本の紹介 リンゴが教えてくれたこと

  目 次

1. 本との出会い
2. 本の紹介
3. 本の目次
4. はじめに
5. 本の概要
6. 著者紹介
7. 読後感


木村秋則著
日経プレミアシリーズ
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1. 本との出会い
 2009年6月16日の日本経済新聞に農家の木村秋則氏の「自然に戻れ、リンゴも喜ぶ」という記事が載っており、今年(2009年)6月の「みんなの広場」の「新聞の記事から」の項でご紹介しました。7月になって木村さんの書いたこの本が出たことを知り、早速買い求めました。その時の本は友人に贈ったため川崎の三省堂に寄ったところ、この本が平積みになっているのに驚かされました。

2. 本の紹介
 自然には何一つ無駄なものはない。私は自然が喜ぶようにお世話をしているだけです−−。絶対不可能と言われたリンゴの無農薬・無肥料栽培を成功させ、一躍時の人になった農業家が、「奇跡のリンゴ」が実るまでの苦難の歴史、独自の自然観、コメや野菜への展開を語るとともに、農薬と肥料に依存する農のあり方に警鐘を鳴らす。 (本文より)

3. 本の目次
 はじめに 3
第1章 木村、やっと花が咲いだよ…………………………………… 15
 9年目の開花
 お祝いに日本酒を振る舞う
 復活の兆し
 周辺農家の反応も様変わり
 私の生い立ち
 だから農業はいやなんだ
 巨大トラクターを購入

第2章 農薬はつらい−−無農薬・無肥料への一念発起………… 31
 皮膚が剥け、痕が真っ赤に
 兄の刺激を受け有機農業を勉強
 最初はいいことずくめ
 夏から葉が落ち始めた
 「かまど消し」と言われて
 食べたことがないお父さんのリンゴ
 北海道を転々出稼ぎ
 毎日が虫との戦い
 害虫と益虫の不思議なバランス
 虫は隣の畑から飛んできた
 リンゴに謝って歩いた
 どん底の日々
 大豆で土壌改良試みる

第3章 死を覚悟して見つけたこと…………………………………… 61
 田んぼも手放す
 死んでお詫びをしよう
 ドングリの木がリンゴの木に見えた
 この土を作ればいい
 下草を刈るのをやめる
 リンゴの木の下は大豆畑
 腐らん病がなくなる
 草ぼうぼうに教えられる
 キャバレーでアルバイト
 仕事に貴賤なし
 私のリンゴの木は喜んでいる
 ダニが消えハチがやって来た
 リンゴ裁判の思い出

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第4章 米の自然栽培は難しくない…………………………………… 97
 田んぼにお礼を言ってください
 米の勉強も独学で
 有機農業だから安全な訳ではない
 完熟堆肥を作れ
 どうしたらイネが喜ぶか考える
 田んぼは乾かしてから粗く耕す
 肥料をやらない方の根が太い
 賛同してくれた宮城県の農協
 決して贅沢なものではない
 タイヤチェーンで除草
 カモはなぜ田んばに来襲したのか

第5章 全国、世界へと広がる輪………………………………………… 125
 クマも食べなかったリンゴ
 なぜ機械に頼ってはいけないか
 「芽が出た」と踊り出したケニアの人たち
 家庭菜園で自然栽培を
 土には浄化作用がある
 農業で自然災害を防ぐ
 目を輝かせる若者たち
 スーパーチェーンも関心
 熱心な韓国
 お茶も自然栽培で
 フレンチシェフがリンゴスープ考案

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第6章 すべて観察からはじまる………………………………………… 153
 ずっと見ていることが大事
 砂漠化した農地を救う
 雑草の役目
 山の土には窒素、リン酸、カリはほとんどない
 人間は土の生態系を壊している
 バクテリアの体内窒素が隣の畑の2倍
 穴を掘って土の温度を測る
 畑の硬い層の下に養分
 虫はどこへ行った
 秋になったら草を刈る
 ダニを食べるダニと名無しの虫
 トマトを横植えする
 自然の野菜の葉は淡い緑色
 青虫のいないキャベツ畑
 植物の言葉は分からないけれど
 回転する大根
 キュウリのひげが巻きつきますか
 死ぬまで探究
 自然栽培で減反は不要
 捨てるところがまったくない
 枝葉や支流が大切
 
