須賀敦子を読む

  目 次

1. まえおき
2. 概 要
3. 本の目次
4. 内 容
5. あとがき
6. 著者紹介
7. この本を読んで


湯川  豊著
発行所 株式会社新潮社

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1.まえおき
 このホームページの「6 私の愛読書」に「4 須賀敦子氏 コルシア書店の仲間たちほか」のあることでもわかるように、須賀敦子さんの作品は割合いに読んでいます。
 湯川さんのこの本を新聞の記事で読んで、図書館で借り、良い本だと判ったので、すぐに買い求めました。取り上げている須賀さんの本を再読し、湯川さんの説明と比較してから載せようと思ったのですが、並行して進むのも良いかと思い、載せることにしました。

2. 概 要(本の帯より)
 夙川から、ミラノヘ。未完の小説作品に到る人生と魂の足跡を描く初めての、本格的須賀敦子論。主著5冊を読む。
 10代での受洗、渡ったミラノての結婚、そして故郷夙川の家族たち−。日本とイタリアを往還し、紡ぎ出された厳しくも温かな人問ドラマに、世の読書人は目を見張った。
 彼女の作品はなぜこれほどまでに深く人の心を打つのか? 元担当編集者の著者がその主著5冊の精読を重ね、須賀敦子作品の真の魅力を描いた、初めての、本格的須賀敦子論。

3. 本の目次
第1章 もう一度、コルシア書店を生きる       7
     −−『コルシア書店の仲間たち』

第2章 霧の向うの「失われた時」          45
     −−−『ミラノ 霧の風景』

第3章 父と娘のヨーロッパ              71
     −−−『ヴェネツィアの宿』

第4章 精神の遍歴                  103
     −−−『ユルスナールの靴』

第5章 家族の肖像                  127
     −−−『トリエステの坂道』

第6章 信仰と文学のあいだ             163
     −−−「アルザスの曲りくねった道」

 あとがき
 須賀敦子の主な著書、訳書、略年譜

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4. 内 容
第1章 もう一度、コルシア書店を生きる   −−『コルシア書店の仲間たち』
 須賀敦子さんが亡くなって昨年(2008年)で10年になる。須賀の文業の意味を明らかにしたいという思いが強くなった。そのためには須賀の文章を読み込む。
 須賀の書いたものの多くは、回想風エッセイという大枠に分類することができる。文章の背後には須賀がたどってきた生活の軌跡がある。
 二冊目の本の『コルシア書店の仲間たち』は、それを語るのがテーマではないのだけれども、須賀がミラノという北イタリアの町に住んでいる経緯が自然とわかる仕組みになっており、そこでこの本から読み始める。
 『コルシア書店の仲間たち』は、書店に何らかの関係のあった人びとが、章ごとに主役になって入れ替わり立ち替わり現れるという構成をとっている。
 コルシア書店は、ダヴィデ・トゥロルド、カミッロ・デ・ピアツという二人の神父を中心にしてできた、一般にはカトリック左派と呼ばれる一個の運動体である。キリスト教の信仰と思想が生み出した、共同体の試みである。しかし、須賀はその信仰と思想にはほとんど触れることなく、コルシア書店の仲間たちのひとりひとりの人間像を、いとおしむように再現しようとした。それは須賀が意識的にとった姿勢であり、方法だったと思われる。
 自分の言葉を、文体として練り上げる。無名の家族のひとりひとりが、小説ぶらないままで、虚構化されている。これは須賀敦子のエッセイの手法そのものではないか。文体は文章を直接構成する語法というより、話法、つまり語り口の要素がずっと大きくなる。須賀が『コルシア書店の仲間たち』で展開した絶妙な語り口も、エピソードとゴシップである。
 須賀はたんにイタリア体験を回想するのではなく、その場面を生き直している。

第2章 霧の向うの「失われた時」   −−−『ミラノ 霧の風景』
 最初に須賀がどのようにしてエッセイを書きはじめたかを確認するために、著者は『ミラノ 霧の風景』の刊行までの経緯を語っている。しかしかなり長くなるので、ここでは省略する。霧の多いミラノは、須賀がコルシア書店で仲間と共に働き、夫ペッピーノと暮らした想い出の地である。
 『ミラノ 霧の風景』の文章は品格があり、語られていることは新鮮だった。
 須賀敦子は、少女の頃から本を書く人になりたいと思っていた。それは本を読むのが何よりも好きな少女の夢想から発している思いであるとしても、思いは持続した。85年から自分の文章である回想風エッセイを書き出したのは、須賀にとってようやく時が満ちたというしかない。
 この本に収められたエッセイ群には、異例ともいえる完成度の高さとともに、初めて自分のめざすものを書こうとする喜びとみずみずしさがある。まず目につくのは、読んだ本が、須賀の書く文章の道案内をしているエッセイが多いことだ。すなわち、エッセイ12編中、半分の6編が本を触媒として、あるときは本の紹介が大半を占めるというふうにして書かれているのである。
 須賀の文章には、注目すべき特徴が二つある。一つは、文章の息が長く、ゆったりしていることだ。二つ目の特徴は、カタカナの多用ということである。
 さらに須賀のエッセイは人や事物、あるいは本の世界を語るときでも、具体的な物語を作っていって、具体的な再現のなかで須賀の個人的な感受性が生き生きと働いていた。須賀は精神の働きをいちばん奥深くに秘めた語り口=文体を、ここですでに身につけている。
 須賀は夫や友人と共に失われた時間への思いが、いつのまにか滲み出してきた霧のように文章の行間にただよっている。

