「シカゴ」
ミュージカル
    目 次

1. はじめに
2. スタッフとキャスト
3. あらすじ
4. 歴史など
5. 感 想

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1. はじめに
 今年(2008年)6月の米国旅行の折り、ブロードウエイのアンバサダー劇場でミュージカル「シカゴ」を見、さらに10月に赤坂のACTシアターで「シカゴ」を見ました。アンバサダー劇場での英語の台詞では、ミュージカルの内容がほとんどわからなかったためです。もちろんミュージカルですから、歌や踊りはわかりますが、筋がわかればさらに良いわけです。今回は二つの公演を一緒に取り上げます。個別の内容について、米国版は項目番号にA、日本版はJを付けて表しています。

2. スタッフとキャスト
 2.1. スタッフ
  作詩   フレッド・エッブ
  作曲   ジョン・カンダー
  脚本   フレッド・エッブ ボブ・ホッシー
  初演版演出・振付 ボブ・ホッシー
  日本版演出  ターニャ・ナルディーニ
 2.2.A キャスト
  ロキシー・ハート  Michelle De Jean
  ヴェルマ・ケリー  Nancy Lemenager
  ビリー・フリン    Jeff McCarthy
  エイモス・ハート(ロキシーの夫) Raymond Bokhour
  看守ママ・モートン Carol Woods
 2.2.J キャスト
  ロキシー・ハート  米倉 涼子
  ヴェルマ・ケリー  和央ようか
  ビリー・フリン    河村 隆一
  エイモス・ハート(ロキシーの夫) 金沢 博
  看守ママ・モートン 田中 利花

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3. あらすじ
ACT 1
 夜の街にジャズの音色が響き、マフィアが暗躍する1920年代、禁酒法時代のアメリカ・イリノイ州シカゴ。夫と浮気相手の妹を殺害したセクシーな元ボードヴィル・ダンサー、ヴェルマ・ケリーが現われ、虚飾と退廃に満ちた魅惑的な世界に観客を引き込む(ALL THAT JAZZ)。曲の途中、ナイトクラブで働く人妻ロキシー・ハートが、彼女を捨てようとした浮気相手の常連客フレッド・ケイスリーを射殺する。

 ロキシーの嘘を信じたお人好しの夫エイモスは、彼女の身代わりとなって出頭。無能で愛すべき夫への想いを吐露するロキシーだったが(FUNNY HONEY)、死んだのは妻の浮気相手だとようやく気付いた彼は憤慨して警察に真実を話し、ロキシーは殺人犯監房へ送られる。そこにはヴェルマをはじめ、自らの犯した罪にそれぞれの"解釈"を加えて無実を高らかに訴える女性殺人囚たちがいた(CELL BLOCK TANGO)。彼女たちを取りまとめる女看守ママ・モートンは、見返りをくれれば(WHEN YOU'RE GOOD TO MAMA)そのお礼をするよ、と"ギブ&テイク"の精神を説く。

 無罪を勝ち取ってショービズ界へのカムバックを目論むヴェルマは、マスコミの注目を奪ったロキシーが気に入らない。ヴェルマの代理人を務める凄腕弁護士ビリー・フリンは、金や名声より「愛こそがすべて」(ALL I CARE ABOUT)だとうそぶき、ロキシーの弁護を引き受ける。手始めにビリーは、お涙頂戴ドラマに弱いタブロイド紙の記者メアリー・サンシャインを利用しようと画策(A LITLE BIT OF GOOD)。記者会見を開き、ロキシーの偽りの過去と正当防衛の作り話を大胆にでっち上げる(WE BOTH REACHED FOR THE GUN)。ビリーの話を信じたマスコミは事件を大々的に報道。世間の注目を浴びて大喜びのロキシーは、スターになった自分の晴れ姿を夢見るのだった(ROXIE)。

 焦ったヴェルマはロキシーと手を組むことを思いつくのだが(l CAN'T DO IT ALONE)、またも衝撃的な殺人事件が起き、二人へのマスコミの関心は薄れてしまう。ロキシーとヴェルマは「頼りになるのは自分だけ」と自らに言い聞かせ(MY OWN BEST FRIEND)、ロキシーは「実は妊娠している」と告白。新ネタに狂喜したマスコミは、再び彼女に幾千ものフラッシュを浴びせる−−。

ACT 2
 転んでもただでは起きないライバルに呆れながらも感心すら覚えるヴェルマ(l KNOW A GIRL)と、居もしない赤ん坊を想像して上機嫌のロキシー(ME AND MY BABY)。一方、周囲から忘れ去られたエイモスは切なげに、自分がセロファンのように透明で目立たない存在だと歌う(MISTER CELLOPHANE)。

 名声に溺れて強気になったロキシーは、ビリーなど必要ないと彼を解雇するが、仲間の女殺人囚が絞首刑になったと知り、あわてて彼を呼び戻す。ビリーは、法廷で陪審員相手に大芝居を打てば必ずすべてが思い通りにいく、と白信たっぷり(RAZZLE DAZZLE)。彼の筋書き通り、見え透いた嘘をついて社会の被害者を演じる法廷でのロキシーの様子を聞いたヴェルマとママ・モートンは、道徳や品位(CLASS)など地に落ちた今の世のありさまを嘆く。

 そして判決の時。ロキシーは見事無罪となるが、その瞬間スキャンダラスな殺人事件のニュースが舞い込み、マスコミは彼女に目もくれず飛び出していく。茫然自失とするロキシー、そして同じくマスコミに見放されたヴェルマだったが−−。

