「鳥の飛ぶ高さ」

    目 次

1. はじめに
2. キャストとスタッフ
3. あらすじ
4. 平田オリザからのメッセージ
5. あえて狂気に身を投じること
6. 『Par-dessus bord 鳥の飛ぶ高さ』
  について
7. 作者紹介
8. 演出者紹介
9. 感 想

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1. はじめに
 平田オリザさんが主宰する劇団青年座公演の「鳥が飛ぶ高さ」のご紹介です。2006年5月に東京駒場の「こまばアゴラ劇場」での公演「職さがし」を見に行きました。今回の公演は、前回の公演とスタッフがほぼ同じです。原作者はミシェル・ヴィナヴェ-ル、演出はアルノー・ムニエ、そして総合プロデューサーは平田オリザさんです。原作はフランスの話ですが、平田オリザさんが日本の話に翻案しました。前作以来の日仏の交流がこの上演に結実したようです。来年(2010年)の春にはフランスでの公演が予定されているようです。
(出典 当日配布のプログラムとホームページ)

2. キャストとスタッフ
[キャスト]
 志賀廣太郎(猿渡新吉[社長]、青年団)
 高橋広司(猿渡武雄[副社長]、文学座)
 太田宏(猿渡弘幸[営業部長]、青年団)
 エルザ・アンペール(フランソワーズ・猿渡[猿渡弘幸の妻])

[スタッフ]
 作: ミシェル・ヴィナヴェ-ル Michel Vinaver
 演出: アルノー・ムニエ Arnaud Meunier
 総合プロデューサー、翻案、演出協力: 平田オリザ

3. あらすじ
 日本のハイテク便器会社の乗っ取りをフランスの会社が狙っています。技術力はあるが、マーケティング力のない会社は苦境に面しています。2代目社長猿渡新吉は系列の代理店を強化し、CMを打って局面の打開を図ります。彼は江戸末期の美術品の収集家でもあります。
 次期社長と目されている社長の次男猿渡武雄も父の路線を引き継ごうとしています。この局面を長男猿渡弘幸は、マーケティングをフランス人にまかせ、商品を開発します。
 一方、会社員は「日本神話」の講座に通っています。天照大御神への出雲の大国主の国譲りの戦いは、グローバルと土着の戦いだったのでは、と講義しています。
 成功した長男も、会社をさらに発展させるためには資金が必要ですが、そのためには世界的なファンドの資金に頼らざるを得なくなります。

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4. 翻案ということ     平田オリザ
 3年の長きにわたって、パリを訪れるたびに演出のアルノー・ムニエ、そして原作者のミシェル・ヴィナヴェール氏と会い、この作品についての話し合いを重ねてきた。
 30年前に書かれたこの戯曲は、全編を通すと7時間、登場人物も50人近くになるため、フランスでも長く上演をためらわれていた。昨年リヨンの劇場を中心に再演がなされ、その公演は大きな評判を得て、今年のモリエール賞の候補にもなっていると聞く。
 フランスの企業社会を舞台にした原作を、現代の日本に置き換える作業は、神経をすり減らし、忍耐を要する作業だったが、その分、楽しみも大きかった。
 原作のトイレットペーパー会社は、日本のハイテク便器会社に置き換え、乗っ取りを謀るアメリカの企業の代わりに、日本の会社の特許を狙うフランス企業を登場させることにした。
 原作に再三登場するスカンジナビアの神話は、日本の古代の神々が国を取り分う話に完璧に置き換え、フランス王朝の物語は、日本の皇室と将軍の関係にシフトした。
 最大の難関は、ユダヤ人差別やアウシュビッツに関する描写をどう扱うかだった。この間題は、神話や王室の問題と違って、よりデリケートで、また戯曲の根幹に関わるからだ。私たちはこの問題を延々と話し合い、ルアンダ虐殺に置き換えることを発見した。
 結果として、どこまでが原作にあり、どこまでが創作かが判らないような作りになったと思う。ヴィナヴェール氏は、出来上がった戯曲の仏訳を読み、「これは不思議な感覚だ。1つも同じ台詞がないのに、これは私の作品だ」と言ってくださった。

5. あえて狂気に身を投じること     アルノー・ムニエ
 『鳥の飛ぶ高さ』は、(「フュージョン料理」があるように)わざと折衷的で型破りな「フュージョン演劇」、グローバリゼーションの喜劇として夢想したものだ。それによって、ますます複雑化し、暴力的になりつつある経済的現実を理解して、そのことについて、地球の両端からともに微笑することを考えたのだ。
 平田オリザの日本語版翻案を目にして、「これは私の戯曲であり、そして彼の戯曲でもある!」とミシェル・ヴィナヴェールは感動して叫んだが、確かに、独自の劇世界を持った2人の劇作家がひとつになることで、この「新作」の最終的な作品化が真の挑戦となるだろうことが、私には分かっていた。
 挑戦というのは、舞台化するのがいつもきわめて難しい、ミシェル・ヴィナヴェール持有の物語の断片化のこと、平田オリザならではのユーモアを交えて、繊細かつアイロニカルにそれを2000年代の日本に移し換えること、日本の観客とフランスの観客をともにおもしろがらせ、驚かせることができる作品をつくること、言語と文化を混ぜ合わせることだ。
 ヴィナヴェールが最初に書いた戯曲にも当時、狂気めいたところがあったように、このプロジェクトにも狂気めいたところがある。ミシェル・ヴィナヴェールも平田オリザも、通常の演劇の約束事と遊びながら、今日の世界を現存形で語るという、野心的な大胆さを持っているからだ。すばらしい一大集団によってなされた作業の原動力であったこの「狂気」を、ぜひ私たちと分かち合っていただければと願っている。

