会津若松旅行
      目 次

1. 概 要

2. 第1日 飯盛山ほか

3. 第2日 西山地熱発電所ほか

4. 地熱発電とは(新聞の解説記事)

5. おわりに


   栄螺堂(さざえどう)
            

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1. 概 要
NMCでは年に1回、観光と勉強を兼ねた旅行をしています。今年は、会津若松に行きました。貸し切りバスで移動し、19名が参加しました。
 1) 名称   会津若松旅行
 2) 訪問地  会津若松
 3) 期間   2009.5.24〜25
 4) 参加者  NMC会員19名
5) 交通機関 貸し切りバス
6) 訪問先 (1) 会津武家屋敷 (2) 飯盛山(いいもりやま) (3) 鶴ケ城(若松城) (4) 酒造歴史館 (5) 奥会津地熱株式会社 (6) 東北電力柳津西山地熱発電所 (7) 斉藤清美術館 (8) 福満虚空蔵尊
 明治維新に行われた戊辰戦争の戦場跡である会津若松は、白虎隊の悲劇で有名な飯盛山を始めとして、日本の近代化のために犠牲となった会津藩の遺跡が残っています。

2. 第1日 飯盛山ほか
第1日目は朝、新宿を発ち、東北自動車道、さらに郡山JCT(ジャンクション)から盤越自動車道に入り、会津若松IC(インターチェンジ)で高速道路を降りて、会津武家屋敷に昼頃着き、昼食後見学しました。その後、白虎隊が自刃した飯盛山(いいもりやま)、居城である鶴ケ城を訪れ、最後に酒造歴史館を見学して、5時頃、東山温泉のホテル東鳳(とうほう)に着きました。夜食後、皆でNMCの運営方法について討論しました。
[会津武家屋敷] 〒965-0813 福島県会津若松市東山町大字石山字院内1番地 TEL: 0242-28-2525 FAX: 0242-28-2515
 戊辰戦争で焼失した武家屋敷のうち、家老西郷頼母(たのも)邸を復元した観光スポットです。復元された西郷頼母邸は約400坪の面積、35室におよぶ宏大な邸宅で昔をしのばせます。復元した西郷頼母の屋敷は、もともとここにあったのではありません。武家屋敷は若松城の周辺に固まっていて、頼母の屋敷もその中にあったようですが、城の周辺は戊辰戦争で焼けてしまったので、松平家の墓所があるこの山麓に、焼け残っていた家屋を移築して復元したものです。
<西郷頼母(さいごう たのも)>  天保元年〜明治38年(1830〜1903)
 33歳で会津藩家老職に就任します。田中土佐と共に、会津藩主松平容保に京都守護職辞退を進言しました。戊辰戦争では和議恭順を唱え、抗戦派に命を狙われて城下を脱出します。のち箱館戦争に参加します。降伏後は館林藩に幽閉されます。赦免後明治4年伊豆松崎に行き、郷学謹申学舎塾長を務めました。
http://inoues.net/club/aidu_bukeyasiki.html

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[飯盛山]
 会津若松市一箕町(いっきまち)にあり、JR会津若松駅からはほぼ真東にあたります。会津盆地の東端でもあります。
 「飯盛山」という名前の由来は、この山が飯を盛ったような形なので、この名前が付けられました。戊辰戦争(会津戦争)の時、会津藩の少年たちで構成される白虎隊士中二番隊が、戸ノ口原の戦いでの奮戦空しく撤退する際、この地で鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地でもあります。「白虎隊19士の墓」には、年間200万人ともいわれる観光客が訪れます。
 中腹には、日本では大変珍しい木造建築物栄螺堂(さざえどう)(旧正宗寺三匝堂)があります。上りと下りで同じ道を通らず抜けられるという仕組みで、国の重要文化財に指定されています。このページの冒頭の写真は栄螺堂です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/飯盛山_(福島県)
[鶴ヶ城]
1384年、葦名(あしな)家が築いた東黒川館(ひがしくろかわやかた)を前身に持ち、黒川城と名をあらためたのちに、伊達、蒲生、上杉、加藤といった名だたる戦国大名が次々に居城としました。
 1590年、小田原の北条氏を滅ぼした豊臣秀吉は、白河街道を通って会津へ入り奥州仕置を行いました。この時、秀吉に会津を託されたのが蒲生氏郷(がもううじさと)です。氏郷は、積極的に城下の整備を行うとともに、七層の天守閣をもつ若松城を築城しました。空高く翼を広げたような天守閣の形から「鶴ケ城」と親しまれ、その後、加藤明成によって五層の天守閣に改築されて難攻不落の名城となったこの城は、1ケ月も続いた戊辰戦争での籠城戦にも耐えたことで知られています。
 その城も明治7年取り壊しとなりましたが、会津市民の要望などもあって昭和40年に今の天守閣が復元されました。内部は国の重要文化財の指定を受けた4点を含む、数々の貴重な文化財を展示した「若松城郷土博物館」となっています。また、「廊下橋」、「鐘撞堂(かねつきどう)」、「月見櫓(つきみやぐら)」など、城内には往時を伝える史跡も多くあります。平成13年には、武器庫であったといわれる「南走長屋(みなみはしりながや)」、食料庫であったといわれる「干飯櫓(ほしいやぐら)」が復元されました。さらに平成16年には、天守閣内の郷土博物館がリニューアルされ、会津のシンボルとしての鶴ヶ城で会津の歴史を「学び、あそび、体験」できる「お城ミュージアム」として、より親しみやすいお城となりました。 春には城内を埋めつくす桜吹雪、秋には燃えるような紅葉に包まれ、威風堂々と建つ姿は、何百年という歴史に彩られた観光会津のシンボルとなっています。
http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/kanko/kanko/shiro/shiro.html
[酒造歴史館]
 鶴ヶ城のすぐ北にあります。地酒「宮泉」の酒蔵で、清酒の製造過程や、道具などを見学できます。利き酒ができるので自分の好みに合った清酒、焼酎などをお土産に買うことができます。
[懇談会]
 夕食後、和室に集まって「NMCの今後」ということで検討会が開かれました。普段は理事と一般会員との対話は必ずしも十分ではないので、合宿の機会に1時間半ほど、現在抱えている問題点や改善方法などについて、討議しました。

