「仮名手本忠臣蔵」ほか

    目 次

1. はじめに
2. 演目と配役
3. 解説と見どころ
4. 初代松本白鸚を偲ぶ
5. 感 想

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1. はじめに
 先月(2008年2月)は、歌舞伎座へ「初代白鴎27回忌追善 2月大歌舞伎」昼の部を見に行きました。先代幸四郎(後の初代白鴎)のゆかりの演目を子供たちを中心に再現するものです。
 出し物は小野道風青柳硯、菅原伝授手習鑑から車引、積恋雪関扉と仮名手本忠臣蔵7段目祇園一力茶屋の場の4本で、松緑、吉右衛門、幸四郎、染五郎などが出演しました。

2. 演目と配役

1. 小野道風青柳硯(おののとうふうあおやぎすずり) 一幕
  柳ヶ池蛙飛の場
 小 野 道 風   梅  玉
 独鈷 の 駄六  三津五郎
2. 菅原伝授手習鑑より 車引(くるまびき) 一幕
 松  王  丸  橋之助
 梅  王  丸  松  緑
 杉  王  丸  種太郎
3. 積恋雪関扉(つもるこい ゆきのせきのと)   常磐津連中
 関守関兵衛
 実は大伴黒主   吉右衛門
 良峯少将宗貞   染五郎
4. 仮名手本忠臣蔵(かなでほん ちゅうしんぐら)
  7段目 祇園一力茶屋の場 一幕
 大星由良之助   幸四郎
 寺岡平右衛門   染五郎
 大 星 力 弥   高麗蔵

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3. 解説と見どころ
小野道風青柳硯
 この作品は宝暦4年(1754)に、大坂竹本座で初演された全五段の時代浄瑠璃で、歌舞使には翌5年に移されて上演されました。作者は二世竹田出雲、近松半二、三好松洛ほかです。今回上演される「柳ヶ池蛙飛の場」は、原作の二段日の口にあたりますが、一説にはこの場面は、近松半二が作者となって初めて執筆した箇所であると言われています。
 小野道風が柳に飛びつく蛙の姿を見て悟りをひらくという逸話は、江戸時代に出来たもので、寛延3年(1750)に成立した江戸中期の思想家、三浦梅園の「梅園叢書」に見られるものが最も早いものです。その後、画題として浮世絵をはじめ、この逸話に基づく道風の姿が描かれるようになりましたが、人口に膾炙するにあたっては、この『小野道風青柳硯』が果たした役割も大きいと考えられています。
 浅黄幕が振り落とされると、小野道風の出となり、木工頭(もくのかみ)に任ぜられ身分が変わって、降る雨の風情に気付き、その趣に感じ入る件(くだり)は、最初の見どころとなっています。そして蛙が柳に飛び付く様子を見て、橘逸勢(たちばなのはやなり)の謀反の企みが、いつか天下を揺るがす大事になることを悟った道風の長台詞は、聴きどころです。
 続いての道風と独鈷(とっこ)の駄六(だろく)との相撲の手を使っての立廻りは、この作品の眼目であり、幕切れに駄六が蛙の様子を見せる件は、ユーモア溢れる場面です。
 本興行での上演は、昭和21年に三越劇場で初代吉右衛門の道風、初代自鸚の駄六で上演されて以来となります。梅玉の道風、三津五郎の駄六で、趣ある義太夫狂言をお楽しみ下さい。

