熊本旅行
      目 次

1. 概 要
2. 第1日 羽田空港−阿蘇空港
       熊本市(熊本城など)
3. 第2日 天草パールラインを通って
       天草へ
4. 第3日 天草観光−阿蘇観光
       阿蘇空港−成田空港


   熊本城天守閣
              

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1. 概要
 0) 名 称     熊本旅行
 1) 主要訪問地  熊本市、天草、阿蘇
 2) 期間      2010.5.16〜18
 3) 参加者     夫婦2名 現地で息子夫妻と合流
 4) 交通機関   航空機、自家用車、レンタカー
 5) 訪問場所
  (1) 熊本市
  (2) 天草(天草の地図参照)
  (3) 阿蘇
 6) 参考書
   タビリエ 「阿蘇 天草 熊本」 JTBパブリッシング 2009.8.1
   なお「11興味あるリンク」の「11.75 満遊くまもと」には参考になる情報(上通り・下通りアーケードなど)が載っていますので、ご参照下さい。

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2. 第1日 羽田空港−阿蘇空港−熊本市(熊本城など)
 9:25分発のJALで羽田をたち、阿蘇空港には、11時15頃に着きました。空港には息子夫妻がローヴァーのコンパーティブルで迎えに来てくれました。
 そのまま、直接熊本城に行き、午前中は宇土櫓(うどやぐら)、本丸御殿大広間と地下通路の闇り(くらがり)通路などを拝観しました。昼食には本丸御殿2階の大御台所で往事の献立を再現した「本丸御膳」を摂りました。
 午後は天守閣に登り、熊本市の景色を眺めたり、陳列物(加藤家時代、細川家時代、西南戦争関連の資料など)を拝観しました。
◎熊本城 慶長6年(1601)から加藤清正が7年かけて築城し、その後約240年にわたって肥後藩藩主の居城に。大阪城や名古屋城と並ぶ日本三名城の一つで、往時は大・小の天守閣と49の櫓、18の櫓門、29の城門を備えていた。明治10年(1877)の西南戦争の際、宇土櫓など11の櫓や長塀、石垣などを除くほとんどが焼失したが、その後、天守閣をはじめ多くの建物が復元し今も復元が進む。 熊本市本丸1-1
 その後、千葉城町にある高橋公園に寄り、「横井小楠(よこいしょうなん)をめぐる維新群像」を見ました。右の写真はその群像です(像は次の5人です。左から坂本龍馬、勝海舟、横井小楠、松平春嶽、細川護久)。午後は車を駐車場に入れて、上通り・下通りアーケードなど、都心の繁華街を歩きました。幅が広く立派な通りです。洋菓子店スイスの中庭でお茶にしましたが、立派な樹木があり、外国にいるような気分でした。
◎Swiss上通り店 熊本市上通町1-15 パビリオン内
 息子の住んでいる家は熊本駅近くの新開地で、新幹線の開通が近いとあって、道路の工事が行われており、車で到着するのに時間がかかりました。

