みんなの広場
(2007年3月に移動)

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 アクセスされた方々との交流の場です。今月は次の三項目を取り上げました。先月の「みんなの広場」は「12 改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)」に移しました。
  立春も過ぎ、寒い日もありますが、東京はこの冬一度も雪が降らないまま春を迎えそうです。家に近い池上梅園には大勢の観光客が詰めかけています。私が週に一度くらい通っている青山にある神宮外苑テニスクラブのコート脇の桜が咲き始めています。
目 次
1. 「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  今月追加した内容の、ご紹介です。
 1.2 新聞の記事から
  最近読んだ記事の中で、ご参考になると思われるものをご紹介します。
2. 2月のトピックス
 2月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 卓 球
  6日、久しぶりに大学の友人と卓球をやりました。
 2.2 新国立美術館
  乃木坂に新しくできた美術館へ「異邦人(エトランジェ)たちのパリ[ポンピドーセンター所蔵作品展]」を見に行きました。
 2.3 観 梅
  2月21日、浜離宮公園に、V Ageの仲間と、観梅に行きました。右の写真は公園の梅の木です。
 2.4 スキー
  草津・万座と、八方尾根のスキーに友人達と参加しました。

3. 来月の予定
 今、来月に向けて計画していることを、お知らせします。

1. 「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  「6 私の愛読書」「7 遠藤周作氏 深い河ほか」「9. 私が愛した小説」の「3. 概要」に「V 秋よ、落日の時よ、」を追加しました。
  「8 ウオーキング・旅行」に、正月に訪れた「28 荏原七福神」を追加しました。
  「9 趣味」「5. 演劇」に、先月見た歌舞伎座1月公演「32 切られお富」を追加しました。
  「11 興味あるリンク」には、「10.2 絵画」に今月訪れた「10.2.11 新国立美術館」と「15 政治・国際問題」に新聞に載っていた「15.2 日本語で読む中東メディア」を追加しました。

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 1.2 新聞の記事から 『患者図書館は心に効く−病院内で専任司書、多彩な書籍そろえ癒やし提供』 菊池 佑
 病院に患者のための図書館をつくる運動を始めて30年以上になる。当初は患者のための図書館という概念も日本の医療界ではほとんど知られていなかったが、インフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)の普及など、医療を取り巻く環境の変化で最近ようやく認知され始めた。
                                           ◇ ◇ ◇
独学で勉強始める
1969年、図書館短期大学(現筑波大)に司書の資格を得るために入学した。教科書を眺めていると、「欧米では病院に入院患者のための図書館が普及しているが、日本ではほんの数カ所程度だ」という趣旨の、数行の記述があった。
 私にはまだ誰も手がけていない仕事をしたいという思いがあった。患者向けの図書館がないのなら、まさにぴったりのテーマだと思った。
 当時は日本が経済大国に向かう高度成長期。大阪万博の前年で、文化的なものへの関心も高まっていた。だが、病気で入院している人には文化に触れる機会が乏しかった。将来必ず必要になると確信した。
 卒業後は私立大学に司書として勤務する傍ら、海外の文献を取り寄せ、独学で勉強を始めた。だが個人での研究は限界がある。医師ら医療職の意見も聞きたい。そこで74年に日本病院図書館研究会(現・日本病院患者図書館協会)を設立した。
 最初に手がけたのは全国の病院の実態調査だ。221病院がアンケートに答えたが、本の貸し出しなどを実施している病院は84。司書を置く病院は1病院で、それも医師向けとの兼任という状況だった。
 欧米の実態を知らせれば多少は必要性を認識してくれるのではないか。そう考えて職場の夏休みを利用し、75年に米国、76年に英国、77年にスウェーデンの患者図書館を視察し、図書館関連誌に寄稿した。
                                           ◇ ◇ ◇
欧米との格差に衝撃
 米国では各病院の患者図書館に1人の司書はいた。英国では2人、福祉国家スウェーデンは必ず数人の司書がいた。患者図書館は娯楽の提供と同時に、病気の知識を伝える役割もある。医学知識のある専任司書が必要だと痛感した。
 もっとも衝撃を受けたのは83年に行ったポーランドだ。戒厳令が解除されたばかりで、経済は停滞し食糧不足の状態だったが、訪ねた患者図書館は専任司書を置く立派なものばかり。経済大国日本の現状に恥ずかしさを覚え、身を縮めた。
 欧州は中世以来修道院などが病院経営を担ってきた歴史がある。それだけにベッドサイドでの説教と同様、本も心のケアとして重視された。日本は文明開化のころに病院の形だけをまねた。時間がかかると覚悟した。
 調査活動と並行して77年より始めたのが小児科病院での読み聞かせや紙芝居のボランティア活動だ。病院に図事館を根付かせる運動をする以上、病院の内部に入って、仕組みや仕事の様子を知る必要があると考えた。
 ボランティアという言葉もなじみがなかったころだ。最初に始めた国立大蔵病院(現国立成育医療センタ)でも、「そこまで熱心なら」とようやく医長が折れて実現した。当初は二、三回のつもりだったらしいが、現場の看護師の熱心な後押しで毎週続けられた。
 徐々に賛同者もでてきた。医師や看護師向けの雑誌からも原稿依頼がきた。一方、職場では「もう出世する気がない」とみなされ、若い人たちに先を越されていった。

