本の紹介 生物と無生物のあいだ

  目 次

1. 本との出会い
2. 概 要
3. 本の目次
4. プロローグ
5. 著者紹介
6. 読後感





福岡伸一著
講談社現代新書
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1. 本との出会い
 V Age Clubの「新書を読む会」では毎月一冊新書の新刊の中から皆で読む本を選び、各自が読んだ後、次の例会で感想を述べ合っています。2008年5月の課題書が、この本でした。新書大賞とサントリー学術賞をダブル受賞したようです。

2. 概 要
 夏休み。海辺の砂浜を歩くと足元に無数の、生物と無生物が散在していることを知る。美しいすじが幾重にも走る断面をもった赤い小石。私はそれを手にとってしばらく眺めた後、砂地に落とす。ふと気がつくと、その隣には、小石とはとんど同じ色使いの小さな貝殻がある。そこにはすでに生命は失われているけれど、私たちは確実にそれが生命の営みによってもたらされたものであることを見る。小さな貝殻に、小石とは決定的に違う一体何を私たちは見ているというのだろうか。(本文より)

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3. 本の目次
     プロローグ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    3
第1章   ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク ・・・・・・・・・・・・・・・・  13
第2章   アンサング・ヒーロー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  29
第3章   フォー・レター・ワード・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  47
第4章   シヤルガフのパズル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  64
第5章   サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  83
第6章   ダークサイド・オブ・DNA・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  101
第7章   チャンスは、準備された心に降り立つ ・・・・・・・・・・・・・・・・・  117
第8章   原子が株序を生み出すとき ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  134
第9章   動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)とは何か ・・・・・・  152
第10章 タンパク質のかすかな口づけ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  169
第11章 内部の内部は外部である ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  187
第12章 細胞膜のダイナミズム ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  204
第13章 膜にかたちを与えるもの ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  224
第14章 数・タイミング・ノックアウト ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  238
第15章 時間という名の解(ほど)けない折り紙 ・・・・・・・・・・・・・・・・  255
      エピローグ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  274

4. プロローグ
 私は今、多摩川にほど近い場所に住んでいて、よく水辺を散策する。川面を吹き渡ってくる風を心地よく感じながら、陽光の反射をかわして水の中を覗き込むと、そこには実にさまざまな生命が息づいていることを知る。水面から突き出た小さな三角形の石に見えたものが亀の鼻先だったり、流れにたゆたう糸くずと思えたものが稚魚の群れだったり、あるいは水草に絡まった塵芥(じんかい)と映ったものが、トンボのヤゴであったりする。
 そんなとき、私はふと大学に入りたての頃、生物学の時間に教師が問うた言葉を思い出す。人は瞬時に、生物と無生物を見分けるけれど、それは生物の何を見ているのでしょうか。そもそも、生命とは何か、皆さんは定義できますか?
 私はかなりわくわくして続きに期待したが、結局、その講義では明確な答えは示されなかった。生命が持ついくつかの特徴−たとえば、細胞からなる、DNAを持つ、呼吸によってエネルギーを作る−、などを列挙するうちに夏休みが来て日程は終わってしまったのである。
 なにかを定義するとき、属性を挙げて対象を記述することは比較的たやすい。しかし、対象の本質を明示的に記述することはまったくたやすいことではない。大学に入ってまず私が気づかされたのはそういうことだった。思えば、それ以来、生命とは何かという問題を考えながら、結局、明示的な、つまりストンと心に落ちるような答えをつかまえられないまま今日に至ってしまった気がする。それでも今の私は、20数年来の問いを次のようにあとづけることはできるだろう。
 生命とは何か? それは自己複製を行うシステムである。20世紀の生命科学が到達したひとつの答えがこれだった。1953年、科学専門誌『ネイチヤー』にわずか千語(1ページあまり)の論文が掲載された。そこには、DNAが、互いに逆方向に結びついた2本のリボンからなっているとのモデルが提出されていた。生命の神秘は二重ラセンをとっている。多くの人々が、この天啓を目の当たりにしたと同時にその正当性を信じた理由は、構造のゆるぎない美しさにあった。しかしさらに重要なことは、構造がその機能をも明示していたことだった。論文の若き共同執筆者ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックは最後にさりげなく述べていた。この対(つい)構造が直ちに自己複製機構を示唆することに私たちは気がついていないわけではない、と。
 DNAの二重ラセンは、互いに他を写した対構造をしている。そして二重ラセンが解けるとちょうどポジとネガの関係となる。ボジを元に新しいネガが作られ、元のネガから新しいポジが作られると、そこには二組の新しいDNA二重ラセンが誕生する。ポジあるいはネガとしてラセン状のフィルムに書き込まれている暗号、これがとりもなおさず遺伝子情報である。これが生命の"自己複製"システムであり、新たな生命が誕生するとき、あるいは細胞が分裂するとき、情報が伝達される仕組みの根幹をなしている。
 DNA構造の解明は、分子生物学時代の幕を切って落とした。DNAの暗号が、細胞内のミクロな部品の規格情報であること、それがどのように読み出されるのかが次々と解明されていった。1980年代に入ると、DNA自体をいわば極小の外科手術によって切り貼りして情報を書き換える方法、つまり遺伝子操作技術が誕生し分子生物学の黄金期が到来した。もともとは野原に昆虫を追い、水辺に魚を捕らえることに夢中で、ファーブルや今西錦司のようなナチュラリストを夢見ていた私も、時代の熱に逆らうことはできなかつた。いやおうなく、いや、むしろ進んでミクロな分子の世界に突き進んでいった。そこにこそ生命の鍵があると。

