ユリイカ 2000.3]

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[Last Updated 11/30/2001]