20世紀の終わりに

破壊から脱出へ
共有する価値観なき時代
  村上 龍(作家)

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 二十世紀最後の年、わたしは何度となく日本の高度成長のことを考えた。戦後日本の高度成長は世界史的に見ても間違いなく希有(けう)なことなのだが、わが国では当然の過去として語られる。実際に高度成長を担った世代は海外や過去と比較するような余裕がなかったし、おそらく今もない。またその後の世代だが、彼らにとって高度成長の達成は自明の事実であり、その画期性に気づきにくい。彼らは家にテレビや電気洗濯機や電気冷蔵庫がやってきた日のことを憶えていない。それらは最初から家の中にあった。
 高度成長は日本を変えてしまったが、それについて語られることが少ないのは、その終焉(しゅうえん)についてわたしたちが自覚的ではなかったこともその理由の一つだろう。マクロ経済学によると高度成長は70年代のどこかで終わっている。高度成長の終焉を戦後の大転換期だと捉(とら)えると、いまだにわたしたちは共有できる価値観を発見できていない。経済的な豊かさを達成したあとに何を求めるのか、という問いに明確な答を見出(みいだ)せないまま二十数年間が過ぎてしまった。

 70年代に大転換期があったにもかかわらずそのことに無自覚だった、という前提に立つと、たとえば今の教育や家族の問題に対し違う角度からの検討が必要になる。現代の教育、あるいは家族の問題は、崩壊、というキーワードで語られる。ダメになってしまった、というわけだ。しかし大転換期から二十数年も経過しているのに旧来のシステムを続けて状況に対応できるわけがない。何かがダメになったり、崩壊しているわけではなく、現実に対応できなくなっているだけなのではないだろうか。
 1980年にわたしは『コインロッカー・ベイビーズ』という小説を書いた。作品のモチーフは破壊だった。小説の最後でわたしは主人公に東京を破壊させた。二十年前、わたしは何を破壊したかったのだろうか。高度成長は終わったのだからそれにフィットしたシステムは破壊しなけれはいけない、とわたしは思っていたのかも知れない。もちろんその後もシステムは変わることがなく、その軋(きし)みはバブル経済で弾(はじ)けた。今年、『希望の国のエクソダス』という作品を上梓(じょうし)したが、集団不登校を起こした中学生がネットビジネスや為替取引で巨額の資金を得て、事実上日本を脱出(エクソダス)するという物語だった。二十年の間に破壊から脱出へと作品のモチーフがシフトしたことになる。

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 今の日本では、破壊は、現実と旧来のシステムが交差する地点で、日常的に発生している。そのことをどう考えるべきなのだろうか。JMMというわたしが主宰するメールマガジンで中学生を対象にアンケートを行った。また、元日放送のテレビ番組のために、不特定多数の人にある質問を試みた。「十年後の自分をイメージできますか?」という質問だった。回答は呆気(あっけ)にとられるほどまともなものだった。「十年後の自分をイメージすると不安を伴うが、十年後のために今を精一杯生きようと思う」という答が多かった。また、「絶対に許せない大人はどんなタイプですか?」というアンケート項目に対し「リストラされたくらいで死ぬやつ」とい答えがあった。中高年の自殺に関し、これほどまともな反応を見たことがない。ただし、この回答で日本人像が明らかになるわけではない。高度成長期との決定的な違いはそこにあって、そこにしかない。街を歩く十数人にインタビューしても、その回答からわかるのはその十数人の考え方だけで、日本人像が浮かび上がることはない。高度成長期には「豊かになる」という確固とした価値観が共有されていたので、街角の一人の意見が一億人の意見を代表することもあった。今は違う。だが、メディアはそういったことに気づいていない。価値観が共有されない時代、不安を感じない人はいない。不安があることを不安に思う必要はない。しかしメディアは、子どもたちが将来に不安を感じていることでうろたえてしまう。健全だからこそ子どもたちは不安をもっているのだ。高度成長の強烈な成功体験は、子どもは大前提的に将来に希望を持っているものだという錯覚をもたらしている。

 近い将来には高度成長を支えたシステム・文脈は消滅するだろう。最初に訪れるのは財政の破綻(はたん)かも知れないし、金属システムのクラッシュかも知れない。いずれにしろすでに破壊には大した意味がない。システムが勝手に自壊するからだ。タイトルに使った「エクソダス」だが、旧来の文脈から個人的に脱出するという意味を持たせるつもりだった。わたしはもうしばらく「脱出の物語」を書き続けるだろうと思う。

 むらかみ・りゅう
1952年長崎県生まれ。76年、『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞。81年、『コインロッカー・ペイビーズ』で野間文芸新人賞。今年、引きこもりの青年を描いた『共生虫』で谷崎賞。上半期から芥川賞選考委員を務める。

 JMM(Japan Mail Media)のホームページはhttp://jmm.cogen.jp/      (出典 朝日新聞 2000.12.28夕刊)

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[Last Updated 5/31/2001]