「村上春樹 ロング・インタビュー」

   目 次

1. はじめに
2. 本の目次
3. 概 要

 [第1日]
 [第2日]
 [第3日]
4. 読後感


「考える人」2010年夏号
新潮社
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1. はじめに
 話題作「1Q84」のbook1〜book3を読み終わったとき、この季刊誌が発売されました。 村上春樹さんがこのようなインタビューに応じるのは、珍しいことなので、発売を待つようにして読みました。
 著者の作品に対する考え方や、過去の作品についても語っており、知っていただく価値があると感じました。

2. 本の目次
村上春樹 ロング・インタビュー P.13〜P.101(グラビア頁込み)
聞き手 松家仁之(まついえ まさし 新潮社)、撮影 菅野健児

目 次(Cの項目はページの中央に書かた文章で、そのページで強調したい内容です。ページ数のある項目が章立てです。)
[1日目]
1人称から2人称へ P.20
C 書き終えたとき、リアリズムはもう十分だと思いました。もうこういうのは二度と書きたくないと。
『ノルウエイの森』のこと P.21
僕と鼠の物語の終わり P.23
C 中央公論社の「世界の歴史」なんかおもしろくて、中学から高校にかけて全巻何度も繰り返し読みました。
歴史少年だったころ P.24
物語の間口と奥行き P.25
プリンストンへ P.27
「第三の新人」講義 P.28
C フィクションにするにはまだ早すぎるし、生々しすぎるし、あまりにも大きな事件すぎる
『アンダーグラウンド』と『サハリン島』 P.29
『アフターダーク』と『1Q84』 P.29
C 1984年という時代の日常にはコンピュータもインターネットも携帯もないんです。
『1Q84』はいかに生まれたか P.32
クローズド・サーキット P.33
手を握りあう P.35
物語を掘りだす P.36
文体が支える P.37
BOOK3 P.40
C もし3を書くとしたら、これはほとんど動きのない話になるだろう。それは最初からわかっていました。
C BOOK3は、できればじっくり時間をかけて読み返してもらえるとありがたいなと思います。
女性たちとセックス P.42
「1Q84」という世界 P.44
パラフレーズすること P.46
C だからほんとに頭のいい人は、小説なんて書きません。こんな効率の悪いことは、とてもやっていられないから。

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[2日目]
プリミティブな愛の力 P.51
『静かなドン』から始まった P.52
話し言葉と語りの力 P.53
メタファーの活用と描写 P.54
C すごく美しいすぐれた描写だけど物語的にはあまり意味はない。だけどそういう部分がしっかり重しになっている。
BOOK4の可能性 P.55
近過去の物語 P.56
十歳という年齢と偶然を待つこと P.59
C だからこそ二人は、どちらも自分から動くことはなく偶然の到来をじっと待っていたんです。
父的なものとの闘い P.61
漱石のおもしろさ P.62
C もし関西の大学に行っていたら、かなりの確率で小説なんか書いていなかっただろうと思います。
芦屋から東京へ P.63
心理描写なしの小説 P.66
自由であること、個であること P.67
時間が検証する P.68
十歳で読書青年に P.72
C 勉強って好きになれなかった。あまり意味ないと思っていたから。だって、つまんないんだもの。
芦屋のころ P.73
19世紀的な小説像 P.75
C こんな話、それまではあり得ないですよね。小説というものの常識を完全にひっくり返してしまった。
自我をすっぽかす小説 P.77
長距離ランナー P.78

[3日目]
リスペクトの感情 P.82
古典の訳し直し P.83
C 小説家の資質として必要なのは、文体と内容とストラクチャーです。この三つがそろわないと、大きな小説を書くことはできない。
サリンジャー、カポーティをめぐって P.85
カーヴァーの新しい境地 P.87
20世紀の小説家の落とし穴 P.88
アメリカの出版界 P.90
オーサー・ツアー P.94
全米ベストセラーリスト P.95
エレサレム賞のこと P.96
短編小説と雑誌の関係 P.98
今後のこと P.98

