「河 内 山」ほか

    目 次

1. はじめに
2. 演目と配役
3. 解説と見どころ
4. 感 想

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1. はじめに
 先月(2008年9月)は、「歌舞伎座120年 秀山祭9月大歌舞伎」夜の部を見に行きました。初代吉右衛門ゆかりの演目を当代吉右衛門を中心に再現するものです。
 出し物は近江源氏先陣館(盛綱陣屋)、鳥羽絵、河内山(天衣紛上野初花)の場の3本で、吉右衛門、松緑、富十郎、左團次などが出演しました。

2. 演目と配役

1. 近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた) 一幕
  盛綱陣屋
 佐々木盛綱   吉右衛門
 妻 早瀬     玉 三 郎
 信楽太郎     松   緑
 和田兵衛秀盛  左 團 次
2. 菅原伝授手習鑑より 車引(くるまびき) 一幕
 松  王  丸  橋之助
 梅  王  丸  松  緑
 杉  王  丸  種太郎
3. 鳥羽絵(とばえ)          清元連中
 下 男 升 六  富 十 郎
 ね ず み    鷹 之 資

  河竹 黙阿弥 作
  天衣紛上野初花
4. 河  内  山(こうちやま)     二幕四場
      上州屋質見世の場より
      松江邸玄関先の場まで
 河内山宗俊   吉右衛門
 松江出雲守   染 五 郎
 高木小左衛門  左 團 次

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3. 解説と見どころ
盛綱陣屋
 この作品は、明和6年(1769)に大坂竹本座で全九段の時代浄瑠璃として初演され、翌年には歌舞伎に移されました。作者は複雑な展開を得意とした名作者の近松半二です。
 時代は鎌倉に据えられていますが、大坂冬の陣をその題材としており、佐々木盛綱、高綱は、真田信之、幸村を、和田兵衛は後藤又兵衛を、北條時政は徳川家康がそのモデルとなっています。
 今回上演される「盛綱陣屋」は原作の八段目にあたりますが、この盛綱役は初代吉右衛門の屈指の当り役のひとつで、現在では播磨屋型での上演が一般的です。
 上使の和田兵衛から、子ゆえに弟の高綱が迷うことを聞いた盛綱が思案に暮れて、「思案の扇からりと捨て」で、母の微妙を呼び出し、小四郎を殺してくれと頼む場面は、前半の見どころです。
 微妙は三婆(さんばばあ)のひとつで、大名の後室らしい品格が求められるほか、苦衷の末、孫の小四郎に死を勧めるなど、しどころも多く難しい役となっています。
 また高綱の妻の篝火と盛綱の妻の早瀬の、敵味方に別れて戦うそれぞれの妻たちの姿が対照的に描かれています。
 勇壮な信楽太郎と、滑稽な伊吹藤太が注進に駆けつけますが、この注進を受ける盛綱が、弟の高綱の戦死を知る件(くだり)は、続いての眼目となっています。
 やがて北條時政が入来し、高綱の首実検となり、影武者の首と小四郎の自害を眼前にした盛綱が、高綱の策略を悟るまでのはら芸と、健気な小四郎の働きを篝火たちに教える場面は、この作品最大の見どころで、義太夫狂言ならではの盛り上がりを見せます。
 そして再び和田兵衛が現れ、潔く切腹しようとする盛綱を止め、再会を約して分かれる幕切れまで見せ場が続きます。
 吉右衛門の盛綱に、玉三郎の早瀬、福助の篝火、松緑の信楽太郎、歌昇の伊吹藤太、歌六の時政、左團次の和田兵衛、そして芝翫の微妙という豪華配役で、初代吉右衛門ゆかりの作品を上演する秀山祭らしい話題の一幕です。

