目 次 1. はじめに 2. 演目と配役 3. 解説と見どころ 4. 感 想 |
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1. はじめに
先月(2009年1月)は、「寿初春大歌舞伎」夜の部を見に行きました。正月と歌舞伎座さよなら公演の最初の月が重なり、めでたい出し物と著名な役者が並びました。
出し物は寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)、春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)、鰯売戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)の三本で、役者としては吉右衛門、菊五郎、松緑、幸四郎、魁春、芝雀、勘三郎、玉三郎などです。
2. 演目と配役
1. 寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん) 一幕
曽我五郎時致 吉右衛門
曽我十郎祐成 菊 五 郎
小林妹 舞鶴 魁 春
工藤左衛門祐経 幸 四 郎
2. 新歌舞伎十八番の内
春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし) 長唄囃子連中
小姓弥生後に獅子の精 勘三郎
胡蝶の精 千之助
胡蝶の精 玉太郎
3. 三島由紀夫作
藤間勘祖 演出・振付
鰯売戀曳網(いわしうりこいのひきあみ) 一幕二場
第一場 五条橋の場
第二場 五条東洞院の場
鰯売猿源氏 勘三郎
遁世者海老名なあみだぶつ 弥十郎
傾城蛍火実は丹鶴城の姫 玉三郎
3. 解説と見どころ
【寿曽我対面】
曽我十郎、五郎兄弟が、父の仇である工藤祐経を討った逸話は、中世前期に成立した軍記物語「曽我物語」によって流布し、浄瑠璃や歌舞伎で、恰好の題材として様々に取り上げられました。
とくに江戸歌舞伎では、宝永年間(1704〜1711)以降から、正月に曽我兄弟を主人公とした曽我狂言を上演することが定着し、幕末までこうした習慣が続きました。
曽我狂言は、その物語の展開も細かく定められており、神社仏閣の場面で物語が始まり、最後には工藤と曽我兄弟が顔を合わせる対面の場が必ず据えられていました。なお現行の『対面』は、明治18年(1885)に、河竹黙阿弥が整理してまとめた台本がもとになっています。
幕が開き、工藤が障子の内から発する「園の梅、今を盛りに鶯の」という最初の台詞は、座頭の風格が必要な重要な台詞です。この障子が上げられると、工藤を中心にして、家臣の八幡、近江ほか、小林妹舞鶴、傾城の大磯の虎、化粧坂少将が居並んで登場しますが、この場面は祝祭劇にふさわしい壮観な場面で、最初の見どころとなっています。
対面三重(たいめんさんじゅう)の合方に合わせての曽我十郎、五郎兄弟の花道の出は続いての眼目です。和事の十郎と荒事の五郎という対照的な役柄も、早くから固定された演出ですが、歌舞伎の様式美を十二分に発揮する見事な演出です。
やがて工藤から曽我兄弟に盃が与えられ、歯噛みして悔しがる五郎が、工藤に詰め寄って三方を壊す件(くだり)は、荒事の模範的な動きが取り入れられており、五郎のしどころとなっています。
そして鬼王が友切丸を持って駆けつけ、工藤が兄弟に討たれる覚悟を示して幕となりますが、工藤を鶴に、曽我兄弟と舞鶴を富士山、そして鬼王を亀に見立てる、祝祭劇にふさわしい幕切れとなります。
吉右衛門の五郎、菊五郎の十郎に魁春の舞鶴、梅玉の鬼王、そして幸四郎の工藤という歌舞伎座さよなら公演ならではの豪華配役で上演する注目の舞台です。
【春興鏡獅子】
新歌舞伎十八番のひとつであるこの作品は、明治26年(1893)東京歌舞伎座で、九世市川団十郎によって初演されました。