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3. 第2日 西山地熱発電所ほか                         地熱発電のしくみ(出典 東北電力の「地熱発電」カタログ)
 NMCの会員が関係している地熱発電所の見学です。発電所は高温の蒸気を取り出す奥会津地熱株式会社と、その蒸気を利用して発電用タービンを廻し、発電して送電線を介して送り込む東北電力柳津西山地熱発電所に分かれます。地熱発電の削井(井戸掘り)からタービンによる発電まで、施設を見ながら説明を聞くことができました。
[奥会津地熱株式会社]                       
 朝、一番でこの会社を訪れました。昨夜、泊まった東山温泉は会津若松市の東側にあります。それに対して本日見学する柳津の西山温泉は市の西側にあります。奥会津地熱株式会社もここにあります。右の図に地熱発電の仕組みを示します。図の左半分が高熱の蒸気を取り出す地熱株式会社の分で、右半分が発電を行う電力会社の分です。まず会社で説明を聞いてから、現場を見学しました。
 会社は三井系の3社で1984年(昭和58年)に設立され、2004年には三井金属の100%子会社になりました。地下約2千米に達する生産井は20本、還元井(利用した熱水を地下に戻す)は2本あります。
 次に説明する発電設備を見学した後で、新規に掘削中の生産井を見ることができました。掘削は専門の会社に委託して行われます。
[東北電力柳津西山地熱発電所]
 数本の生産井を見学した後で、発電所に向かいました。会議室で発電所の概要を聞き、発電タービンと発電機を見学した後で、併設されているPRホールで模型などを見学しました。発電出力は公称6万5千KWですが、現在の出力はその約半分です。それでも東北電力の総出力は4箇所5基の22万4千KWで、日本全国の総出力は風力発電や太陽光発電を上回っています。
[斉藤清美術館]
 道の駅「会津柳津」で昼食を摂ったあと、近くにある美術館を見学しました。
 斉藤清さん(1907〜1997)は会津坂下町に生まれ、会津の冬を得意とする版画家です。氏は柳津町の名誉市民であり、氏の作品を展示する町立美術館として平成9年に開館しました。右の版画は1996年に制作された「柿の会津」です。
[福満虚空蔵尊]
〒969-7201 福島県河沼郡柳津町大字柳津字寺家町甲176 【TEL】0241-42-2002
 道の駅の近くの高台に福満虚空蔵尊圓蔵寺があります。
 柳津町会津きっての名刹で千2百年にもおよぶ歴史を誇り、今でも多くの参詣者を集めています。ここは茨城県東海村の大満虚空蔵尊、千葉県天津小湊町の能満虚空蔵尊と共に日本三大虚空蔵尊の一つに数えられています。
 縁起によれば、弘法大師が唐の高僧から霊木を授かり、帰国後にその木を三つに分かち海に投げいれたところ茨城、千葉、そしてここ柳津に流れついたといわれます。霊木漂着の知らせを聞いた大師は、さっそくその木で虚空蔵尊菩薩を刻みあげました。それを受け会津の名僧・徳一大師が圓蔵寺を開創したと伝えられています。
(出典 http://www.aizu-reichi.gr.jp/ennzou/index.html)

5. おわりに
 今回の旅行では、ほとんど知識の無かった地熱発電の見学をし、飯盛山や鶴ヶ城など会津若松の観光もでき、とても充実した2日間でした。バスでの旅行だったため、移動も楽でしたし、おまけに良い作品が多かった地元出身の版画家斉藤清さんの美術館も見ることができました。

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[Last Updated 6/30/2009]