鳥羽絵(とばえ)
 この作品は、文政2年(1819)9月に三世中村歌右衛門(当時 芝翫)が上坂のお名残狂言として上演した九変化舞踊『御名残押絵交貼(おんなごりおしえのまぜはり)』の一景として初演されました。作者は二世桜田治助、作曲は清元万吉(後の斎兵衛)によるものです。
 外題の"鳥羽絵"とは、江戸時代後期に人気を博した戯画のことで、簡単な描線で人々の様子を滑稽に描いたものです。寛政6年(1794)に刊行された山東京伝による滑稽本『絵兄弟』のなかに、擂粉木(すりこぎ)に羽が生えて、これを追って行く男の姿を描いた図があり、これがこの舞踊の典拠になっています。
 「しめたぞしめた おっとどつこい」
で、半襦袢(はんじゅばん)に半股引(はんももひき)姿の下男の升六が鼠を追って現れます。「それが憎さの升落(ますおと)し」と詞章に読み込まれている"升落し"とは、升を使った鼠捕りのことです。
 「見おれお蔭で風邪ひいた」からは、"風邪をひく"に因んでの、引く物尽くしの滑稽な踊りとなります。
 そして擂粉木を持って升六が鼠を打とうとするところ、擂粉木に羽が生えて飛んでいきます。「ああら怪し」と升六がこれを見込む件(くだり)では、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の「床下」もどきの動きを見せます。
 「何故そのように腹立てて 私を何とさしつけに」からは、鼠が升六をかきくどき始めますが、この件は大きな見どころであり、「及ばぬ恋の身の願い」は、清元の聴きどころとなっています。
 「可愛いお方の お声はせいで」では、当時流行したトッチリトン節に合わせての升六の踊りとなり、吉原の様子を踊ってみせます。そして鼠が升六を踏まえるという、あべこべの可笑し味を見せて、幕となります。
 下男升六に富十郎、鼠に鷹之資という親子共演で、今年の干支に因みある清元の名作舞踊をお楽しみ頂きます。

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河内山(こうちやま)
 明治14年(1881)に東京新富座で初演されたこの作品は、幕末から明治にかけて活躍した河竹黙阿弥の代表作のひとつです。
 河内山宗俊(史実では宗春)は文政年間に実在した表坊主(おもてぼうず)で、さまざまな悪事を働いたと伝えられていますが、その詳細は不明です。巷間に伝わる河内山の逸話をもとに、二世松林伯円(しょうりんはくえん)が講談『天保六花撰(てんぼうろっかせん)』を口演し、これを黙阿弥が劇化しました。
 この河内山役は九世市川團十郎の当り役でしたが、これを初代吉右衛門が受け継いでさらに練り上げ、世話物の当り役のひとつとしました。
 質見世では、ふてぶてしい河内山が、上州屋の番頭たちに「ヒジキに油揚げの惣菜ばかりをうまがって喰っている」から良い知恵もでないと嘲笑う場面が、その見せ場となっています。
 松江邸広間では、短慮な松江出雲守、好臣の北村大膳と、お家のために主君にも諌言する忠臣高木小左衛門、宮崎数馬たちが対照的に描かれ、これが幕切れの伏線へとなっていきます。
 書院は、東叡山の使僧に化けた河内山が、浪路を帰すことを渋る出雲守をやり込めていき、ついにこれを承諾させるまでが眼目となっています。この場面の河内山には、何よりも使憎らしい品位が必要ですが、中啓(ちゅうけい)を使って献紗(ふくさ)で覆われた金子を覗く件(くだり)で、その本性を垣間見せます。
 玄関先で、北村大膳から河内山と見破られ、がらりと雰囲気を変えて、河内山が「悪に強きは善にもと」と啖呵を切る場面は、この作品最大の見どころで、黙阿弥ならではの七五調の名台詞は、聴きどころとなっています。
 先代同様に当り役としている吉右衛門の河内山に、染五郎が初役で挑む松江出雲守、芝雀の腰元浪路、錦之助の宮崎数馬、歌六の和泉屋清兵衛、左團次の高木小左衛門ほかの配役で、秀山祭にふさわしい黙阿弥の名作を上演します。
(出典 歌舞伎座発行のプログラム[平成20年9月])

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4. 感 想
 「河内山」のほかは、初めて見る演目です。最初の「盛綱陣屋」はいかにも歌舞伎らしい芝居です。二番目の「鳥羽絵」は富十郎が兄と同級とあって、興味を持ちました。80歳位でこれだけの踊りを、しかも息子相手に演じるのですから、大したものです。最後の「河内山」は、時代背景を考えると、納得できます。吉右衛門の秀山祭となると、見に行くのが習慣になっています。

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[Last Updated 10/31/2008]