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目 次
1. 出し物
1. 出し物
2. 幕の構成
3. 配 役
4. 夜の部・解説と見どころ
1.1 河竹黙阿弥作 大杯觴酒戦強者(おおさかづき しゅせん の つわもの)
1.2 木村富子作 猿翁十種の内 酔奴(よいやっこ)
1.3 三世河竹新七作 籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さと の えいざめ)
2. 幕の構成
2.1 大杯觴酒戦強者
序幕 内藤家足軽部屋の場
二幕目内藤家広書院酒宴の場
2.2 酔奴
2.3 籠釣瓶花街酔醒
四幕七場
序幕吉原仲之町見染の場
二幕目第一場 立花屋見世先の場
第二場 大音寺前浪宅の場
三幕目第一場 兵庫屋二階遣手部屋の場
第二場 同 廻し部屋の場
第三場 同 八ツ橋部屋縁切りの場
大詰 立花屋二階の場
3. 配 役
3.1 大杯觴酒戦強者
内藤家足軽原才助
実は馬場三郎兵衛信久 団 十 郎
用人 平岡治右衛門 家 橘
内藤紀伊守信正 段 四 郎
井伊掃部頭直孝 猿 之 助
3.2 酔奴
奴 可内 猿 之 助
浄瑠璃 竹 本 綱 大 夫
三味線 鶴 澤 清 治
3.3 籠釣瓶花街酔醒
佐野次郎左衛門 勘 九 郎
兵庫屋八ツ橋 玉 三 郎
繁山栄之丞 梅 玉
釣鐘権入 弥 十 郎
立花屋長兵衛 又 五 郎
女房おきつ 芝 翫
4. 夜の部・解説と見どころ 林 京平
4.1 大杯觴酒戦強者(おおさかづき しゅせん の つわもの)
大酒家を描いた歌舞伎は多いが主なものをあげると、歌舞伎十八番の『鳴神』の鳴神上人、大酒家というよりは禁酒を破ったために酔いが急激に回ったというべきか。同じ歌舞伎十八番の『勧進帳』の弁慶の呑みっぶりは見事である。義太夫狂言の『五斗三番曳』は、豊臣方の豪傑後藤叉兵衛をモデルにして、泥酔しながら本性を失わない五斗兵衛という酒豪を描く。仇討狂言『天下茶屋』では、酒の誘惑で悪事に走る安達元右衛門という特異な男を働かせる。以上は江戸期の作品だが、明治になって三年(一入七〇)の『慶安太平記』の主人公丸橋忠弥は、「ここで三合かしこで五合、拾い集めて三升ばかり」という酒豪である。六年に初演された『酒井の太鼓』は敵に囲まれた浜松城内で、平然と大酒を呑んで眠ってしまう豪胆な酒井忠継が主人公である。十六年初演の世話物『魚屋宗五郎』は酒で人柄が一変する男の一途な行動を扱っている。そして明治十四年(一八八一)五月、東京猿若座で初世市川左団次の三郎兵衛、市川権十郎の直孝、四世中村芝翫の紀伊守で初演したのがこの『大杯』である。明治期の諸作はすべて黙阿弥であるのは面白い。
『大杯』は名だたる酒豪の井伊直孝が内藤家へ招かれるが誰も酒の相手をするものがいない。そこで日頃大酒といわれている足軽の原才助を俄(にわか)武士に仕立てて直孝の前に出す。才助は五合・七合五勺・一升の三組杯(みつぐみさかずき)も見事に飲み干す。直孝は感服、この場の興に才助の額の傷について問いただした上、彼が武田の旧臣馬場三郎兵衛と見抜く。三郎兵衛は問われるままに大坂の陣での戦物語をする。その折組討した相手が直孝とわかり、奇しき再会に再び酒を酌み交わす。さらに直孝との試合に酔いながらも勝った三郎兵衛は千五百石で内藤家に抱えられる。大杯を飲み干す所から直孝との問答、物語そして生酔いでの試合に武芸自慢の直孝に勝る手腕を示すという、剛毅な人物がよく表現されている。黙阿弥が丸橋忠弥に続いて初世左団次の芸風に合わせて書いただけあって、「一点の申し分無し」と評され、五度も演じた当り役であった。 その後初世吉右衛門、二世左団次も演じたが、前半の軽妙な足軽と後の剛勇な武士との変化が難しく同時に鑑賞のポイントでもある。最も近くは十三世仁左衛門の三郎兵衛、十四世勘弥の直孝で昭和四十八年七月に上演している。直孝もいい役で、六世菊五郎も好演している。今回は団十郎・猿之助と、もちろん初役、それぞれ適役で成果が楽しみである。