貧乏にもぶれることがなかった木村さん  工藤憲雄 201

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4. は じ め に
 リンゴは古来、農薬で作ると言われるほど病虫害が多く、人々はその戦いに明け暮れてきたと申し上げても過言ではありません。生産者の技術以上に肥料、農薬会社の研究開発が現在のリンゴ産業を支えてきたと思います。
 しかし、私は肥料、農薬なしには栽培不可能というリンゴの栽培史に、ようやくピリオドを打つことができました。切り口が酸化せず、糖度が高く、生命力あふれるリンゴが実りました。
 脱サラで農業に全く無知だった私が常識外れの「自然栽培」に取り組んだものですから、その被害は甚大で、何年もの無収穫(無収入)時代を経験しました。リンゴが実るまで、自分が歩いている道が良いのか悪いのか、だれに問いかけても答えはなく、参考になる書籍もありませんでした。すべてが失敗から得た知識でやってきました。瀬戸際ばかり歩きました。毎日がドラマ、そして真剣勝負でした。答えのない世界がいっぱいありました。
 そして慣行農業から移行後、11年目に畑全面に咲いてくれた花の美しさは一生忘れることができません。
 その間、ずっと耐えてくれたリンゴの木、木を支えてくれた雑草、土、すべての環境に感謝せずにはいられません。はじめは1個でも実らしてちょうだい、とお願いしました。でもどんどん枯れていき、枯れるのがかわいそうで、1個も実らなくていいから枯れないでちょうだい、とリンゴの木に話しかけて歩きました。そして生き残った木が今、こうして実らせてくれたわけです。
 リンゴがならない期間があまりにも長かったので、その間キュウリやナス、大根、キャベツなどの野菜、お米を勉強できました。野菜やお米は今から20年以上も前に相当の成果を得て、その後様々なノウハウを盛り込み今日に至っています。
 リンゴはやはり難しいです。それはリンゴの品種改良があまりに行われてきたため、原種から程遠いものになっているからです。リンゴに比べると、同じ無肥料、無農薬でもお米と野菜は意外にスムーズにできました。
 私は全国の農家の人にこう言っています。みなさんの体にリンゴ一つ、お米一粒実らすことができますか。人間はどんなに頑張っても、自分ではリンゴの花一つ咲かせられません。米を実らせるのはイネです。リンゴを実らせるのはリンゴの木です。主人公は人間ではなくてリンゴの木やイネです。人間はそのお手伝いをしているだけです。そこを十分わかってください、と。
 当時、私は自分がリンゴを作っていると思い上がっていました。失敗に失敗を重ね、この栽培をやって知ったことは、私ができるのはリンゴが育ちやすいような環境のお手伝いをすることぐらいということでした。地球の中では人間も一生物にすぎません。木も動物も花も虫たちも皆兄弟です。互いに生き物として自然の中で共生しているのです。
 人間はもっと謙虚であるべきだと思います。人間は自然の支配者ではなく、自然の中に人間がいるよと考えるべきです。

 神様が地球のみんなのお願いを聞いてくれるとします。
「家族みんなが、金持ちで幸せに暮らせますように」などと人間は願います。
 神様が木や鳥やすべての地球上の生き物の願いを聞きます。
 すると何のお願いが一番多いでしょうか。
「人間が地球からいなくなった方がいい」

 私は自然から力を借りて生産をする農業に誇りを持っています。それは無から有を生むからです。これこそが自然と暮らす百姓の醍醐味だと思います。私はこの農業をやって幸せです。以前は農薬が怖くて顔を覆っていたのですから。今は家族で笑いながら作業ができます。
 農薬や肥料などの不使用は、食の安全のみならず、地球の環境保全にも役立ちます。
 この自然栽培を全国の人や海外へ教えようと歩き始めて、もう17年になります。ようやく、私の考えに賛同下さる生産者があちこちで活動するようになってきました。将来、自然栽培の輪が大きく広がり、各地に自然が戻り、失われつつある昆虫や淡水魚が身近で見られる農村風景が取り戻されることを夢見ています。
 最後に日本経済新聞出版社の桜井保幸氏には大変お世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。
 2009年3月                            著 者