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3. 概 要 −−は聞き手の発言です。
[1日目]
1人称から2人称へ P.20
 書こうとする物語が大きくなりすぎて、一人称だけではカバーしきれなくなってきた。本当に長い小説で一人称というのは、そんなにないと思いますよ。
C 書き終えたとき、リアリズムはもう十分だと思いました。もうこういうのは二度と書きたくないと。
『ノルウエイの森』のこと P.21
 『ノルウエイの森』はもともと250枚ぐらいの、さらりとした小説にするつもりだったけど、結局長編になってしまった。書き終えたとき、リアリズムはもう十分だと思いました。もうこういうのは二度と書きたくないと。それは自分の中をさらうという感じがないのです。書き終えて自分が変わったかというと、そういう実感がありません。
僕と鼠の物語の終わり P.23
 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)を書き終えて、86年からヨーロッパに行ったんですね。3年間ヨーロッパに滞在して、『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』、それから『TVピープル』(1990)に収録した短編をいくつか書きました。30代の後半から40直前のこの時期、海外に住んでいたせいもあって、余計な気をつかうことなく集中して仕事ができたわけですが、僕にとって大きな転換期でした。
C中央公論社の「世界の歴史」なんかおもしろくて、中学から高校にかけて全巻何度も繰り返し読みました。
歴史少年だったころ P.24
 中央公論社の「世界の歴史」なんかおもしろくて、中学から高校にかけて全巻何度も繰り返し読みました。だからプリンストン大学にいるとき『ねじまき鳥クロニクル』を書き始める前に、プリンストン大学の図書館でノモンハン事件の資料に当たるのも、ごく自然の成り行きでした。
物語の間口と奥行き P.25
 『ねじまき鳥』を書き終えたとき、これで自分がメイントラックに乗っかったという実感がありました。
 僕にとって『ねじまき鳥クロニクル』のなかでいちばん大事な部分は「壁抜け」の話です。
 どうして「壁抜け」ができたかというと、僕自身が井戸の底に潜っていったからです。深く潜って、自分をどこまでも普遍化していけば、場所とか時間を超えて、どこか別の場所に行けるんだという確信を得られた。つまり主人公の「僕」が井戸の底に降りて石の壁を抜けるというのは、作者である僕自身が実際にその壁を抜けたことのアナロジーでもあるんです。空間と時間を移動する視線を獲得できたことは、小説家としてとても大きなことでした。
 『ねじまき鳥クロニクル』くらいでやっと、自分でも納得のいくサイズの物語世界をつくることができた。
 僕が「物語」という言葉を使って話をして、話がすっと通じるのは、河合隼雄先生くらいでした。
プリンストンへ P.27
 −−91年からいらしたプリンストンは、村上さんにとっての大きな転機だったのではと思います。まず第一に、『ねじまき鳥クロニクル』を書き始められたこと、もう一つは河合隼雄さんと初めて会われたこと。
「第三の新人」講義 P.28
 第三の新人の短編をまとめて読みながら一週間分の講義ノートを作り、提出されたペーパーを読んで採点して、とにかく準備だけでもすごく大変だった。

