みんなの広場
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 アクセスされた方々との交流の場です。今月は次の三項目を取り上げました。先月の「みんなの広場」は「12 改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)」に移しました。
  2月と3月は季節が逆転したようでした。4月に入って流石に気候が落ち着き、月末には夏のような日差しも感じられるようになりました。
目 次
1. 「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  今月追加した内容の、ご紹介です。
 1.2 新聞の記事から
  最近読んだ記事の中で、ご参考になると思われるものをご紹介します。
2. 4月のトピックス
 4月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 志野と織部展
  出光美術館に展覧会を見に行きました。
 2.2 関西・山陰旅行(右の写真は出石[いずし]の辰鼓楼[しんころう]です)
  SABTECHの旅行で家内と綾部、出石等を訪れました。
 2.3 オペラ・アリアの夕べ
  NMC主催の演奏会に、家内と参加しました。
 2.4 ヨットの初乗り
  4月29日の昭和の日には、佐島で初乗りを楽しみました。

3. 来月の予定
 今、来月に向けて計画していることを、お知らせします。

1. 「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  「5 本の紹介」に「119 インテリジェンス 武器なき戦争」を追加しました。これはスパイ(インテリジェンス・オフィサー)などに関する幻冬舎新書で、この本を読むと、六ヶ国協議での北鮮の対応など、ニュースの背景がわかります。
  「6 私の愛読書」「7 遠藤周作氏 深い河ほか」「9. 私が愛した小説」の「3. 概要」に「X 俗なるものと聖なるもの」を追加しました。
  「9 趣味」「5. 演劇」に、歌舞伎の「33 義経千本桜」を追加しました。
  「11 興味あるリンク」には、「11 趣味2−旅行」に今月訪れた「11.50 出石(いずし)」と、新たに「16 人」という分類を設け、次項でご紹介する「16.1 星野道夫」を追加しました。
  「総目次」は「8 ウオーキング・旅行」までの文章を修正しました。

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 1.2 新聞の記事から 遠回り   司 修
 星野道夫という写真家がいた。
 作家の池澤夏樹さんは彼のことをこういっている。「ものを見るということはどういうことか。星野道夫の写真は改めてそれを考えさせる」
 写真は絵画のように作者による歪曲(わいきょく)が入り込まない。そこにある現実、見えている対象を瞬間的にとらえる。名カメラマンとその写真を称賛する言葉、「決定的瞬間」というのがあるけれど、ぽくは「その通りだなあ」とつくづく思う。
 目の前の景色や出来事は、百人いれば百人が同じ場を見られる。けれど、その瞬間を決定づけるのは、その人の個性であり、主張であり、人生であり、その生をミリ単位で刻み込んでいく作業である。
 星野道夫の写真に「ものを見るということはどういうことか」と「改めてそれを考えさせる」のは、彼の人生観にあるのだと思う。
 星野は1952年に千葉県市川市に生まれた。16歳の時、慶応義塾高等学校に入学し、その翌年、移民船「アルゼンチナ丸」に乗ってロサンゼルスヘ行き、約2ヶ月間一人旅をしている。高校生にして誰にもできないことへの挑戦が始まった。空路ではお金がかかりすぎる。しかし移民船という特殊な船であったら、旅費も少なかったろう。19歳になって慶応義塾大学の経済学部に入り、サークルは探検部に入った。その夏、信州の農家でたまたま置いてあった新聞に、アラスカの地図を見つけた。地図は漠然と星野が持っていた北方願望をかきたてた。彼は東京に戻ると、神保町の古本屋街を歩いて、アラスカに関する資料を集め、『ナショナルジオグラフィック』誌の「ALASKA」特集を手に入れた。そこに航空写真のシュシュマレフという孤島を発見した。彼はその島の住民5人に届くよう手紙を書いて送った。すると忘れた頃になって1通の返事が返ってきた。来てもいいというのだ。星野はさっそく出かけていき、イヌイットの家族に混じって3ヶ月暮らし、その素晴らしさに魅入られた。彼は日本に戻ると大学を卒業。動物写真家田中光常に弟子入りした。2年間の助手生活で、野生動物写真のノウハウを身につけた星野は、アメリカに渡りシアトルの英語学校に入った。なんと、アラスカ大学野生動物管理学部で学ぶため、英語を確実なものにしたのだ。
 星野は、「石橋を叩いて渡る」といいたくなるような遠回りをしている。
 ぽくはここに、星野の写真の「ものを見るということはどういうことか」が創られていったのだと思う。
 3ヶ月の経験を生かして、日本に戻り、高級カメラとレンズを買って、アラスカを撮影しまくれば、写真家として生きる道が開けるだろう。しかし、星野の思いは、写真家になるのではなかった。星野の出会ったアラスカの自然は、星野を驚かせ、驚きから新たな哲学を生んでいった。彼は、遠回りして、自分の奥底にあった思いへと近づいていった。ぼくは彼のそうした行為を、「すばらしい」のではなく「美しい」と思う。
 星野の写真が、ものを見るという、あたりまえなことを考えさせる理由である。星野はアラスカの自然と、そこに生活するイヌイットの人々を知っていく。観察したり、撮影したりするだけでなく、星野は彼らと共に生活をするのだった。これも外から見れば遠回りである。   (画家)
(出典 日本経済新聞 2007.4.13 夕刊)