車 引
 三大義太夫狂言のひとつに数えられる『菅原伝授手習鑑』は、延享3年(1746)8月に大坂竹本座で初演されて大当りをとり、翌月には早速、歌舞伎に移されて上演されました。作者は竹田出雲、並木千柳(宗輔)、三好松洛、竹田小出雲(後の二世出雲)の4人です。
 この『車引』は、丸本物でありながら、歌舞伎独自の演出がさまざまに加味されたことによって華やかな舞台となり、歌舞伎の美学が堪能できる一幕となっています。
 幕が開くと、深編笠を被った梅王丸と桜丸の登場となり、近況を尋ねあううちに、金棒引が通りかかり、恨み重なる藤原時平が吉田神社に社参することを触れていきます。そしてふたりが義太夫に合わせて深編笠を脱ぎ捨てて、その顔を見せる場面は最初の見どころで、梅王丸は豪快な飛び六方の引っ込みを見せます。
 続いて吉田神社となり、時平の牛車に梅王丸と桜丸が狼藉を働こうとするところへ、松王丸が駆けつけ、二人を押し止めます。そして松王丸の横見得(みえ)にはじまり、石投げの見得、梅王丸の元禄見得と、様々な見得で極まる場面は、『車引』の大きな眼目となっています。また松王丸が一本隈(くま)、梅王丸が二本隈、桜丸がむきみ隈と、それぞれの役柄の違いを隈取で表現しています。
 公家荒の隈をとった時平が一睨みすると、梅王丸と桜丸の体がすくむのは、時平が超人的なカを持っていることを現しているものです。
 初代白鸚は『車引』の松王丸を得意としていましたが、なかでも昭和50年11月に歌舞伎座で、二代目松緑、七代目梅幸と共演した折の舞台は、語り草になつています。
 橋之助の松王丸、松緑の梅王丸、錦之助の桜丸、そして歌六の藤原時平で、華やかな一幕をご覧頂きます。

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積恋雪関扉
 この作品は、天明4年(1784)に江戸桐座で上演された顔見世狂言『重重人重小町桜(じゅうにひとえこまちざくら)』の、二番目大切所作事として初演されました。作詞は劇神仙(げきしんせん)こと宝田寿来、作曲は初世鳥羽屋里長に拠るものです。
 『関の扉』のみを残して『重重人重小町桜』は絶えたために、勘合の印や「二子乗舟(じしじょうしゅう)」と血で認められた片袖などの関係性が、解りづらくなっていますが、この一幕だけで大らかな天明歌舞使の特色が十二分に窺えます。
 この『関の扉』は、戦前には本興行の上演があまりありませんでしたが、昭和22年に三越劇場で、初代松本白鸚の関兵衛、六世中村歌右衛門の小町姫、墨染、十七世中村勘三郎の宗貞で上演し、再び人気演目となりました。
 幕が開き、謡ガカリに始まるオキが済むと、浅黄幕が落とされて、柴を刈っている関兵衛が現れます。続いて小町姫の花道の出となりますが、花道での小町姫の踊りは最初の見どころとなっています。やがて小町姫を訝(いぶか)しがる関兵衛との問答となり、特に「生野暮臼鈍(さやぼうすどん)情なし苦なし」の件(くだり)では、関兵衛か飄逸(ひょういつ)な当て振りを見せます。
 「その初恋は去年(こぞ)の秋」から宗貞と小町姫がその馴れ初めを語り、「恋じゃあるもの」からは関兵衛も加わり、前半の大きな眼目である三人での手踊りとなります。
 「その間に奥の一間より」で関兵衛の二度目の出となり、盃中に映る星の影を見ての見得など、関兵衛の見せ場が続きます。そして「幻か深雪に積もる桜影」で、墨染の姿が桜の洞(うろ)の中に浮かび上がり、墨染の出となります。
 「行くも帰るも忍ぶの乱れ」からは、後半の見どころである廓話の踊りとなり、やがて関兵衛と墨染は互いの本性を顕してぶっかえり、華やかな所作ダテとなって幕となります。
 吉右衛門の関兵衛、福助の小町姫、墨染、染五郎の宗貞という配役で、初代白鸚所縁(ゆかり)の常磐津舞踊の大曲をお楽しみ下さい。

仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場
 二世竹田出雲、三好松洛、並木千柳(宗輔)の傑作である『仮名手本忠臣蔵』の中でも、今回上演される「七段目」は、もっとも華やかで、人気のある場面となっています。
 大星由良之助が敵の目を欺くために遊興に耽るという趣向は、史実の大石内蔵助が山科隠棲中に撞木町の廓などで遊んだという逸話を踏まえています。『仮名手本忠臣蔵』に先行する赤穂浪士劇である『鬼鹿毛無佐志鐙(おにかげむさしあぶみ)』などにもすでに同様の趣向があり、「七段目」はこうした先行作の趣向を受け継いで成立しています。
 本心を押し隠して遊興に耽る由良之助の姿は、「七段目」の見どころのひとつで、元国家老らしい風格の大きさも求められる上、色気も必要で非常に難しい役です。一方、寺岡平右衛門は、小心者ながら忠義に篤い好人物で、典型的な奴の役どころです。
 また力弥が届けに来た密書を由良之助が受け取る場面では、由良之助の深謀ぶりを見せます。
 由良之助が密書を読む"釣燈籠″の件(くだり)は、由良之助を中心にして、二階のおかると縁の下の九太夫の三人が絵面に極まる場面で、「七段目」の眼目です。そして密書を盗み読んだおかるを由良之助が二階から下ろし、ふたりがじゃれつく場面では、廓らしい雰囲気が漂います。
 平右衛門が再び登場する後半からは、おかると平右衛門のやりとりが物語の中心となつていきます。兄妹のおかし味あるやりとりを見せた後、由良之助の本心を知った平右衛門が、おかるに斬りかかり、父親や勘平の死を告げます。そして平右衛門がおかるの命をくれと訴える件や、「もったいないが父さんは」に始まるおかるのクドキは、後半の大きな見どころとなつています。
 自鸚の襲名披露狂言であった所縁(ゆかり)の作品を、幸四郎の由良之助、染五郎の平右衛門、芝雀のおかるという配役で上演します。
(出典 歌舞伎座発行のプログラム[平成20年2月])

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4. 初代松本白鸚を偲ぶ 松本幸四郎が語る
 「父は派手なことが好きではありませんでしたので27回忌に何か追善狂言を、と考えておりましたら、皆さんのご厚意で追善興行ということになりまして。本当にありがたいことです」と語る。
 「皆さん、追善に出たいと言って下さって」改めて父の人徳に「感じ入った」という。
 『七段目』の由良之助は「高麗屋三代襲名」の折にも白鸚が演じた役だ。
 「『七段目』の由良之助は『忠臣蔵』の中でも一番難しいのではないでしょうか。酸いも甘いも噛み分けた大人の男、そして色気も感じさせる役。60を過ぎ、晩年の親父の年齢にだんだん近づいて来ました。これまで自分が積み重ねて来たものを加味できればと思います」。
 そして熊谷。
 「父の当り役はいろいろあげられますが、その中でも本当に好きな、愛している役だったのではないかという気がします」。
 劇中で自身が一番好きなのは、「制札の見得になる寸前」と語る。
 「お騒ぎあるな、と相模を制して、『ん、ん〜ん』と声にならない声を発する。何ともいえない夫婦間の愛情、機微が凝縮されているように思います」。
 その制札の見得で衝撃的な体験がある。
 「よく"見得はクローズ・アップだ"と言われますが、父の熊谷が長袴を蹴出して制札を突いた瞬間、客席の方へ本当にぐつと寄って見えた。あの瞬間、白鸚の熊谷で舞台がいっぱいになってしまった……。父をひとことで表すとするならば、本当に大きな役者でした」。
(出典 歌舞伎座発行のプログラム[平成20年2月])

5. 感 想
 「菅原伝授手習鑑」は前に文楽で通しを見ており、また「仮名手本忠臣蔵」も歌舞伎で通しを見ていたため、今回は両方とも一幕の舞台でしたが、全体の大筋が解っていたので楽しめました。最初の「小野道風青柳硯」は始めてみる舞台で、柳に飛びつく蛙が別の話題に使われており、しかも独鈷の駄六の相撲振りというのは目新しく思いました。二番目の「車引」は松王丸、梅王丸、桜丸の兄弟など、ちょっとわかりにくい筋ですが、文楽とはいえ前に見ていたので理解できました。三番目の「関の扉」は、初代白鸚所縁(ゆかり)の常磐津舞踊の大曲ということで、これも始めてみる舞台です。最後の「仮名手本忠臣蔵」の「七段目」はいつ見ても良くできた芝居だと思います。前半の大星由良之助中心の話と、後半の平右衛門とおかるの話と、それぞれ楽しめる内容になっています。

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[Last Updated 3/31/2008]