鉄格子

写真(ゲンツ大統領)

ゲンツ現ハンガリー大統領
(「鉄格子」の作者)

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    目 次

1. ものがたり
2. スタッフ
3. キャスト
4. 「幸運」な出会い
5. 作者の言葉
6. 高橋広司

1. ものがたり
 ある時代の、ある国の、あるイデオロギー体制の、ある大統領の覇権下で起こるはなし。
 エマニュエルは、刑務所に十年間留置されている。罪名は大統領侮辱罪。エマニュエルは実は大統領と親友であり、かって二人は革命運動の同志であった。この革命運動は詩歌を中心とする文芸を武器とし、民衆の広範な支持を得ていた。現在の国歌も、革命運動のさなかにエマニュエルが創作したものである。
 しかし今日では、現大統領自ら創作したものとされ、彼の輝ける業績のシンボルとして、教科書にも書かれている。エマニュエルはこれを認めず、あくまで自分が創作したものだと主張したために、大統領侮辱罪に問われたのである。
 彼は拘留期間中も、トイレットペーパーに詩を書き、囚人たちをオルグし、革命運動を歪めた大統領への抗議の声を上げさせていた。しかし、ある日突然エマニュエルは大統領特赦で釈放される。
 新しい家には妻ドロレスが待っていた。この家は、大統領から与えられたもので、大統領官邸からは家具や什器備品が、次々と届けられてくる。10年ぶりに再会するエマニュエルとドロレス。だがエマニュエルは、この家のすべてのものが大統領からの贈り物であることを知り、落ちつかない。一人息子のチップも、大統領の肝いりで海軍士官に取りたてられたことを知る。
 不安にかられたエマニュエルは、かっての同士であるベイアータをこの家に呼び出す。ベイアータは、エマニュエルが裁判にかけられて、精神鑑定の証言を求められた時、エマニュエルは正気だと証言した過去を持つ。過去を精算して、新しい生活を始めようというドロレス。昔の誇りを取り戻し、革命運動の闘志であることを望むベイアータ。2人にはさまれ揺れ動くエマニュエルの思考は混乱し、絶望感がつのってくる。彼はついに食べることを否定し、与えられた社会的自由を拒絶する。周りのすべてに抗議するエマニュエルは、断食を続け、刑務所に戻りたいと叫び続けて、ついには精神病院に運ばれてくる。そこには若い院長の女医と医者が居た。
 やがて病院に大統領官邸から電話が入り、10年ぶりにエマニュエルと大統領は再会する。大統領はエマニュエルに、これまで親友の君を母親のように心配して来たと語り、たしかに革命の種まき期において君は有能であったが、その収穫期にあたってはむしろガンのような存在だと語り、あの国歌は大統領自身が創作したものだということを認めよと迫る。だが、エマニュエルは頑にそれを拒絶し、ついには怒り狂って大統領の首を絞めようとする。すべての事情を知った女医は、エマニュエルの正常を認め、彼の詩作のための居場所を、同じ精神病院の中に作ってやろうとする。あたかも其処だけ本当の自由が存在し、彼の心の純粋な活動を保証してくれるようであった。

2. スタッフ
作    = ゲンツ・アルパード
訳   =平川大作
演 出 = 貝山武久
美 術 = 滝 善光
照 明 = 増田隆芳
音 響 = 深川定次
衣 装 = 宮本宣子
舞台監督= 廻 博之
演出補 = 和田喜夫
制 作 = 浜 逸雄
制作補 = 平木典子

3. キャスト
エマニュエル 山本 亘
ドロレス    稲野和子
ベイアータ   藤堂陽子
少 佐     醍醐貢正
検事1     高瀬哲朗
検事2     鵜澤秀行
女 医     白井真木
大統領     早坂直家
警察大臣   高橋広司