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2. 4月のトピックス
 4月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 志野と織部展
  日比谷の出光美術館では「志野と織部−風流なるうつわ」展を会期2月20日〜4月22日で開いていました。出光美術館所蔵品と館外の代表的な名品を集めての展覧会です。国宝の志野茶碗「銘卯花墻」などを見ることができました。数年前に陶芸の仲間と、美濃の窯跡や陶芸村を訪れてから、志野と織部が大好きになりました。こういう名品を見ていると、自分の作風にも少しは良い影響を与えるのではないかと期待しています。
 2.2 関西・山陰旅行
  SABTECHの関西などの三支部合同の支部会が4月14日、京都府の綾部であり、家内と参加しました。当日は夕方からミシェル・フローのシャンソンがあり、続いてパーティーがありました。会場の「ホテル綾部(会員が経営している)」は満員だったので、駅前のホテルに泊まりました。
 翌15日はバスで出石(いずし)に行き、午前は団体で、午後は個人で中心部を徒歩で廻りました。出石は小京都といわれ、鉄道が通っていないせいか、古い街並みが残っています。出石城祉、辰鼓楼(しんころう 時を告げる鼓楼)、家老屋敷などを見物しました。昼食は少し離れた総持寺をバスで訪れ、精進料理を頂きました。議会で反戦演説をやった斉藤隆夫さんは、この町の出身だそうです。一度に5皿出てくる皿そばが有名ですが、昼食後間がなかったので食べることができず、おみやげに買って帰って、家で味わいました。
 帰りは京都にもう一泊して、駅の近くのお寺や大阪の繁華街などを訪ねました。
 2.3 オペラ・アリアの夕べ
  NMCでは毎年この時期にプロの歌手にお願いして、演奏会を開いています。二期会会員のテナー歌手下村雅人(まさひと)氏が企画・司会で、荒牧小百合がソプラノ、菊谷美穂子(きくたにみほこ)さんがピアノで参加されました。
  今年は第1部に日本の歌曲、第2部にオペラ・アリアを取り上げました。第1部では下村雅人さんの父親下村大和さんが作った曲が歌われました。即ち「散る花を」「喜寿に寄す」「かささぎの家では」の三曲です。第2部ではビゼー作曲「カルメン」から「ハバネラ」や、プッチーニ作曲「トスカ」より「星も光りぬ」などが歌われました。アンコールとして「千の風になって」ほかが歌われました。
  下村さんの艶のあるテノールと荒牧さんの少し細いがきれいなソプラノを楽しみました。
 2.4 ヨットの初乗り
  このところコールデンウイークの始め頃、ヨットの初乗りを楽しむことが、定着しました。ヨット仲間8名(内1名はヴィジター)が佐島に集まり、近くの海を江ノ島近くまで航行しました。幸い天気にも風にも恵まれ、3時間余りのセーリングを楽しみました。シーズン初めに船底に付いた貝や藻を取り除き塗装したり、スクリューの軸を調整して貰ったせいか、快調な走りでした。早めに帰港し、佐島の魚屋で仕入れたタコ、すずき、マンボウを刺身にして、ビールで乾杯しました。その後、海の見える風呂に入り京急の新逗子まで車で送って貰い、川崎経由で帰宅しました。

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3. 来月の予定
 来月は次のような項目を予定しています。
 3.1 本の紹介
  佐久総合病院におられた、若月俊一氏に関する本を取り上げたいと思っています。
 3.2 私の愛読書
  遠藤周作の「私の愛する小説」を、続けて採り上げたいと思います。
 3.3 ウオーキング・旅行
  4月に行った出石や京都・大阪を採り上げたいと思います。
 3.3 リンク集
  「興味あるリンク」を少しずつ追加したいと思っています。

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[Last Updated 5/31/2007]