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5. 本の概要
1) 無肥料・無農薬リンゴ園を始めた理由
 農薬散布により、顔や首筋、腕などに農薬がかかります。超アルカリ性のやけどになり、白くポツポツが出、皮がべろりと全部取れてしまい、その痕が真っ赤になります。奥さんは特に症状がひどく、散布すると1週間畑に出られなくなり、さらに1ヶ月出られなくなりました。木村さん本人は、それほどはひどくなかったのですが。
2) リンゴができないために苦労したこと
 無肥料・無農薬にしたため、リンゴができなくなり、9年間は無収穫、無収入が続き、生活にも困るようになりました。
3) 死のうと覚悟して初めて解決案がわかった
 兄さんが有機農法について勉強していたので、木村さんも勉強し、いろいろと試みたが、うまくゆきませんでした。その間、北海道などに出稼ぎに行き、なんとか生活費を稼いでいました。
 6年たったころ、死んでお詫びしようと岩木山を登って行き(木村さんは弘前が故郷)、ロープを木に掛けようとすると、木がリンゴに見え(実際はドングリの木だった)ます。ところがこの木は自分の木と違って虫の被害もなく、見事な枝を張り、葉を茂らしていることに驚きます。あたりに土の匂いが満ち、足許がふかふかで柔らかく、湿気がありクッションを敷きつめたような感触でした。木村さんは「これが答だ」と直感しました。
4) 自然の循環に気づく
 それまでは木のことしか考えていませんでした。雑草を刈り、葉の状態ばかりが気になって、根っこの部分は全くおろそかにしていました。雑草は敵だと思い込んでいました。それがとんでもないことだと気づきはじめました。ドングリの木の周辺に目をやると、そこには生命があふれ、すべてが循環しているのだと気づきました。
 山の自然は何の肥料もやっていません。落ち葉とか枯れ枝が朽ち、それを微生物が分解して土作りをやっているわけです。それをリンゴ畑にも応用しようと、まず土の下草を刈るのをやめました。その草が伸びた頃、初めてリンゴの木の葉っぱが落ちませんでした。下草がリンゴの葉を病気から守ってくれたのです。
 通常、夏場の暑い時には土の表面温度は35度にも上がります。ところが、草ぼうぼうの畑の土の温度は10度くらい低いのです。また草によって土が乾かないので散水も必要ありません。ミミズも増えたので土も軟らかく変わってきました。
 翌年も下草を刈りませんでした。この年は通常の木の三分の一ほどは葉っぱが残り、1年後に1本だけですが、七つの白い花を咲かせ、2個のリンゴを実らせて私や家族を感激させてくれました。そして翌年の1988年、ついに無肥料、無農薬に移行した畑が満開を見せてくれたのです。
5) 稲作でも
 木村さんは米の自然栽培を始めて32年になるそうです。田んぼは粗くゴロゴロに耕します。また湿気があるうちではダメで田んぼが十分に乾いて、ヒビが出るほどになってから耕します。田んぼに水を入れる前に前年にとれた生わらを撒きます。

6. 著者紹介
 木村秋則(きむら・あきのり)
 農家、1949年、青森県中津軽郡岩木町生まれ。弘前実業高校卒。川崎市のメーカーに集団就職するが、一年半で退職。69年故郷に戻り、リンゴ栽培を中心とした農業に従事。農薬で家族が健康を害したことをきっかけに78年頃から無農薬・無肥料栽培を模索。10年近く収穫ゼロになるなど苦難の道を歩みながら、ついに完全無農薬・無肥料のリンゴ栽培に成功する。現在、リンゴ栽培のかたわら、全国、海外で農業指導を続けている。

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7. 読後感
 従来の農業の常識を覆(くつがえ)して、植物の持っている自然の生育方法にたどり着いたことは大したことだと驚嘆させられます。しかも養子という環境の本で家族に不自由な思いをさせ、くじけない精神力に感心させられます。読んでいて感じたのは、木村さんの技術者的な発想です。若い頃機械いじりが好きだったそうですが、実験を繰り返し、しかもコップでの実験を重ねるなど、何よりも事実を大事にする精神には頭が下がります。そして常に感謝することを忘れないその精神の持ちようが素晴らしいと思います。

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[Last updated 8/31/2009]