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                                           ◇ ◇ ◇
設立参画のチャンス
 「県立がんセンターを作るにあたり、患者中心の医療を進めたい。ついては患者図書館についてご意見を賜りたい」。こんな趣旨のメールが静岡県庁から届いたのは99年のこと。苦節25年、「ついにこの日がきた!」と小躍りした。
 立ち寄りやすい玄関付近にあること、150平方b以上にすること、専任の司書を置くこと−−。こんな条件を詰めていった。レイアウトの関係で120平方bになったが、ほかの条件は実現する運びとなった。私は平身低頭した。「ぜひそこで働かせて欲しい」
 県は非常勤でしか雇えないという。だが、前の職場は定年間近。「生活はなんとかなりますから」と押し、晴れて02年9月に患者向け専任司書全国第一号となった。「あすなろ図書館」と名付けたその図書館は、医学関連だけでなくサッカーのDVDまでそろえ、私の理想を実現した。
 次に取り組んだのは患者向け図書が検索できるデータベースの作成だ。医師向けにはネットで公開されているが、一般には難しすぎた。「Web患者図書館」として04年ネットで公開し、新聞や雑誌の医学記事も含め、毎日更新している。
 患者向け専任司書をく病院は今では五カ所程度になったと聞く。だが、ある程度以上の規模の病院にはすべて整備する制度が必要だ。その実現に向け、司書の研修会も始めた。患者にとって本は、心のケアにもなるし医師とのコミュニケーションも円滑にする、治療に不可欠なものだからだ。
(きくち・ゆう=日本病院患者図書館協会会長)
(出典 日本経済新聞  2007.2.16)