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4. 歴史など
 4.1 ロキシー&ヴェルマの原点
  キュートな女殺人犯がメディアの寵児となるコメディー映画「ロキシー・ハート」(42年)のミュージカル化をボブ・フォッシーが思い立ち舞台創作に着手しました。「ロキシー・ハート」の原作が、M.D.ワトキンス作の喜劇「シカゴ」(26年)です。ワトキンスはシカゴ・トリビューンの記者でした。彼は24年春に起こった二つの殺人事件とその裁判に触発されて「CHICAGO」を書きました。酒と男とジャズと堕落がその内容です。
 フォッシー演出・振付の「CHICAGO-A Musical Vaudeville」(ジョン・カンダー作曲&フレッド・エッブ作詞)は75年にブロードウェイで開幕します。ただ、この時は内容が似ている別のミュージカル「コーラス・ライン」が賞を独占します。
 「CHICAGO」は、コンサート形式によるシティー・センターでの公演で、96年にカムバックします。モノクロの舞台でしたが、好評で、ブロードウェイで上演され、トニー賞の6冠を獲得します。この成功を受けて「CHICAGO」は映画化されます。
 「CHICAGO」は、スタイリッシュ&セクシーでオトナのユーモアに満ちたショービズ界の夢と輝きに満ちています。
 4.2 Bob Fosse(ボブ・フォッシー)
 1927年、本作の舞台にもなっているイリノイ州シカゴに生まれました。子供の頃からバレエやダンスを習い、軍の基地をまわるショウで踊りながら、振付やディレクターとしての経験を積んで行きました。
 フォッシーの振付家としてのデビューは、パジャマ工場のストライキを描いた「パジャマ・ゲーム」(54年)です。作中の「スチーム・ヒート」というコミカルなナンバーが大人気を博し、一気に注目を集めました。これは「中腰で横向きに歩きながら顔を突き出す」というもので、「フォッシー・スタイル」をうかがわせます。
 彼は73年にアメリカのショウビジネス界の3大タイトル(トニー賞、アカデミー賞、エミー賞)を獲得し、前人未踏の大偉業を成し遂げました。
 フォッシー・スタイルとは、「派手なジャンプや回転は控え、中腰をグラインドさせながら時にセクシーに動く。群舞も広く展開するのではなく、密集型でうねるように動く」というもので、彼独自の振付のスタイルです。
 フォッシーのメッセージは、「どんなに泥にまみれても、決して人生をあきらめるな。」というもので、唯一の例外が空気のように相手にされない夫(エイモス)です。
 4.3 Kander & Ebb(カンダー&エッブ)
 カンダー(作曲)&エッブ(作詞)は「楽曲平明にして親しみやすい」という麗しい伝統を持ったチームです。ジョン・カンダー(1927年生まれ)はミュージカルのダンス場面のアレンジャーとして頭角を現し、フレッド・エッブ(1933年生まれ)は小規模なレビューに歌詞を提供して好評を得ていました。二人は62年にコンビを組みました。
 彼らの作詞作曲は同時進行です。二人で部屋にこもって曲の基本構想を固めると、キャッチボールのようにアイデアを交わしながら曲を作って行きます。「キャバレー」や「ニューヨーク・ニューヨーク」は、このコンビが作り、ライザ・ミネリが歌いました。顔立ちとジェスチャーが派手な彼女が熱唱したお陰で、陽気でニギニギしいメロディーが思い浮かびます。シカゴで歌われる「監獄のタンゴ」や「クラス」などのエッブの詩もよいのですが、作品の時代背景や流行っていた曲などをリサーチして作ったカンダーの曲も優れています。
 カンダーはシャイで寡黙なのに対して、エッブは派手というように、性格は正反対なのに、仕事の相性は抜群です。
 4.4 ブロードウェイと日本での上演歴
 ボブ・フォッシー演出振付の「シカゴ」初演は、1975年5月にブロードウェイの46thストリート劇場(現在のリチャード・ロジャース劇場)で開幕しました。936回の公演を行い、77年8月に閉幕しました。
 シティー・センターでの「アンコール!」シリーズ後のリバイバル版は96年11月に、リチャード・ロジャース劇場で初日の幕を開け、2003年からは49丁目沿いのアンバサダー劇場でロングランを継続中です。
 ミュージカル「シカゴ」は、1983年に日本で初演されています。草笛光子(ロキシー役)、上月晃(ヴェルマ役)、植木等(ビリー役)、小野ヤスシ(エイモス役)、諏訪マリー(ママ・モートン役)という顔ぶれです。フォッシー作品の常連ダンサーで彼の振付助手も務めていたジーン・フットが来日し、演出と振付を担当しました。その後も85年と87年に帝国劇場で再演されています。
(出典 アンバサダー劇場プログラム[米国]およびACT劇場プログラム[日本])

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5. 感 想
 シカゴのギャングといえばアル・カポネを思い出します。シカゴは今年(2008年)6月の米国旅行の際、ボストン往きの中継地点で、ここで入国審査を受けました。米国のオバマ新大統領の活動拠点でもあります。
 ミュージカルとしては、劇団四季のレパートリーや、帝劇で上演されるような作品とは、かなり違っていました。まず主題が暗黒時代のシカゴの事件であり、踊り(くねるような)や演出がかなり違っていました。また舞台にしつらえられたオーケストラボックス、舞台の両袖にかけられた「はしご」なども特異でした。しかし、このようなミュージカルが見られたことは、良い経験だったと思っています。
 いつも思うことですが、日本のプログラムは欧米のものと比べて、かなり内容が濃いので、読み直すことで、よい勉強ができたと感じています。

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[Last Updated 11/30/2008]