「ストーン夫人のローマの春」

    目 次

1. はじめに
2. スタッフとキャスト
3. あらすじ
4. 歴史など
5 二つの新聞の演劇評
6. 感 想

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1. はじめに
 「欲望という電車」のテネシー・ウィリアムズは好きな作家です。彼の原作の「ストーン夫人のローマの春」が上演されることを知り、家内と見に行きました。渋谷のパルコ劇場での公演です。

2. スタッフとキャスト
 2.1. スタッフ
  原作   テネシー・ウイリアムズ
  脚本   マーティン・シャーマン
  演出   ロバート・アラン・アッカーマン
 2.2. キャスト
  カレン・ストーン   麻実れい
  コンテッサ      江波杏子
  ミスター・ストーン  団 時朗
  クリストファー    今井朋彦
  パオロ        パク・ソヒ
  若い男        鈴木信二

3. あらすじ
 ニューヨークの演劇界で大女優としてもてはやされたカレン・ストーン。その美貌に衰えを感じたとき、彼女は潔く引退を決意する。私生活は満ち足りていた。夫は性的な満足を与えてくれる身体ではなかったが、精神的な支えは計り知れないものがあった。
 だが、ヨーロッパを旅行中に夫は他界。独り異国の地に身を置くことにした彼女に、貴族の出と称する女、コンテッサが近づいてくる。
 「あなたには話し相手が必要……」誘われるまま、カレンはひとりの男と時間を共にするようになる。
 そんな二人を見つめる、もうひとりの「若い男」。
 長年の友人である劇作家からの復帰の勧めにも耳を貸さず、カレンは、次第に世の悦楽にのめり込んでいくのだった。

4. 歴史など
 テネシー・ウイリアムズは「ガラスの動物園」「欲望という電車」「やけたトタン屋根の猫」などの戯曲を書いています。この「ストーン夫人のローマの春」は元々小説として書かれ、それが映画化、再映画化の後、演劇として、マーティン・シャーマンの脚本、ロバート・アラン・アッカーマンの演出で、日本で蘇りました。
 原作の誕生は1950年、最初の映画化は1961年、再映画化は2003年に今回と同じコンビで制作されました。すなわちマーティン・シャーマンの脚本、ロバート・アラン・アッカーマンの監督です。

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5 二つの新聞の演劇評
 5.1 「ストーン夫人のローマの春」 麻実れいの妖艶な魅力 花咲く
 晩年のヴィヴィアン・リーが主演した「ローマの哀愁」は、米国の劇作家テネシー・ウィリアムズが書いた小説「ストーン夫人のローマの春」を映画化したものだった。この小説が今度、世界で初めて舞台化されたのが、麻実れい主演の同題名の作品である。麻実の妖艶(ようえん)な魅力をフルに咲かせた花のある舞台となっている。演出はロバート・アラン・アッカーマン。
 第二次大戦後、往年の人気女優カレン・ストーン(麻実)は、容姿の衰えを悲観し女優を辞める決心をする。資産家の夫(団時朗)と夫婦の静養のため、ローマに向かうが、夫は飛行機内で心臓発作を起こし死んでしまう。カレンはローマに一人残り、豪華なアパートに住み始める。
 有閑マダムに男を斡旋して生計をたてる没落貴族の伯爵夫人(江波杏子)がカレンにパオロ(パク・ソヒ)を紹介する。しかし、陰でずっとカレンを盗み見ている若い男(鈴木信二)がいた。
 ウィリアムズの描くヒロインは、「欲望という名の電車」のブランチのように、自己破滅的な薄幸の女性が多い。夫の死後、ローマで漂うように生き、次第に身を持ち崩し、パオロとの関係におぼれていくカレンも同型である。
 容姿も年齢も今の麻実は適役。精神的に崩れ落ちる変化に哀愁がいっそう漂えば完ペきだ。パクはマッチョ的な筋肉美をふりまく。カレンに象徴される戦勝国アメリカに対する敗戦国のイタリア人の屈折が強調されてもいい。
 脚本はマーティン・シャーマン。場面展開の多さなどから映像用台本の域にあるように思える。ウィリアムズ本人ならどんな戯曲にしただろう。主軸となる若い男性らの配役にも再考の余地がある。 パルコ劇場、22日まで。
(編集委員 河野孝)  (出典 日本経済新聞 2009.3.9 夕刊)

 5.2 パルコ 「ストーン夫人のローマの春」 華やかな布陣 陰りが不足
 布陣はきらびやか。挑戦的ですらある。テネシー・ウィリアムズの小説「ストーン夫人のローマの春」をマーティン・シャーマンが脚本化し、ロバート・A・アッカーマンが演出するブロードウエー基準の舞台を、パルコが製作し、世界初演した。
 透視感のあるアクリル板で5分割した舞台美術(D・ラフレイ)と、とても官能的な照明(沢田祐二)を巧みに使った舞台転換は流麗。演出の冴えを見せる。しかし主役のストーン夫人を演じる麻実れいの、華やかでいて細(こま)やかな演技にもかかわらず、ウィリアムズ特有の、傷ついた魂のおののきが響いてこない。
 戦後のローマに滞在した米国の元スター女優、ストーン夫人が、夫(団時朗)の死後、迫りくる老いの恐怖から逃れるように、ホストめいたパオロ(パク・ソヒ)との金銭ずくの情事に溺(おぼ)れ、捨てられる。
 麻実は2幕後半で「あたしはあなたにお金しかあげられるもののない、惨めなおばあさんじゃない」と必死に尊厳を守ろうとする場面なぞ、真実味があふれていた。しか老いによる美のかげりが希薄。始終綺麗(きれい)だ。性の衝動へ身を任せる悦楽と荒廃感を含めて、孤独を恐れ、ずたずたになる屈折を濃く出したい。
 彼女と、皮肉な作家(今井朋彦)が、原作者の分身であることは言うまでもない。この二面性は米国人のウィリアムズ理解という点で興味深い。パクに色気はある。ボン引きまがいの貴族を演じる江波杏子は、上辺の上品さと今の野卑さの両面が欲しい。ストーン夫人に付きまとう若い男の意味がわかりにくい。
 旧ローマ帝国以来の歴史を持つ国の人が持つ、戦勝国米国に征服された屈辱感も背景にあるが、理屈にとどまる。
(山本健一・演劇評論家) 22日まで東京・パルコ劇場。  (出典 朝日新聞 2009.3.17 夕刊)

6. 感 想
 知っているのは原作者位で、脚色家、演出家もほとんど知らずに切符を予約しました。筋も分かりやすいし配役も合っていたし、見て良かったと思っています。ただ若い男はもう一つ理解できませんでした。舞台装置は、舞台の転換も含めて、なかなか良いと感じました。

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[Last Updated 4/30/2009]