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 プリンストンには、2年の契約を特別に延長してもらって2年半いて、そのあとタフツ大学に呼ばれてケンブリッジに2年。計4年半アメリカで暮らして、95年に帰国しました。
 学期の終わりを区切りに6月で帰国しようと決心したのは、やはりあの二つの事件(阪神大震災と地下鉄サリン事件)があったからです。戦後50年目の節目で、日本は確実に転換しつつあるんだという実感がありました。僕は日本の小説家だし、日本を舞台にして日本人を主人公とした小説を書いているんだから、自分の目でその変化をしっかり見届けたいという気持ちが強くありました。
C フィクションにするにはまだ早すぎるし、生々しすぎるし、あまりにも大きな事件すぎる
『アンダーグラウンド』と『サハリン島』 P.29
 『アンダーグラウンド』を書くにあたって、最初に思ったのは、これはフィクションにすべきではないということでした。フィクションにするにはまだ早すぎるし、生々しすぎるし、あまりにも大きな事件すぎる。
 チェホフの『サハリン島』はとてもいい本ですよ。それとはくらべものにならないけど、『アンダーグラウンド』の場合も、人の話をしっかり聞いて、それを公正に記すことによって、僕自身の怒りなり悲しみなりを表出していこうと努めました。
『アフターダーク』と『1Q84』 P.29
 『神の子どもたちはみな踊る』(2000)で初めて全面的な三人称の世界になりました。これを書くことで、短いものなら三人称で書けるという確信を得たのです。
C 1984年という時代の日常にはコンピュータもインターネットも携帯もないんです。
 『1Q84』を書いてつくづく不便に思ったのだけど、1984年という時代の日常にはコンピューターもインターネットも携帯もないんです。
 僕の場合は、題から始まる小説と、あとから題をつけるのに苦労する小説があるけれども、これは完全に題から始まった小説です。
『1Q84』はいかに生まれたか P.32
 青豆と天吾を交互に出していこうと思いついた時点で、これは平均律のフォーマットでやろうと決めたんです。まず名前を決めたんです。あとは出だしです。首都高速が渋滞になったとき、車を停めて、非常階段を降りていった人がいたという話を、ニュースで耳にしたことがあったんです。
 第1章を書き終えて天吾の第2章になったところて、さあ、天吾という男性はいったいどんな人間で、何をしているのだろうと考えます。彼も何か個人的な問題を抱えているらしい。そしてその話がどこかで青豆と結びついてくるはずだ。たとえばこの二人は、昔別れたきり、お互いを強く求めあっているのかもしれない。
 そういういろんな思考の断片やら記憶やらを、穴に投げ込むみたいに片端から投げ込んでいく。すると自然に話が動いていきます。この段階では自発的というのが大事なんです。
クローズド・サーキット P.33
 オウムの裁判では、主に林泰男の公判に通っていたんだけど、生身の人間を目の前でずっと見ていると、事実は余りに重いです。僕がそのときに肌身で感じたいろんな生の感情、印象、困惑みたいなものをぜんぜん違うかたちに作り替えていくしかない。
 ただ『1Q84』の場合でいえば、ストラクチャー(構造)そのものに、そのモチーフが持ち込まれているんじゃないか。そんな気がします。
 僕が問題にしているのはもっと内的というか、精神的な状況です。オウム事件が引き起こされた、あるいはオウム事件がもたらした、プレオウム、ポストオウムの心的状況、おそらく我々一人ひとりの心にも潜んでいるはずのそういう暗闇のようなもの、僕が問題にしたかったのはそういうものです。
 たとえば麻原は、教団の人間になにかを強制しようとするとき、まず彼らが個々の判断を下せないように訓練します。絶対帰依、と彼らはそれを呼びます。僕はそれを「クローズド・サーキット」と呼んでいます。サーキットを閉鎖してしまってそこからは出さずに、上が判断したとおりの方向に、ネズミみたいに走らせる。そこで人は方向感覚を奪われ、強制する力が善であるか悪であるかということすら判断できない状況に追い込まれます。
 いまのように情報があふれかえっインターネット社会にあっては、自分が今何を強制されているかすら、だんだんわからなくなっている。
 青豆は、自分のまわりで世界を閉鎖させまいとする意志がきわめて強い女性です。子どものころ、彼女は親によって「証人会」という宗教団体の世界に閉じ込められ、信仰を強制されていた。でも十歳のときに天吾と手を握りあったことがきっかけになって、そこから抜け出そうと心に決めます。そのときサーキットが開けるんです。
 天吾にも自分自身を開いていかなくてはという思いは強くあります。
 その二人が『1Q84』という世界をそれぞれにどのように生き抜いていくか。システムの中で個人を貫くという、孤独きわまりない厳しい作業に耐えながら、どのようにして心の連帯をいま一度手に入れるか、『1Q84』は、結局そういう流れの話だと思うんです。