4.2 猿翁十種の内 酔奴(よいやっこ)
木村富子作の舞踊で、奴が心持よく酔って軽妙に踊る小品。昭和十六年四月、東京劇場で二代目猿之助(猿翁)の初演。義太夫の作曲は鶴沢道八。猿翁の没後、三代日の現猿之助が父三世段四郎・祖父猿翁の追善公演(昭和三十九年六月、歌舞伎座)で「二代目猿之助十種披露」としてこの『酔奴』のほか『花見奴』『悪太郎』『蚤取男』『吉野山』『独楽』『黒塚』『高野物狂』『小鍛冶』『二人三番叟』と、ほかの演目の役も合わせて猿之助が十五役を演じて話題となった。これを後に「猿翁十種」と改称した。いずれも新しい、動きに富んだ演目が多いのが特色である。文楽座出演による久しぶりの上演である。
4.3 籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さと の えいざめ)
元禄九年(一六九六)或は少し後の享保年間(一七一六〜三五)に、吉原江戸町(えどちょう)一丁目の茶屋で、下野(しもつけ)(群馬県)佐野の次郎左衛門という男が、兵庫屋の抱え八ツ橋という花魁(おいらん)を切り殺したという事件に基づいた複雑な筋の講談によって脚色されたという。明治二十一年(一八八八)五月、東京の千歳座初演で三世河竹新七の代表作。全八幕だが現在では五幕以下が出る。主役の佐野次郎左衛門は初世市川左団次、八ツ橋は四世中村福助(後の五世歌右衛門)、治六と繁山栄之丞に五世市川小団次という配役で好評を得た。
次郎左衛門の痘痕(あばた)は彼の父がかつての妻であった女乞食を惨殺した報い、八ツ橋を殺した妖刀籠釣瓶は、仕込金を奪われそうになったのを救ってくれた都筑(つづき)武助から譲られたという因縁話があって、「吉原仲之町見染めの場」になる。舞台中央に満開の桜の植込みに灯入りの雪洞(ぼんぼり)、左右に茶屋が続く夢のような仲之町、初めて足を踏み入れた次郎左衛門主従は、盛装の花魁九重、続いて八ツ橋の道中に出くわして仰天する。呆然と見とれている次郎左衛門の方を振り返った八ツ橋に艶然と笑いかけられ、身も心も奪われて思わず「宿へ帰るがいやになった」と嘆息を漏らす次郎左衛門、花道での八ツ橋の笑いとともに序幕の見所である。六世(現)歌右衛門は、初世吉右衛門との名舞台をはじめ、その後、白鴎・勘三郎らとも共演して八ツ橋のお手本を示してきた。それらを継いで、二度目となる玉三郎の八ツ橋に、今回は勘九郎が初役で次郎左衛門を演じる話題の舞台である。
情夫繁山栄之丞との関わりから、仲間を連れて自慢に来た次郎左衛門に愛想づかしをする八ツ橋は不自然ともとれるが、遊女の立場からすれば止むを得ない行動だった。そのどうにもならない情けない気持ちを、部屋を去る時「つくづく嫌になりんした」というせりふに込めるのだという。次郎左衛門の無念さは「そりや花魁ちと袖なかろうぜ……」以下の名台詞で切々と訴える。栄之丞は梅玉だが、悪人にならないで釣鐘権入にそそのかされてのぼせ上がる、世間知らずの人のいい人物で、只の色男でないところが難しい。治六は東蔵、立花屋夫婦の又五郎・芝翫が重みを見せる。
(出典 十二月大歌舞伎 プログラム 歌舞伎座)
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[Last Updated 5/31/2001]