九世団十郎がある日、娘たちの踊る『枕獅子(まくらじし)』を見て興を覚え、新たな「石橋物(しゃっきょうもの)」の舞踊を作ることを思い立ち、この新作舞踊が作られたと伝えられています。そして福地桜痴が『枕獅子』の詞章を改めて、胡蝶の件(くだり)を挿人し、傾域の踊りを大奥のお小姓の踊りへと変えました。作曲を担ったのは三世杵屋正治郎です。
幕開きで家老たちによって語られる「お鏡曳(かがみひき)」とは、江戸城大奥で正月七日に行われた年中行事のひとつで、諸大名から将軍家に送られた鏡餅を板に乗せ、これを曳いて廻った行事のことです。
作品前半では女性のお小姓が踊り、後半では立役の勇壮な獅子の精となる趣向は、それまでの「石橋物」の舞踊にはない新機軸で、獅子の精の衣裳も能に倣(なら)ったところに、明治時代に作られた作品ならではの特色があります。
「されば結ぶのその神や」から、弥生の踊りが始まり、手踊りから伊勢川崎の俗謡に合わせての踊り、茶袱紗を使っての踊りとなります。要所要所に技巧的な振りが取り入れられているのが、この作品の特徴で、演者に技巧が求められます。
「春は花見に」からは塗扇を手にしての踊りとなり、「朧月夜や時鳥」で、時鳥を目で追う振りは、眼目のひとつとなっています。「時しも今は牡丹の花の」で再び塗扇の踊りとなり、二枚扇の踊りから、獅子頭に曳かれての花道の引っ込みまで見せ場が続きます。続いての可憐な胡蝶の踊りは、見どころでもあり、長唄の聴きどころでもあります。
そして囃子方が乱序(らんじょ)を演奏すると、花道からの獅子の精の出となり、獅子の勇壮な狂いは後半の眼目となっています。
新年を寿ぐにふさわしい長唄舞踊の大曲を勘三郎が勤める話題の舞台です。
【鰯売戀曳網】
この作品は、三島由紀夫が丸本歌舞使仕立ての『地獄変(じごくへん)』に次いで書き下ろした、三島歌舞使の第2作目です。昭和29年東京歌舞使座で、17世中村勘三郎の猿源氏、6世中村歌右衛門の蛍火ほかの配役で初演されました。
作者自身の言葉によると、歌舞使の様式美を十二分に利用しながら、人間的な喜劇を創造するという思想のもと、書き下ろした作品とのことです。また三島は、昭和29年に復活上演された『けいせい浅間嶽(あさまがだけ)』の舞台にも触発され、元禄歌舞伎のような古風で大らかな味わいをもった笑劇をも意図しました。
題材源となっているのは、室町時代後期に成立した御伽草子(おとぎぞうし)の『猿源氏草紙(さるげんじそうし)』ですが、二転三転していく物語の結末に、三島ならではの独自の工夫が加えられています。
五條橋の場では、恋患いのために、自慢の「伊勢の国に阿漕ヶ浦の猿源氏が鰯かうえい」という売り声さえも満足にあげられない猿源氏の姿が、笑いを誘います。また遁世者(とんせいしゃ)とは言いながら、猿源氏とは対照的ななあみだぶつの人物像が巧みに描かれています。
五條東洞院の場は、関東の大名宇都宮弾正になりすました猿源氏が、念願の蛍火と逢い、夢見心地で盃を交わす場面が、最初の見どころとなっています。そして猿源氏が朋輩の遊女たちの所望にまかせ、魚たちの軍物語(いくさものがたり)を語る件(くだり)は、御伽草子の『魚鳥平家』こと『精進魚類物語(しょうじんぎょるいものがたり)』の一節を挿入したものです。
やがて猿源氏が寝言で自慢の売り声をあげてしまい、これを巡って蛍火と問答になっていきますが、この件から幕切れの花道の引っ込みまで見どころが続いていきます。ふたりの恋が成就するか否かは、実際の舞台でお確かめ下さい。
すでに定評ある勘三郎の猿源氏に玉三郎の蛍火という顔合わせで、笑い溢れる三島歌舞伎の名作をお楽しみ頂きます。
(出典 歌舞伎座発行のプログラム[平成21年1月])
4. 感 想
今回は、正月らしい演目が三つ揃いました。また勘三郎が大活躍です。鏡獅子と鰯売の二役です。鏡獅子は前半の靜と後半の動が見事な対比を示しています。また鰯売では彼のひょうきんな味が、役に合っています。三島由紀夫さんの歌舞伎作品は殆ど見ていませんが、機会を捉えて見て行きたいと思いました。
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[Last Updated 2/28/2009]