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手を握りあう P.35
 体の芯に、簡単にはさめないたしかな温もりがあること、そのフィジカルな質感がそなわっていること、それが大事だと思うんです。
 天吾も青豆も、十歳のときに互いの手をしっかり握りあったことで、体の芯の温もりみたいなものを獲得することができた。
物語を掘りだす P.36
 物語という穴を、より広く、深く掘っていけるようになってから、自分を検証する度合いもやはり深くなっています。
文体が支える P.37
 Book3を書くとなると、これは文章の力で持っていくしかないと思ったんです。1、2とはまったく違う文体で、文章を絞りに絞って書かないといけない。
BOOK3 P.40
 BOOK1、BOOK2は平均律クラヴィーアを踏襲しているわけだけど、BOOK3は三人のボイスで進行していく話で、なぜそういう書き方が可能になったかというと、三人称で書けたからです。
C もし3を書くとしたら、これはほとんど動きのない話になるだろう。それは最初からわかっていました。
CBOOK3は、できればじっくり時間をかけて読み返してもらえるとありがたいなと思います。
女性たちとセックス P.42
 自分のなかの女性性みたいなものを、「これかな」と思って突っ込んで追求していくと、すごく面白いものが出てくる。それも女の人を僕なりに生き生き描けるようになってきたひとつの理由かもしれません。深いところまで物語を掘っていくと、そういうものが自然に出てきて、動き出すんです。
「1Q84」という世界 P.44
 僕が小説家をやっていていちばんおもしろいと思うのは、自分でそういうのができること。アナロジー、シンボル、メタファー、そんなものをどんどん穴に投げ込んで、現実のものにしてしまうことなんです。
パラフレーズすること P.46
 僕の小説を読み解こうとして、そこに謎なり質問なりがあるるるとしたら、その謎なり、質問なりを、別の謎なり質問なりにパラフレーズすることが、一番正確な読み取り方ではないかと思います。
C だからほんとに頭のいい人は、小説なんて書きません。こんな効率の悪いことは、とてもやっていられないから。

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[2日目]
プリミティブな愛の力 P.51
 『1Q84』の中心主題は、違う世界に行くことですね。いまここにある世界とどう違うかというと、一番大きな違いは、そこがよりプリミティブな世界であるということなんです。そこでは宗教もより原始宗教的な傾向を帯びていくし、人と人とのコミュニケーションもより直截的になります。
 愛についても同じことが言えます。その根源にある単純さを頭から信じ、それを損なおうとする何ものかにフィジカルに立ち向かえる力を持つ、筋肉をそなえた愛でなくてはいけない。
『静かなドン』から始まった P.52
 僕が最初に読んだ長編小説はショーロフの『静かなドン』なんです。あれは19世紀ではなく、20世紀前半の小説ですけどね。
話し言葉と語りの力 P.53
 ふかえりの父である「さきがけ」のリーダーは、イエス・キリストがそうだったように自分では何も書き残そうとしない。しかし青豆との対決シーンをみると、語りかける力、悪魔的ともいえるオーラリティー、話し言葉の力を持った人物だと思います。
メタファーの活用と描写 P.54
 地の文では説明のかわりになるべくメタファーを用いて、パラフレーズを構造的に積み重ね、描写すべきものごとの多くを別の何かに預けてしまうというのが、僕の小説文体の特徴のひとつかもしれません。
 時には部分的にはということですが、意図して文章をとめて、徹底的に描写をおこなうこともあります。
C すごく美しいすぐれた描写だけど物語的にはあまり意味はない。だけどそういう部分がしっかり重しになっている。
BOOK4の可能性 P.55
 『1Q84』に続編があるかどうかよく聞かれるんだけど、いまの段階では僕にもわかりません。
 『1Q84』のBOOK4なりBOOK0なりがあるかどうかは、いまは僕にも何とも言えない。ただ、いまの段階で言えるのは、あの前にも物語はあるし、あのあとにも物語があるということです。
近過去の物語 P.56
 僕が興味を持てるのは、言うなれば近過去です。近過去というのは、今はこうだけど、ひょっとしたらこうなっていたかもしれないというさかのぼった仮定です。それによってもたらされる現在の事実の作り換えです。そういうほうが僕にはずっとおもしろい。
十歳という年齢と偶然を待つこと P.59
 十歳という年齢に設定したのは、性的な要素が入ってくる前の年齢にしたんです。女の子で言えば生理が始まる前、男で言えば精通が始まる前の年齢。そういうのが始まると、新たな要素が入り込んでくる。
 天吾と青豆の二人は、劇的な、圧倒的な物語性のなかで自分たちが出会うべきだと感じていた。そうすることによってしか、自分たちは有効に救済されないんだと。だからこそ二人は、どちらも自分からは動くことなく偶然の到来をじっと待っていたんです。
C だからこそ二人は、どちらも自分から動くことはなく偶然の到来をじっと待っていたんです。
父的なものとの闘い P.61
 父性というのはつねに大事なテーマでした。現実的な父親というより、一種のシステム、組織みたいなものに対する抗力を確立することは、大事な意味を持つことだった。

