「長崎の鐘」

    目 次

1. はじめに
2. キャストとスタッフ
3. あらすじ
4. 「長崎の鐘」の鬼気迫る異様な迫力
5. 感 想

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1. はじめに
 友人の高橋君から、息子の広司君が出演する「長崎の鐘」のホームページを更新したから見て欲しいとのメールが入りました。暫くして広司君自身から案内のメールが来ました。それが岡部企画プロデュースの「長崎の鐘」で、広司君は主役の永井 隆を演じます。そこで6月5日、新宿の紀伊国屋ホールに見に行きました。今回の公演は、岡本耕大作・演出です。我々の世代は永井 隆さんの「長崎の鐘」や「この子を残して」を知っています。そこでどのように脚色・演出されるのかに関心があります。もちろん、広司君の永井隆役にも興味があります。

2. キャストとスタッフ
[キャスト]
  永井 隆        高橋広司
  地元徳三       服部博行
  秋月辰一郎      岡部大吾
  永井緑・大田みどり 藤崎あかね

[スタッフ]
 作・演出   岡部耕大

3. あらすじ
 この物語は昭和20年8月8日の「永井隆」の家から始まります。幸せな家庭、質素な妻緑とのユーモア溢れる会話。研究室の女の子が「先生は昼間も奥さまから抱かれているのね」といったエピソードを「元冠」の地鷹島生まれの徳三とサチに語る永井隆。家族の衣類はみな妻の手製だった。永井隆の靴下からワイシャツ、オーバーに至るまで、妻がこつこつ丹念に仕立てたものでした。緑は白粉をしませんでした。
 その日、緑はにこにこ笑いながら永井隆の出勤を見送りました。永井は弁当を忘れたことに気がついて家へ引き返します。妻の緑は玄関で泣き伏していました。永井隆は研究室で取り組んでいた放射線の障害を受けて白血病に掛っていたのです。それが別れでした。
 8月9日長崎に原爆投下。久松シソノはその地獄図を語る。3日目、死傷者の処置をして永井隆は家へ帰った。ただ一面の焼灰。台所のあとには妻の緑の黒い塊がありました。傍には十字架の付いたロザリオの鎖が残っていました。
 復員した吉持東吾や古江修一、清水実医師、宮園明。徳三は永井隆に天主堂の廃墟から聖鐘を探し出すことを提案します。ユーモアに富んだ永井隆の励まし。昭和20年11月23日、合同追悼祭での永井隆の弔辞は人々の胸を打ちます。
 天主堂の廃墟から聖鐘を探し出し、杉丸太3本を組み合わせた鐘楼に吊り下げ、1945年のクリスマスの夜のミサから再びこの鐘が鳴りだす。50メートルの鐘塔から落ちた鐘は煉瓦の底で割れてはいなかった。
 鐘が鳴る。暁のお告げの鐘が廃墟となった天主堂から焼け野原に鳴り渡る。
 永井隆は臨終します。死に顔はかすかな微笑みをたたえて静かでした。永井隆は「浦上の聖人」と呼ばれ、多くの人から驚異の目で見られていました。しかし、本人が執筆した多くの著書からもわかるように、その生き方はとても人間的で、逞しさに溢れていました。多くの人が永井隆を慕って集まって来ます。永井の恩師が「無一物処無尽蔵」の軸を持って来ます。戦災孤児の元締め愚連隊の働かずの吾一、松浦潟の世間を捨吉と、娼婦の闇市のマリア・千代が永井隆を脅迫に来ます。戦災孤児論争となり、吾一と捨吉は永井隆の信奉者となります。千代も永井隆の言葉に心を打たれます。また、被爆医師で永井の直弟子秋月辰一郎との不思議な因縁と対立。ユーモア溢れる二人の想いと言葉と心情はそれぞれの心根に迫るものでした。

「人類よ。戦争を計画してくれるな。原子爆弾というものが存在する以上、戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ。戦争をやめてただ愛の掟に従って相互に助け合い、平和に生きてくれ」

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4. 「長崎の鐘」の鬼気迫る異様な迫力  浦崎浩実(劇評・映画批評)
  岡部耕大の新作「長崎の鐘」の異様な迫力に、心打たれている。もとより、氏の作品はこれまでも常に劇的緊迫と人間的慈悲を湛え、観客の胸を打ってきたのだが、この新作の台本を読みながら、作者のただならぬ志をしきりに感じずにはいられなかった。
 本作の主人公、永井隆のヒューマンな在りようはかつて映画になり、歌になって、日本中を風靡した。「長崎の鐘」(1950年製作)、「この子を残して」(83年)などの映画作品があるが、余談ながら「この子を残して」の木下恵介監督は以前、海外メディアに、広島長崎の原爆投下に感想を求められて仕方がない″と発言。その軽はずみな言葉を悔いて、この題材を取り上げたのでは、とも言われている。
 今、つい題材″と書いたが、岡部耕大「長崎の鐘」は題材というような他者性のものではなくて、死者になり代り(と言わんばかりに)、原爆投下の理不尽さ、人と街の被害を目に見えるような鬼気迫る言葉で吐き出していく。永井のカトシリズムと、秋月辰一郎の浄土真宗の双方から生死(しょうじ)観も持ち出されるが、といって、重い″だけの劇では決してない。「永井先生は楽屋に放り出された浄瑠璃人形のごとくくたくたになるまで働きよらすとよ」という台詞があるが、ユーモアを含むだけでなく、長崎弁による台詞の応酬は浄瑠璃の修辞のようにリズミカルで、カタルシスをもたらしてくれるはずである。
 そして歌謡曲「長崎の鐘」への敬意が私を驚かせた。この嫋々(でふでふ)たる大衆的な曲を讃美歌と同格とする氏の柔らかな感性。因みに作曲者の古関裕而、岡部氏の師匠・岡本喜八の墓が「春秋苑」(浄土真宗本願寺派)にあり、岡部宅のご近所なのである。岡部氏の魂はいつも死者とともにあると思われる。
 「長崎の鐘」は岡部演劇の新境地となった。
(出典 長崎の鐘のリーフレット)

5. 感 想
 高橋広司君の出演する芝居は、約1年振りで見ました。主題が「長崎の鐘」という身近なものだったので、安心して見られました。若い観客が多かったようですが、永井隆の名前も知らない世代だと思います。
 長崎の記念日が今年も巡ってきて、このような主題は宗教や思想には関係なく、語り継がれて行くべきでしょう。
 高橋君の主役は熱演だと思います。

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[Last Updated 7/31/2010]