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2. 2月のトピックス
 2月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 卓球
  暫く前から、大学の友人数人で卓球を始めています。浜町にある千代田区のスポーツセンターで、N君の友人Aさんのコーチで卓球の練習をしています。わたしは都合で2月から参加するようになり、月の始めと終わりの2回練習しました。高校の頃、半年くらいですが卓球部にいたことがあり、全く初めてではありません。ただしラケットがペングリップからシェークハンドに変わったこと、最近は打ち方がかなり変わったことなどもあって、球がラケットに当たりませんでした。それでも終わりの頃には、何とか形が付くようになりました。暫くは続けてみようと思っています。
 2.2 新国立美術館
  近くに用事があったので、二人の友人と乃木坂に新しくできた美術館へ行ってみました。六本木からも斜めの道を通れば、4分くらいで行けます。建物は黒川紀章氏の設計で曲線とガラスを多く使っています。「異邦人(エトランジェ)たちのパリ[ポンピドーセンター所蔵作品展]」という特別展をやっていました。この百年間くらいに製作された、フランス人ではない画家や彫刻家の作品が展示されています。ピカソ(スペイン)、シャガール(ロシア)、モリジアーニ(イタリア)、ジャコメッティー(スイス)や藤田嗣治(日本)の作品もありました。またブラッサイ(ハンガリー)、ウイリアム・クライン(アメリカ)などの写真もありました。ただ、かなり抽象画も多く、なじめないものもありました。
 2.3 観梅
  V Ageでは観梅、観桜などに行っています。今年は、浜離宮公園に行きました。都営地下鉄大江戸線の築地市場から、少し歩いて公園に着きます。浜離宮公園にはスケッチなどで何回か来ています。大江戸線ができたお陰で簡単に行くことができるようになりました。海に近いだけあって風は少し冷たかったのですが、たまたま快晴で気温は高目だったので、のんびりと散策しました。たまたま大道芸の時間になり、傘を使った升廻しなどと、独楽を使った芸を見ることができました。
 公園を出て、市場内の「うまい鮨勘」で昼食を摂りました。あいにく月に一度の休日にぶつかったため、築地市場の賑わいを見ることはできませんでした。
 2.4 スキー
  草津・万座と、八方尾根のスキーに友人達と参加しました。
  2.3.1 草津・万座
   2月10日〜12日の連休に北軽井沢の近くにあるヒュッテに、高崎から友人の車で行きました。元勤めていた会社の、山岳部の現役とOBの連中です。最初の二日は草津で、最後の日は万座で滑りました。草津では湯畑に近い地蔵の湯(町営で無料)に行ったところ、建物が新しくなっていました。参加するメンバーも大分変わりましたが、いろいろと同じ経験をした仲間なので、コタツに入っての夜の食事後に想い出話の花が咲きました。

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  2.3.2 八方尾根()
   2月24日〜26日に、NMCの仲間3名で八方尾根スキー場に行きました。三日とも天気には恵まれましたが、雪が例年になく少ないのと気温が高くゲレンデは所々地肌が出ているし、夕方には急な傾斜はアイスバーンになっていました。
 宿は友人のHさんが学生の頃から通っていたペンションが閉鎖になったので、近くのヒュッテ・ギャロップを紹介してもらいました。酒を酌み交わしながらご主人の来歴や料理(地元で穫れた山菜の天ぷらなど)と壁掛け(お母さんと奥さんの手作り)の話を聞くことができ、新しい定宿ができたようです。
 さすが八方尾根だけあって、周りの山の眺めは素晴らしく、カメラを持って行かなかったのは残念でした。最初の日の午後にリーゼンスラロームを下ったときは、雪がぐじゃぐじゃで、どうなることかと思いました。しかし黒菱の下の北尾根は雪が良く、二日目以降はまずまずの雪質でした。名木山(なぎやま ゲレンデの一つです)下のレストラン・ヴァイス・ホルンの食事(ボルシチとライムギパン)は相変わらずおいしく、帰りがけに寄った林檎舎(りんごや)のそばもたれがおいしく満足しました。三味そばといい、手打ち蕎麦を、からみ大根、くるみの入ったたれと普通のたれで食べさせます。また二日目の夕方訪れた町営の温泉も素晴らしい風景を眺めながら入浴でき、白馬村(はくばむら)ならではの施設でした。
 たまたま宿で飲んみ、温泉に行った折に酒屋で求めた酒の銘柄は「大雪渓」でした。この酒の醸造会社は池田町にあり、たまたま昨秋に穂高町を訪ねたとき、スケッチをしに寄った美術館のある町で、何か因縁を感じました。

3. 来月の予定
 来月は次のような項目を予定しています。
 3.1 本の紹介
  まだ、どの本にするかは決めていませんが、久しぶりに単行本を取り上げたいと思っています。
 3.2 私の愛読書
  遠藤周作の「私の愛する小説」を、続けて採り上げたいと思います。
 3.3 リンク集
  「興味あるリンク」を少しずつ追加したいと思っています。
 3.4 古い記事
  毎月、少しずつ見直して行く予定です。

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[Last Updated 3/31/2007]