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漱石のおもしろさ P.62
 漱石で好きなのはなんといっても『三四郎』『それから』『門』の三部作。どうしても好きになれないのは『こころ』と『明暗』。
 『それから』とか『三四郎』なんかは、読んでいて唖然てするところがあって、そういうところが僕にはおもしろいし、好きなんです。
C もし関西の大学に行っていたら、かなりの確率で小説なんか書いていなかっただろうと思います。
芦屋から東京へ P.63
 18のときに東京に出てきて、早稲田に入ったわけだけど、もし関西の大学に行っていたら、かなりの確立で小説なんて書いていなかったろうと思います。
 東京に出て来て、それで小説がかけるようになったのかなと思うもう一つの理由は、言葉の問題です。東京では完全に東京の言葉でしゃべっています。それは結局のところ、第二言語なわけです。僕はそういう切り換えが早いんです。第二言語を使って生活をしていると、頭が重層化する。それで自然に言語性ということを意識するようになった。第二言語を使って小説を書くことができるかもしれないと、ふと思ったんですね。
心理描写なしの小説 P.66
 ともかく小説を書くということ自体が、僕としてはそもそも恥ずかしかったわけだけど、なにがいちばん恥ずかしかったというと、要するに心理描写みたいなことなんです。
 でも大学時代にリチャード・ブローティガンとかカート・ヴォネガットとかを読んだことで、心理描写みたいなことなしでも小説はまっとうに書けるんだと、目をひらかれたんです。
自由であること、個であること P.67
 自由になりたい、個人になりたいという思いが僕には強くあり、物語の中でも主人公が個人であること、自由であること、束縛されていないことがなによりも重要だった。
時間が検証する P.68
  外国では、ムラカミ以外のだれにも書けない世界がここにあるとか、作品のオリジナリティが評価されることが多いです。そう言われると僕としてはなにより嬉しいです。でも日本では、褒められるにせよ、けなされるにせよ、僕の書いているものがオリジナルだということは、僕の知る限りほとんど言われていない。
 でもいちばん大事なのはおそらく、信頼関係ですね。僕が時間をかけて丁寧に、手抜きなく仕事をしているということを、これまで僕の本を買って読んでくれている人はたぶん感じてくれているし、そういう長年にわたる信用の積み重ねがそこにあります。
 小説にとっていちばん大事なのは、時問によって検証されることです。時の厳しい洗礼を受けること。
 そうですね。30年書きつづけてきて、30年前の本がいまも新しい読者の手に取られ、読まれつづけている。そのことがなにより僕の支えになっています。
十歳で読書青年に P.72
 あまりにも昔のことなのでよく覚えていないけど、たぶん内気な子どもだったと思います。
 小学校三、四年生くらいから、急に本が好きになりました。本は親に買ってもらうだけじゃ足りなくて、自転車で西宮の図書館に行ってはよく読んでいました。
 そうですね。物語、お話というのがすごく好きだった。ジュール・ヴェルヌの『地底探検』や『海底二万マイル』、シャーロック・ホームズにアルセーヌ・ルパン、いわゆる、ああいうお話。
 試験ってつまんないことしか出ないんだもの。僕は高校時代にはもうどんどん英語の本を読んでいたじゃない。ところが試験になると、英語の本なんかろくに読めないやつのほうがずっとよくできるわけ(笑)。
 英語の本を読むようになったのは、人と違うことをしたかったんじゃないかな(笑)。
C 勉強って好きになれなかった。あまり意味ないと思っていたから。だって、つまんないんだもの。