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第3章 父と娘のヨーロッパ   −−−『ヴェネツィアの宿』
 この『ヴェネツィアの宿』は前の2作のどちらにも似ていない。1編ずつばらばらのエッセイが置かれてるかと思うと、何編かをまたいでだけれど、連続して語られる話題がある。
 冒頭におかれた「ヴェネツィアの宿」と最後におかれた「オリエント・エクスプレス」は、父親・須賀豊治郎の話である。その2編にはさまれている10編のエッセイのうち、「夜半のうた声」(5番目)と「旅のむこう」(10番目)は母親・万寿(ます)のことが中心で、そこに父親が深くからんでいる。
 須賀は両親のこと、父親のことはきちんと書いておきたいと思ったのだろう。
 ヴェネツィアのホテルの5階にある小さな部屋で、疲れきった須賀敦子がベッドに身を横たえている。旅の途中でどうやら体調をくずしたらしい。ホテルはフェニーチェ劇場のすぐ横にある。部屋の高いところにある小さな窓から、歌劇場でやっている音楽が聞こえてくる。歌劇場の創立2百年を祝うガラ・コンサートが当夜行われていて、入場できなかった人びとのために舞台の音楽をスピーカーで流しているのだ。
 本の冒頭におかれた「ヴェネツィアの宿」は、そんなふうに始まり父親のイメージが呼び起こされる。この出だしはゆったりとして美しい。
 須賀敦子は聖心女子学院高等専門学校3年のときに自らキリスト教の洗礼を受けた。18才だったが、その前後からキリスト教を通してヨーロッパの文化に強くひかれ、勉強もした。53年、慶應義塾大学在学中に留学試験に合格し、フランスに留学した。敗戦の混乱がまだつづいているこの時期に、女性であるというハンデキャップを乗りこえてフランスに留学しようというのは、ほとんどがむしゃらなほどの熱い思いがなければ不可能である。
 須賀敦子のすべてのエッセイにいえることだが、文章の基礎に語り口のうまさということがある。より堅牢でしなやかな散文になっているのは、「話し上手」の語りのなかに文章をゆだねているからだ、と私には思われる。
 「旅のむこう」では、母が語る思い出の断片を語りながら合わせ絵のように母の肖像を描きだす。と同時に、若い母親が語る記憶の断片にじっと耳を傾けている賢い娘がいる。この構図のなかに、須賀敦子が意図した「自分とは何者なのか」という問いかけが、もっともやわらかいかたちではあるが、透かして見えるようだ。
 いっぽう父に対してはもともと「父への反抗を自分の存在理由みたいにしてきた」のだし、文章のなかでもズケズケと批判している。にもかかわらず、私はそういう態度のなかに、父親に対する熱い親愛感を感じとってしまう。魂が高い熱度をおびているという点で、この父と娘はきわめてよく似ているのだ。反抗しつづけた少女は、いつからか父のなかに自分と同質のものがあることを認め、それを批判しつつ受け入れているのである。須賀敦子にとって、この受容こそが、自分とは何者なのかという問いかけの、ひとつの答であったのだろう。

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第4章 精神の遍歴   −−−『ユルスナールの靴』
 『ユルスナールの靴』は須賀敦子が生前に上梓した最後の著作になった。最初に読んだとき、私は少なくない戸惑いを覚えた。須賀が語る対象であるユルスナールがすっきりと見えてこない。それが戸惑いの主たる原因だろう。しかし、須賀にはこの本で語ろうとしてことがもう一つあった。須賀自身の精神の軌跡とでもいうべきことである。
 須賀はユルスナールが「生きた軌跡と私のそれ」を交錯させて「ひとつの織物」をつくりあげる。きわめて野心的な意図である。『ユルスナールの靴』では、これまで読んだ3冊と違って、須賀の精神の面でのヨーロッパ体験が、これまでになかったほど率直に語られている。《この本はまた、ながいこといろいろな思いでつきあってきたヨーロッパとヨーロッパ人についての、そして、彼らと私の出あいについての、私なりのひとつの報告書でもあるだろう。》須賀のこの部分での意図はたしかに実現されている。ここではユルスナールの履歴は省略するが、フランドル地方という近代初めに栄えた場所の、名家の出ということがユルスナールの特異性を考えるときの最初の基礎となる。
 この本のなかで私たちは須賀の精神の遍歴にたちあうことができるのか。正直にいって、答は半々である。ユルスナールと須賀自身の生きた軌跡を交錯させて「ひとつの織物」が出現するというより、時には須賀自身の率直な声に耳を傾け、時には須賀の解釈によってユルスナールのしたたかな文学の一端にふれる。
 いつかはじぶんにぴったりと合うような、そんな道が開けるはずだ。それがどんなものなのか、いまはわからなくても、その日が来るまでは待つ以外にない。きびしい自己省察である。
 人と人(自分)はどうつながることができるのか。また神と人(自分)はどうつながることができるのか。この二つをきっぱりと別のものと考えることはできない。むしろ二つを結びつけて考えるところにこそ意味がある、と須賀は考えていたように思われる。