3. 第2日 天草パールラインを通って天草へ
 第2日は朝から車で天草に向かいましたが、エンジンが不具合だったので、レンタカーに切り換えました。走り始めて30分位したとき、エンジンの過熱に気付き、車の販売所に入れて見て貰ったところ、このまま走るのは危険だということになり、レンタカーの会社に連絡をとってもらい、そこの車が迎えに来てくれました。たまたまトヨタレンタカーでプリウス(古い型)が空いているとのことで、それを借りました。
 ルートは宇土から三角(みすみ)経由で、天草五橋を通り、天草に行きます。
◎天草パールラインとは、九州本土と天草を結ぶ天草五橋で結ばれた国道266号線の名称です。三角から、大矢野島、永浦島、大池島、前島を経て天草上島(かみしま)までの全長17.4kmのドライブコースです。
 途中、大矢野島にある天草四郎メモリアルホールに立ち寄りました。
◎天草四郎メモリアルホール 上天草市大矢野町977-1 天草四郎公園内
 寛永14年(1637)の「天草・島原の乱」で総大将となった天草四郎をテーマとした資料館。ジオラマや立体映像で「天草・島原の乱」を分かりやすく説明してくれる。天草四郎は彼にまつわる数々の奇跡が噂となり、わずか14歳で総大将となり、開戦から4ヶ月で全滅した。
◎天草・島原の乱とは 過酷な年貢の取り立てとキリシタン弾圧に苦しんだ農民が寛永14年(1637)に起こした武装蜂起。一揆軍は3万7千人ともいわれ、島原半島の原城にたてこもった。江戸時代最大の農民一揆といわれる。
 本渡(ほんど 次の下島[しもしま]の玄関)のバスセンターで残してきた猫のため、家に帰る息子の嫁を送り、そのまま下島の北端にある五和町に行き、船に乗って、イルカを見ました。
◎天草イルカインフォーメーション 天草市五和町二江4689-1
 五和(いつわ)地区の海はイルカのエサとなるコアジやイカが多いため、昔からイルカが生息していた。現在、約300頭のミナミバンドウイルカが通詞島沖合を中心に回遊しており、船で沖合に出れば、99%の確率でイルカに会えるという。このイルカたちは、船が近づくと並んで泳いだり、ジャンプしたりと大サービス。
 二江(ふたえ)で船に乗り、20分も走ると、ほかに何艘かの船が来ており、近くをイルカが泳いでいました。数頭のイルカが群をなし、船と並んで泳いだり、ジャンプしたりします。マリンセンターなどで調教されたイルカが藝をするのは見たことがありますが、自然の海の中で、こうして身近に泳いでいるのを見るのは初めてです。泳いでいる場所は少しずつ変わるので、船は群を追いかけて移動します。40分位見て岸に戻りました。上の写真は左下にイルカが泳いでいるところです。
 ホテルは本渡なので道を戻り、30分位で着きました。近くの温泉に行ってみましたが生憎月曜日は休みでした。ホテルの大浴場で汗を流したあと、屋上のビヤーホールで一杯やってから部屋に戻りました。

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4. 第3日 天草観光−阿蘇観光−阿蘇空港−成田空港
 第3日は朝一番で天草町にある大江天主堂を訪れました。天主堂は下島の西海岸の近くなので1時間以上、山の中を走り、さらに海岸沿いの道を走って大江に着きました。
◎大江天主堂 天草市天草町大江1782
 小高い丘にあるロマネスク様式の天主堂。明治24年(1891)来日したフランス人宣教師ガルニエ神父によって昭和8年に建立された。近くに天草ロザリオ館がある。明治40年(1907)には北原白秋、与謝野寛(鉄幹)、太田正雄(木下杢太郎)、平野万里、吉井勇の5名がガルニエ神父に会うためはるばる旅をし、その人柄に魅了されたという。
 日本国内で天主堂を訪れたのは始めてではないかと思います。右の写真は大江天主堂の外観です。
 昼頃、熊本に帰り、車を置いてあった車の販売所に寄り、私が借りたプリウスを運転し、息子がローバーを運転して熊本駅前のレンタカー会社に車を返すつもりでした。しかし駅の近くで車の具合がおかしい、と息子がいうので一旦駐車場に入れ、JAFに来て貰って、車をディーラーまで運んでもらい、レンタカーの借用を1日延ばすことにしました。
 一旦家に寄り、荷物をまとめて阿蘇に向かいました。途中で遅い昼食として熊本ラーメンを食べ、4人で阿蘇に行きました。ガスがかかっていましたが阿蘇ロープウエーで火口まで登りました。僅かに火口が霧の間から見えただけで、周りの山々はほとんど見えませんでした。帰りに草千里に寄って馬やおみやげものを見て、空港まで送ってもらい、息子達と別れました。楽しい3日間でした。

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[Last Updated 6/30/2010]