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芦屋のころ P.73
 文章を書くのが好きになったのは、小説家になってしばらくしてからですよね。だんだん少しずつうまくなってきたから。
 音楽を聴き始めたのは中学校に入ってからですね。最初はエルヴィス・プレスリーとか、リッキー・ネルソンだとか、もう少したってからビーチ・ボーイズだとか、その辺ですよね。いわゆるポピュラーミュージック。シングル盤をけっこう買ってましたよ。ポップミュージックが好きだった。
 VANジャケットは神戸にショップがありました。ボタンダウン・シャツにコットンパンツ、ローファー。例のスタイルです。はまってました。「メンズクラブ」が愛読書でした。
 そういえば芦屋に昔、古ぼけた映画館が一軒あったんです。芦屋会館。映画監督の大森一樹がうちの近所で、僕より少し年下なんだけど、彼もよくその映画館に行ってたみたいです。
19世紀的な小説像 P.75
 僕はある意味では、19世紀的な完結した小説像を求めているんだと思うんです。とにかくページを繰れば、別の場所に行かせてくれる読み物。自我がどうとか、心理描写がどうとか、社会との接点がどうとか、弁証法がどうとか、そんなこといちいち考えない。とにかく読み物としておもしろいかどうかスリリングかどうか、それが第一に来ます。しかし同時に、自分という存在の根幹に、その話がしっかりつながっていないと、それを書く意味はない。読み物としてのおもしろさと、いまここにある僕の意識が抗いがたく動かされていると感じるものと、その両方がそこになければならない。あるいは一体になっていなければならない。
 うまく言えないけど、自我というよりは、自己とかかわっているもの。では自我と自己の違いは何かというと、心理学の専門家から見ると間違っているかもしれないけど、僕の個人的な定義によれば、自己というのは、自我をすっぽり呑み込んだ存在なわけです。そこから自我だけ取り出すと、さあプレパラートに乗せてレンズで見てみましょう、という感じになってしまう。でも自己のなかに埋め込まれると、自我は水槽に入れられた金魚のように、自由にひれを動かして動きまわります。僕に興味があるのは、そういう意味合いでの包括的な自己です。
 僕が目指しているのは、19世紀的な自己完結した物語ですね。べつの言い方をすれば「完全な物語」ということになるかもしれない。
 19世紀の中心テーマはブルジョアジーの存在ですよね。
 オペラなどと同じようなことが、やはり小説にも起こっていたと思う。娯楽の種類がまだそんなに多くないですから。長い小説? 長くてけっこう。どんどん書いてくれ。暇ならいくらでもある。テーマはなんでもいい。悲劇でも喜劇でも風俗小説でも、シリアスな問題小説でも、他愛のない探偵小説でも、なんでもかまわない。しかしそれはとにかく「われわれ」の生活や人生を、生き生きと闊達に描いた物語でなくてはならない。わくわくさせてくれて、日常を忘れさせてくれるようなものでなくてはならない。そんなふうに、小説の役割がとでもはっきりしていたんでしょう。
 21世紀に入ってから、僕の小説に対する世界の反応が大きく変わってきたという実感があります。手応えが目に見えて変化してきた。日本でもやはりある程度変わってきたと思う。だって『1Q84』みたいな小説があっという間に百万部売れるなんで、にわかに信じがたいことですよ。はっきり言えば、わけのわからない話なんだもの。自分で言うのもなんだけど、内容的にはけっこうむずかしい物語だと思うんです。『ノルウェイの森』が売れたのとは話が違います。
 村上 詳しい説明はできないけど、そういうありありとした実感を持っています。「神話の再創成」みたいなことがあるいはキーワードになるんじゃないかと、個人的には漠然と考えでいるのですが。
C こんな話、それまではあり得ないですよね。小説というものの常識を完全にひっくり返してしまった。