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第5章 家族の肖像   −−−『トリエステの坂道』
 まず第一に指摘したいのは、ここにおさめられたエッセイの、文章上の完成度の高さである。もう一つ、それに劣らぬほど大事なこととして、結婚相手であるジュゼッペ(ペッピーノ)・リッカの家族の肖像を書くということだ。
 典型的な良家の子女として育ち、ミッション・スクールで教育を受け、戦後すぐにヨーロッパに留学した日本女性。そういう須賀敦子がミラノで結婚した相手は、静かで穏やかな人柄の、第一級の知識人だった。彼は下級鉄道員の息子で、苦学して大学を出た。新婚の妻が傘を持って夫を迎えに行くと、夫は自分の階級の習慣にしたがって、背広の衿を閉めて雨の中を走る。須賀が実に数多くのエッセイのなかで語っているペッピーノとの生活は、理想的といっていいほど穏やかで安らぎにみちていた。だからこの情景での「食い違い」はまぎれもなくあって、そこに夫と妻が育った世界の違いが暗示されている。
「雨のなかを走る男たち」の次に置かれた「キッチンが変わった日」から「あたらしい家」までのエッセイで、須賀敦子ははじめて亡夫ペッピーノの家族のことを正面から描いた。須賀は貧しさや不幸に対してたじろぐことがない。
 須賀敦子は貧困という社会問題に強い関心をいだき、カトリック教徒という宗教者の立場からこれに取り組んだ。カトリック教会は現実の社会のなかで何をすることができるか。第2次大戦後の若者の多くが共通していだいていた問題意識を若い須賀敦子も共有していて、彼女なりに正面から取り組んだ。それがコルシア書店からエマウスへの軌跡である。
 そのとき須賀は観念的に問題に対処しようとはせず、ひとりひとりの人間の存在感にまで達して考えようとした。そのうえで、実践によって解決できることを解決してゆく。おそらく貧困に対する彼女の社会活動の拠って立つ所はそのようなものであったことを、私たちはペッピーノの家族を描いた一連のエッセイから逆に推測することができるのである。
 須賀は自分が実践できる行動をひるまずに行った。その行動の背後には、須賀の人間観、あえていえば宗教的人間観があった。ひとりひとりの人間の不幸を救済できなければ、宗教は無力ではないかという切迫感がそこにはあった。

第6章 信仰と文学のあいだ   −−−「アルザスの曲りくねった道」
 須賀敦子が最後に書こうとした作品は「アルザスの曲りくねった道」という仮の題をもっている。須賀は結局のところ「序章」の未定稿と執筆のノート(1〜7)を残してくれただけだった。私たちが「アルザスの曲りくねった道」と呼んでいる新作の執筆には、須賀敦子の執念にも似た、深い思いがこめられていることを私は知っている。
 須賀は「アルザス−−」で初めて小説をかこうとしたことは重要である。
 「アルザス−−」の主人公は、フランスのアルザス生まれの修道女オディール・シュレベール。「わたし」の友人であるオディールの訃報が1987年の秋に届いた。78歳だった。そこから、わたしとオディールのつき合いの回想になる。オディールは私の母校の大学のフランス語の教師だった。フランス語で手紙を書くことを依頼され、オディールに目を通してもらうようになった。
 序章の最後で、オディールの死後10年のいま、アルザスへ行ってオディールのあとを訪ねようと、わたしは決心する。「オディールのあとをたずねる」というのは、もしかしたらわたしなりの墓参なのかも知れなかった、というのが序章の結びとなる。
 この序章を読んで著者が注目した点が二つある。一つは「わたし」のあつかいが、これまでのエッセイとは大きく違うことだ。全部のエッセイにほぼ共通しているのは、須賀敦子の「わたし」は須賀敦子とほとんどイコールで結ばれていて、語り手としては自由にふるまっているのだけれど、決して主役にならない。しかし、この序章では「わたし」のほうがオディールに向かって積極的に語りかける。
 もう一つは、その「わたし」が行なう、信仰者としての議論である。
 須賀敦子は、信仰者としての実践活動と、文章を書く人になりたいという熱望のあいだを、黙々と行ったり来たりしていた。そして1980年代後半から須賀に「文学の時」が来た。書く人になりたい。信仰と同じくらい長い時間を、そういう思いとともに生きてきて、書く人になることができた。そして90年以降、書く人として充分に生きた。見事に完成したエッセイによって、自分がたどってきた時間をあらためて生き直すことができた。
 残っているのは、信仰の問題を自分の文学として表現することだった。須賀敦子はどうしても登らなければならない次のステップとしてそう考えたに違いない。それが「アルザスの曲りくねった道」を書こうとしたときの姿勢だった。