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 分子生物学的な生命観に立つと、生命体とはミクロなパーツからなる精巧なプラモデル、すなわち分子機械に過ぎないといえる。デカルトが考えた機械的生命観の究極的な姿である。生命体が分子機械であるならば、それを巧みに操作することによって生命体を作り変え、"改良"することも可能だろう。たとえすぐにそこまでの応用に到達できなくとも、たとえば分子機械の部品をひとつだけ働かないようにして、そのとき生命体にどのような異常が起きるかを観察すれば、部品の役割をいい当てることができるだろう。つまり生命の仕組みを分子のレベルで解析することができるはずである。このような考え方に立って、遺伝子改変動物が作成されることになった。"ノックアウト"マウスである。
 私は膵臓(すいぞう)のある部品に興味を持っていた。膵臓は消化酵素を作ったり、インシュリンを分泌して血糖値をコントロールしたりする重要な臓器である。この部品はおそらくその存在場所や存在量から考えて、重要な細胞プロセスに関わっているに違いない。そこで、私は遺伝子操作技術を駆使して、この部品の情報だけをDNAから切り取って、この部品が欠損したマウスを作った。ひとつの部品情報が叩き壊されている(ノックアウト)マウスである。このマウスを育ててどのような変化が起こっているのかを調べれば、部品の役割が判明する。マウスは消化酵素がうまく作れなくなって、栄養失調になるかもしれない。あるいはインシュリン分泌に異常が起こつて糖尿病を発症するかもしれない。
 長い時間とたくさんの研究資金を投入して、私たちはこのようなマウスの受精卵を作り出した。それを仮母の子宮に入れて子供が誕生するのを待った。母マウスは無事に出産した。赤ちやんマウスはこのあと一体どのような変化を来たすであろうか、私たちは固唾(かたず)を呑んで観察を続けた。子マウスはすくすくと成長した。そしておとなのマウスになった。なにごとも起こらなかった。栄養失調にも糖尿病にもなっていない。血液が調べられ、顕徴鏡写真がとられ、ありとあらゆる精密検査が行われた。どこにもとりたてて異常も変化もない。私たちは困惑した。一体これはどういうことなのか。
 実は、私たちと同じような期待をこめて全世界で、さまざまな部品のノックアウトマウス作成が試みられ、そして私たちと同じような困惑あるいは落胆に見舞われるケースは少なくない。予測と違って特別な異常が起きなければ研究発表もできないし、論文も書けないので正確な研究実例は顕在化しにくい。が、その数はかなり多いのではないだろうか。
 私も最初は落胆した。もちろん今でも半ば落胆している。しかしもう半分の気持ちでは、実は、ここに生命の本質があるのではないか、そのようにも考えてみられるようになってきたのである。
 遺伝子ノックアウト技術によって、パーツを一種類、ピースをひとつ、完全に取り除いても、何らかの方法でその欠落が埋められ、バックアップが働き、全体が組みあがってみると何ら機能不全がない。生命というあり方には、パーツが張り合わされて作られるプラモデルのようなアナロジーでは説明不可能な重要な特性が存在している。ここには何か別のダイナミズムが存在している。私たちがこの世界を見て、そこに生物と無生物とを識別できるのは、そのダイナミズムを感得しているからではないだろうか。では、その"動的なもの″とは一体なんだろうか。
 私は一人のユダヤ人科学者を思い出す。彼は、DNA構造の発見を知ることなく、自ら命を絶ってこの世を去った。その名をルドルフ・シェーンハイマーという。彼は、生命が「動的な平衡状態」にあることを最初に示した科学者だった。私たちが食べた分子は、瞬く間に全身に散らばり、一時、緩くそこにとどまり、次の瞬間には身体から抜け出て行くことを証明した。つまり私たち生命体の身体はプラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている。

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 私は先ごろ、シェーンハイマーの発見を手がかりに、私たちが食べ続けることの意味と生命のあり方を、狂牛病禍が問いかけた問題と対置しながら論考してみた(『もう牛を食べて安心か』文春新書、2004)。この「動的平衡」論をもとに、生物を無生物から区別するものは何かを、私たちの生命観の変遷とともに考察したのが本書である。私の内部では、これが大学初年度に問われた問い、すなわち生命とは何か、への接近でもある。

5. 著者紹介
 福岡伸一
(ふくおかしんいち)
 1959年東京生まれ。京都大学卒。ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授などを経て、現在、青山学院大学教授。専攻は分子生物学。著書に『もう牛を食べても安心か』(文春新書)、『プリオン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス、講談社出版文化賞科学出版賞受賞)などがある。2006年、第1回科学ジャーナリスト賞受賞。

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6. 読後感
 著者はテーマを理解するのに必要な知識を、順序を追って説明して行きます。内容は次のような項目です。
 ウイルスは生物か?
 DNA(デオキシリボ核酸)は二重ラセン構造。構造が美しいだけでなく、機能を構造に内包している。DNAこそが遺伝子の本体である。
 複数の4文字によりタンパク質(20種類)が表せる。
 PCRにより特定の文字列を探して増やす。
 GP2ノックアウトマウス誕生 できたがまったく正常だった。
 生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、折りたたんだら二度と解くことができない。
 著者は難しい考え方や、トピックスを巧みな比喩や、いくつかの図などを使って説明して行きます。一度読んだだけでは、解ったとは言えませんでしたが、二度三度と読み返すことにより、おぼろげながら著者の言いたいことが解ったような気がしています。

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[Last updated 8/31/2008]