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自我をすっぽかす小説 P.77
 英語で本が読めるようになり、その延長でブローティガンとヴォネガットに出会ったんです。それは大きな体験だったですよね。ブローティガン、ヴォネガットの自我のすっぽかし方というのは、ものすごいものだったからね。
 ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』では、「アメリカの鱒釣り」というコンセプト自体が主人公になっているわけでしょう。こんな話、それまではあり得ないですよね。小説というものの常識を完全にひっくり返してしまった。
 さっきも話したように、ヴォネガットとブローティガンを知ったことで、こういう小説もありなんだと思って、それはたとえば『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』にはかなり影響を及ぼしていると思う。ヴォネガットとブローティガンがいなければ、たぶんああいうものはできなかっただろうと思うから。
長距離ランナー P.78
 習慣はすごく大事です。とにかく即入る。小説を書いているときはまず音楽は聴きませんね。日によって違うけれども、だいたい5、6時間、9時か10時ころまで仕事します。
 そうですね。だれとも口をきかないで、ひたすら書いています。10枚書くとやめて、だいたいそこで走る。
 もう少し書きたいと思っても書かないし、8枚でもうこれ以上書けないなと思っても何とか10枚書く。もっと書きたいと思っても書かない。もっと書きたいという気持ちを明日のためにとっておく。それは僕が長距離ランナーだからでしょうね。

[3日目]
リスペクトの感情 P.82
 特定の作家の翻訳をしようと思う判断基準のひとつめはなんといってもリスペクトですね。文学にはリスペクトの感情というものが大事です。小説家はかならず誰かから学んでいる。それがなければ本なんか書けない。
 ふたつめは、翻訳をすることによって、作家としての勉強をするんだということ。言葉の使いかた、文章のリズムのとりかた、どんなふうに小説を書くかということを、そこから学びとる。
 三つめは言語的な問題です。僕が小説の中で何かをパラフレーズする、つまり置き換えをどのようにやるかですが、翻訳は言語対言語でその置き換えをやっているわけです。
古典の訳し直し P.83
 僕は翻訳者ではなくあくまでも創作者だから、翻訳をするなら、創作の滋養になるものをやりたいです。でも新しい作家の作品のなかには、そういうものが簡単には見つからない。じゃあ古典に行こう、昔読んで感動したものを、もう一度詳しく細かく再検していこうと思ったんです。それは自分自身の洗い直しにも通じるんじゃないかと。
C 小説家の資質として必要なのは、文体と内容とストラクチャーです。この三つがそろわないと、大きな小説を書くことはできない。