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5. あとがき
 2003年の秋、NHK文化センターから話があって、「須賀敦子を読む」という講座をもった。2週間に1度ぐらいのペースで、8回ほど話したように記憶している。
 私はちょうどその年の1月に勤めていた文藝春秋を退社し、4月から東海大学の文芸創作学科で授業をもつようになっていた。NHK文化センターの講座は自分にとっても須賀さんを徹底的に読み直すために、いい機会だと思った。自分は須賀さんをこんなふうに読んだ。それを受講者たちに語り、大半が須賀さんのファンであるはずの人びとの前で須賀さんの文章の魅力を確認するようなつもりだった。
 文藝春秋にいた頃、私は編集者として須賀さんを担当した。『コルシア書店の仲間たち』をつくり、『ヴェネツィアの宿』を送り出すのにも半ばかかわった。編集者としての須賀さんとのつきあいの記憶は、私にとって大切なものではあったけれど、それは自分の職務上のことでもあり、同時に個人的なことでもあった。須賀さんのことで他の人びとと語りあい共有できるのは須賀さんの書いた文章以外にはない。
「書くという私にとって息をするのと同じくらい大切なこと」と須賀さん自身がいっている。私は長年本や文章とつきあってきて、結局のところ作家は文章のなかにしかいない、と考えるようになった。「文は人なり」というけれど、ある意味では「文は人以上」なのである。
 NHK文化センターの「須賀敦子を読む」の講座は、新潮社の鈴木力さんが録音をとり、それを文字に起こしてくださった。しかしその講座の速記に目を通してみると、足りないところだらけ、いいたいことがくっきりした輪郭をもっていなかった。文章を論ずるのに、話すという方法には自ずと限界があるようにも思えた。
 鈴木さんと相談のうえ、改めて「須賀敦子を読む」という原稿を、季刊誌「考える人」に2006年春号から5回にわたって連載した。さらに09年冬号にはこの本の最後の章になる部分を掲載した。「考える人」編集長の松家仁之さんも以前から須賀さんについて深い関心を抱いていた。こころよく拙稿の連載をゆるしてくださった。
 須賀さんではないけれど、「書いては消し、消しては書く」ことを原稿執筆でもゲラになってからも、くどくどと繰り返した私を、いつも変らず励まし、的確にアドバイスしてくださったのは鈴木さんである。心からお礼を申しあげたい。松家さんもまた、寛容に仕事の推移を見守ってくれた。若い頃からの友人でもあるこのお二人がいなければ、拙いとはいえ『須賀敦子を読む』という本はできなかったであろう。
 それから須賀敦子さん。その文業への思いは、この本の中に書きしるしたつもりである。
2009年3月末                                               湯川 豊

6. 著者紹介
湯川 豊(ゆかわ・ゆたか)
 1938年新潟市生まれ。64年慶応義塾大学文学部卒業。
 同年文藝春秋に入社。「文学界」編集長、同社取締役などを経て、現在京都造形芸術大学教授。
 著書に『イワナの夏』『夜明けの森、夕暮れの谷』『終わりのない旅星野道夫インタヴュー』、
 共著に『原爆が落とされた日』など多数。

7. この本を読んで
 湯川さんは、須賀さんの作品を精読し、素晴らしい須賀敦子論を書かれました。この本を読むのと並行して、読み残した幾つかの作品に目を通しました。須賀さんは異国で格闘し、日本に帰ってから次々と素晴らしい作品を残してくれました。少し冒険だったのですが、この本を取り上げて良かったと思っています。
 「アルザスの曲りくねった道」については新潮社の季刊紙「考える人」2009年冬号特集「書かれなかった須賀敦子の本」で読んでいたのですが、湯川さんのこの本で作品の位置づけなどがわかました。湯川さんもこの雑誌に「書かれなかった小説」という一文を寄せておられます。
 カトリック作家として、作風も内容も全く異なりますが、遠藤周作さんと比べてみたりしています。

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[Last updated 9/30/2009]