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6. 『Par-dessus bord 鳥の飛ぶ高さ』について        ミシェル・ヴィナヴェール
 私と平田オリザ。私たちは演劇という畑で、同じ種類の穀物を耕す2人の耕作者である。私たちの穀物はありふれた日常生活という名前だ。人はそれを平凡とも呼ぶ。この穀物は全ての地面、たとえば石だらけの地面でさえもよく育つ。平凡は味気ないが、ただ収穫時に発酵する場合は別である。そしてその酵母こそが、ポエジーなのだ。私は、私と彼のように同じ方法で平凡さを扱う劇作家を他に知らない。平田オリザは、もしかしたら私の作品の中で最も野心的な作品の翻案を持ちかけてきた。それも私の経歴の中で,中央に位置する作品だ。
 『Par-dessus bord 鳥の飛ぶ高さ』という戯曲は何かと融通のきく戯曲であり、私は、これまで、すでに4つのバージョンを執筆した。ならば、世界の果てからやって来る、もっと正確に言うならば、世界の果てまで途方も無いジャンプをして着いた途端に日本に帰化した5つ目のバージョンもあり得ていいだろう。
 あまりにも突飛な提案なので、これがもし平田オリザによってでなかったなら、そしてもしこのアイディアの発起人であり、私と同じくらい素晴らしいオリザ作品の演出家、そして来るべきこの作品の演出家であるアルノー・ムニエによって形にされ、引き継がれるのでなかったら、私はこの依頼を断っていただろう。この戯曲はオリザ自身の作品でありながら、また同じく私自身の作品になるだろう。
 『Par-dessus bord 鳥の飛ぶ高さ』を上演するということ、つまり1970年に書かれた1970年のフランスについてのフランスの戯曲、そして2009年の日本を舞台として設定した日本の戯曲、そしてそれでも、原作が完全なかたちで、そこに残っていること。なぜならそのことにこそ、この翻案の逆説があるからなのである。

7. 作者紹介
ミシェル・ヴィナヴェール Michel Vinaver
 1927年生まれ。劇作家、小説家、批評家。元フランス・ジレット社社長。現実を直接的に描く「日常の演劇」の実験に取り組む。『職さがし』(1971年)『労働と日々』(1979年)など、実業界に取材した作品も多い。彼の作品は、かみ合わない断片的な対話から構成され、そこに表象される言説や思想の交錯によって劇的な構造が構築されていく。

8. 演出者紹介
アルノー・ムニエ Arnaud Meunier
 演出家。1973年生まれ。政治学の学位を取得したのちに演劇を学ぶ。俳優として活動したのち、1997年La Compagnie de la Mauvaise Graineを設立、遊び感覚の探求を中心とした創作活動を行なう。劇団のメンバーとともに、舞台鑑賞に馴染みのない人々を劇場に向かわせる運動を行なっている。最新の演出作品は『Cent vingt trois』(作:エディ・バラロ/2005年)、『人の世は夢』(作:ヘドロ・カルテロン/2004年)。演劇作品の他に、現代オペラの演出も手がけている。2000年から2003年までの3年に渡り、サン=ドニのForum Culturel de Blanc-Mesnil(Scene Conventionnee)のレジテント・アーティストとして活動。2005年から、3年間 La Comedie de Reimsの契約演出家として毎年作品を製作している。2006年10月にパリ・シャイヨー国立劇場(Theatre National de Chaillot)で『ソウル市民』(作:平田オリザ)を上演予定。
http://www.ciemauvaisegraine.com

9. 感 想
 まず挙げられるのは、翻案のすばらしさでしょう。フランスの物語を日本の舞台に見事に翻案しています。簡素な舞台、舞台装置の転換がない(背景は常に同じ)、複数組の登場人物がライティングだけで、並行して劇が進む(同時進行)、つまり二つの場面が同じ舞台の上で同時に進行するなどは「職さがし」でおなじみのものです。
 海に投げ出されてというのが原題の意味のようです。
 劇の終了後にラウンドテーブルということでヴィナヴィエール、ムニエに作家の辻井 喬氏が加わり、平田オリザさんの司会で座談会がありました。ヴィナヴィエールも辻井 喬氏も実業家の顔を持っていますが、サラリーマン社長とオーナー社長の違いにも触れて興味あるものでした。
 なお、7・8項の「紹介」は「職さがし」のときの内容を再掲しました。

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[Last Updated 7/31/2009]