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サリンジャー、カポーティをめぐって P.85
 サリンジャーの最大の問題はストラクチャーを作れなかったことです。書きたいことはあるし、文体も持っているのに、それに適した強固なストラクチャーがない。つまり確かな容れ物がないわけです。小説家の資質として必要なのは、文体と内容とストラクチャーです。この三つがそろわないと、大きな小説を書くことはできない。
 高校時代、僕はカポーティの文章に深く感応していました。
 カポーティにしてもサリンジャーにしても、自分の文章の精度を上げてゆくことによって、逆にゆきづまったところがある。
カーヴァーの新しい境地 P.87
 レイモンド・カーヴァーも長編小説を書こうと試みたことがあったけれど、書けなかった。
 身体をこわしたあと、生活を建て直し、今度は「大聖堂」のようなまったく新しい境地の短編を書くようになった。短編は短編なんだけど、そのフォーマットの内側で自分をうまく組み換えることができた。
20世紀の小説家の落とし穴 P.88
 純文学の作家は、外側から囲い込んでいって自我を構築するよりは、内側からつくっていこうとする。そんなむずかしいことをしていたら、小説も小説家もやがて立ちいかなくなるでしょう。
アメリカの出版界 P.90
 『羊をめぐる冒険』の英語版『A Wild Sheep Chase』が、最初に講談社インターナショナル(KI)から刊行され、そのあとも何冊かKIから本が出て、それなりに評判もよかったんです。でも現実的な限界があり、アメリカの大手出版社から本を出さないと、アメリカのマーケットでの正面突破はむずかしいという実感がありましたね。
 ニューヨークに行ってクノップフ社の、当時は文芸部長だったサニー・メーターに会い、クノップフ社のの編集者ゲイリー・フィスケットとも話をし、リテラシー・エージェントのアマンダ・アーバンにも会い、個人的なやりとりをするようになった。
 アメリカの出版社は商業主義的で、売れない本には力を入れないし、人間味がないと日本やヨーロッパの人たちは思い込んでいるみたいで、まあ事実そういう面がないわけでもない。でも彼らと実際につきあってみると、大部分の人はほんとうに本が好きでやっているんだってわかります。
 彼らはひとことで言えば、本や編集のプロフェッショナルなんですね。僕は個人主義的人間だから、プロフェッショナル、スペシャリスト、専門家というのが好きです。
オーサー・ツアー P.94
 最初の段階から、僕はそういうこと(出版社主催のパーティーへの参加)はできないとはっきり伝えてあります。テレビやラジオには出ないし、朗読もツアーとしてはやらない。
 プロモーションのために作家が何をするかは、契約に入っている場合が多いですね。
全米ベストセラーリスト P.95
 『ねじまき鳥クロニクル』がいいスタートを切ることができたのは、「ニューヨカー」に抜粋(エクサープト)が掲載されたことも大きかったですね。アメリカでの出版界では長篇の抜粋を雑誌に載せることが、雑誌にとっても、版元の出版社にとってもかなり大きなことなんです。
 「ニューヨークタイムズ」はもろん地方紙なんだけど、日曜日に含まれている「ニューヨークタイムズ・ブックレビュー」は全国版なんです。
 僕の本は『ねじまき鳥クロニクル』で知られるようになって、『海辺のカフカ』で定着したということになるのかな。『海辺のカフカ』はニューヨークタイムズの2005年度「今年出版されたもっとも優れた5册のフィクション」に選ばれました。

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エレサレム賞のこと P.96
 エレサレム賞の受賞をなぜ断らなかったかというと、昔とは違って、自分のなかに責任感のようなものが生まれていたからだと思います。そんなふうに感じるようになったのは、やはり『アンダーグラウンド』を書いてからですね。
 エレサレム賞のスピーチは、あのとき僕にできる最大のことでした。
 エルサレムの思潮はのあとで僕に握手を求めてきて、「あれこそが小説家のスピーチだ」と言ってくれました。
短編小説と雑誌の関係 P.98
 長篇については、少なくともあと一年は休むことになると思います。短篇を書きたくなるかもしれないけど、どうだろう、まだわかりませんね。3年近くずっと『1Q84』を書いていたから、あと1年以上は休まないと力がたまってこないですね。
 短篇という入れ物で、少しまとめて何か書こうかなという気持ちはなくはないんです。
今後のこと P.98
 僕も60歳を過ぎて、あと10年ぐらいはもっと間口を広げながらかいていきたいという気持ちがあります。
 インスピレーションが訪れるのを待っていてはいつまでたっても書けないというのは、僕には当てはまらない。待っていれば必ず書くべきときが来るから、じっと待つのが僕の仕事だと思っています。店をやるという生活を長く続けていれば、書くということに対しても、同じ労働倫理を持ち込むのは当たり前になってきます。

4. 読後感
 オーム真理教以後、『1Q84』という形で結実したと感じています。『1Q84』を中心に、村上さんの生い立ち、考え方、創作の秘密など、有意義なインタビューだと思います。
 これを機会に、村上さんに影響を与えたいろいろな作品を少しずつ読んでみようと考えています。

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[Last Updated 10/31/2010]