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4. 「幸運」な出合い  貝山 武久(演出家 メープルリーフシアター日本・ハンガリー友好演劇上演委員会代表)
 劇作家としてのゲンツ・アールパード氏の戯曲には、ギリシャ悲劇をモチーフとして、そこにハンガリー的現実や自己の心象風景を重ね合せた「ハンガリアンメディア」や「ペルセポネ」といった秀作があるが、なかでもこの「鉄格子」の存在感が光る。
 既に知られているように、ゲンツ氏は1956年に起きたハンガリー事件(ハンガリーの現代史では"革命"であるが)の二年後、駐留するソ連軍の撤退を、インド政府へ仲介を依頼した容疑で逮捕され、即決裁判で死刑になるところを、インド政府の抗議で無期懲役に減刑された。そしてその六年後に特赦で釈放される、というまさしく劇的な体験をもとにこの作品は描かれた。当然、当時の社会主義の暗部としてスターリン主義的独裁への批判が、根底にあったろうことは想像出来た。
 初め私たちは、この作品の中から、何とかしてハンガリーの史実を読みとろうと試みた。だがその方法では、この作品の総体を把握し得ないことに間もなく気づかされた。出版検閲に対する意識もあってか、時、ところを特定しない描き方になっているからである。ある個所はスペインふう、ないしはメキシコふうであり、ある個所はアフリカ大陸ふう、といった具合にである。第一、エマニュエルや、ドロレス・ベイアータといった登場人物の名前からしてラテン系民族の名前である。
 リアリズムを避けて、すべてを寓意性の中に封じ込める。此処において劇作家としてのゲンツ氏の力量が発揮されることとなる。主人公を詩人とし、国歌の創作の真偽をモチーフとしたことで、より寓意性が強まつた。てして実はそのことが、テーマの普遍性をもたらし、どの国の、いつの時代にも通用する人間のドラマこして、今日性を有す作品になったのだと思う。事実世界の各地でこれまで上演されてきている。
 ヨーロッパ諸国には、いわゆる文化人・政治家が多く輩出しているが、ハンガリーの隣国チェコの大統領バーツラフ・ハヴェル氏も劇作家として著名な方である。人間社会の最大公約数の幸福をめざす、政治というものの理念と、政治や制度といった網の目から漏れた、それだけでは救済し切れない「人間」の問題を描く文学と。両者の矛盾をこれらの文人政治家たちがどのように調和しようとしているのか、甚だ興味深いところであるが、おしなべて文人政治家たちには、人間的な魅力があって人気度は高い。ゲンツ大統も国民から「パパ」と呼ばれて慕われていると聞く。
 ひるがえって我が国の政治家の果たして幾人が、国民から慕われているのだろうか。
 二年前、文化座が、ハンガリーの生んだ世界的な劇作家モルナール・フェレンツの「リリオム」を上演した。それが機縁で日本・ハンガリー友好協会やハンガリー大使館と知り合い、今回のフェスティバルの「現代劇」上演部門を委嘱された。それが私たち友好演劇上演委員会にとっての幸運のはじまりで、所属する日本演出者協会と国際演劇協会(ITI)が快よく後援の労をとってくれた。
 二つ目の幸運は、文学座囲碁クラブの末席に連なっていたのが縁で、浜逸雄さんがプロデューサーの任を引き受けてくれ、山本亘さんを初め、稲野和子、藤堂陽子、早坂直家、鵜澤秀行、高瀬哲朗、醍醐貢正、高橋広司といった気鋭で実力のある、かねがね私が是非一度、仕事で御一緒させて頂きたいと願っていた俳優さん達と、それもほぼイメージキャスト通りにお願いすることが出来たこと。そして文化座から参加してくれた斎藤三勇さんや、朝の会の塚田一彦さん、前にも一緒したことのあるフリーの白井真木ちゃん。そして今回、一人何役もで大活躍する若者たち七人組。これらの人々と出会えたことが何といっても大きい。文学座系の出演者が多いところから「今どきは本家でもなかなかこれだけメンバーは集まらないよ」の冗談も飛びかったりして、稽古場に笑いが絶えない。スタッフも皆気心の知れた人達ばかりで、寄り合い世帯のわりにはスムーズな稽古が出来た。これが三つ目の幸運だ。そして四つ目は勿論、本日お集りいただいたお客様との、出合いの幸運である。
 今回の「鉄格子」の公演を機に、日本とハンガリー間の交流が、これ迄にも増して大きく広がって欲しいと強く願うのは、演劇というものが、人間同士のコミュニケーションを語るうえで、最も有効な手段であると、信じるからでもある。ともあれ、間もなく大統領を退任され、一作家に戻ったゲンツ氏と、気軽に演劇論を語り合える日が、再び訪れることを、心待ちしている。

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5. 作者の言葉
 「鉄格子」は東欧で起きたことが基になっています。此の作品について最も心を打たれた思い出はこの作品がアルバニアで上演された時のことです。暖房のない劇場で観衆が冬のコートを着たまま一生懸命見てくれました。そこには政府の高官達もいました。普通、劇場にいる政府の高官は泣いたり、笑ったり、感情を表すことを恥じるのですが、この時は上演後5分後にはもう劇場にいるすべての人がこの戯曲と一体になっていました。アルバニアの人達にとって、この戯曲の中の全てが現実だったのです。かれらはスターリン主義の独裁体制を経験していましたから。アルバニアでの演出は私が書いた戯曲よりも生々しく、そして私が書いたものよりも風刺が少なかったのです。
 この作品の基礎にあるのは、反独裁主義ですが 2000年4月の日本上演では、東欧のような独裁体制の経験のない日本人たちがどのように受け止め、考えるのかに大変興味があります。
                           ゲンツ・アールパード

=3月に都市出版から発行予定の「BUDAPEST1956」(原作者チェテ・工ルシュ)の中の糠沢和夫駐ハンガリー大使のゲンツ大統領インタビューより=
主催:ハンガリー・フェスティバル組織委員会・日本ハンガリー友好演劇上演委員会・日本演出者協会

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6. 高橋広司
写真(高橋広司)  4月6日生まれ B型
 1988年のアトリエ公演『作者を探す六人の登場人物』が初舞台の劇団文学座の中堅。以降、劇団の公演には『近松女敵討』『十二夜』『恋と仮面とカーニバル』等に出演し、多彩な役を演じてきたが『翔べないカナリア』で演じたゲイの役にそれまでにない新鮮さと楽しさを味わったという。現在はまだ大変なことばかりで、求めた目標に到達することは数少ないが、立った舞台の中で役をとおして生きていることが感じられたときに、喜びを感じるという。それに、芝居の楽しさに、役を創っていく過程と板の上で自由に呼吸できるときを挙げる。

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[Last Updated 5/31/2001]