京都・出石ほか
      目 次

1. 概 要
2. 第1日 京都・綾部
3. 第2日 出石
4. 第3日 京都・大阪


   出石(いずし)の辰鼓楼(しんころう)です。
            

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1. 概要
 1) 名称      綾部・出石旅行
 2) 主要訪問地  綾部、出石、京都、大阪
 3) 期間      2007.4.14〜16
 4) 参加者     SABTECH会員56名(出石旅行)
 5) 交通機関   東海道新幹線、山陰本線、京都・大阪地下鉄、観光バスほか
 6) 訪問地
  (1) 京都  (2) 綾部  (3) 出石  (4) 再び京都  (5) 大阪
 7) 参考図書
  7.1) ガイドブック 京都 (社)京都観光協会制作 京都新聞出版センタ刊 2001.12.20
  7.2) 歩く地図 15 「山陽・山陰」 山と渓谷社 2003.12
  7.3) 大阪 上撰の旅22 昭文社 2002.3.1(第3版)

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2. 第1日  京都(楽美術館)・綾部
 綾部には会員が経営しているホテル(ホテル・綾部)があり、そこでSABTECH関西・東海・北陸合同支部会が開かれました。綾部には夕方着けばよいので、京都での乗り継ぎ(新幹線から山陰本線へ)を利用して京都御所の近くにある楽美術館を訪れました。楽焼きは、一回だけ作品を作り、智美術館(神谷町のホテルオークラの近くにある)で開かれた楽長右衛門の作品を観ていたからです。
[京都]
 楽美術館は京都御所の西側にあります。初代長次郎以来4百年続く楽家歴代の茶碗や茶道具などが展示されており、なかなか見ごたえがありました。
 所在地 〒602-0923 京都市上京区油小路中立売上る TEL. 075-414-0304
 交 通  市バス 堀川中立売  地下鉄 今出川
[綾部]
 綾部は京都から山陰本線の特急に乗り、約1時間で着きます。駅前のホテルR*INN綾部にチェック・インし、迎えに来てくれたバスでホテル・綾部に向かいました。
 15:30からミシェル・フローのシャンソンを聴きました。右の写真はシャンソンを熱唱するミシェル・フローさんです。彼は南フランスのポー(スペインとの国境ピレーネ山脈の北側にある観光・保養地)で生まれ、ラパンアジール(パリにあるシャンソニエ)でデビューした後、ミュージカル・映画・芝居などで活躍しました。1970年代の終わりに来日し、フランス語教師、クラブでの歌手などとして活躍していました。今は綾部に住んでいます。
 17:00からは懇親パーティに移り、新会長や関西支部長などの挨拶があり、乾杯の後、食事をしながら久しぶりでSABTECHメンバーとの会話を楽しみました。
 別室では吉富先生の奥様が作られたゴブラン織りの展示がありました。

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3. 第2日 出石
 今日は出石観光です。ホテル・綾部を出たバスが綾部駅前で我々をピックアップしてくれ、一路出石に向かいました。出石は豊岡市(兵庫県)の東南にあって小京都と呼ばれ、鉄道が通っていないこともあって街は昔の面影を残しています。
 垂仁天皇3年(B.C.27)に新羅から渡来した天日槍(あめのひぼこ)命が住み、大陸文化を伝えたという歴史の街です。江戸時代には仙石氏5万8千石の城下町としてにぎわい、但馬(たじま)地方の政治・文化の中心を担ってきました。沢庵和尚も愛した街です。
 バスを出石城祉近くの駐車場に止め、徒歩で街を訪ねました。午前中はガイドさんが付きグループで、午後は各自が自由に街を歩きました。
 まずは出石城祉です。街の南方の有子山の麓にあります。今は本丸跡に隅櫓(すみやぐら)が、内町通りに面して登城門が復元され、わずかに昔を偲ばせています。麓から朱塗りの鳥居に包まれた石段を上ると隅櫓がある本丸跡に出、さらに石段を上ると稲荷神社が建ち、その境内からは出石の街が一望できます。右の写真は二の丸跡から見た隅櫓です。戦時に国会で反戦演説をしたので有名な政治家斉藤隆夫氏は出石の出身ですが、城下の城山公園には顕彰碑が建っています。
 内堀通りと堀を隔てたところには辰鼓楼(しんころう)が建っています。高さが16米あり、大手門の物見櫓として建てられ、辰の刻(午前8時)に藩士の登城を告げる太鼓を打ったので、辰鼓楼と呼ばれました。
 家老屋敷は辰鼓楼の西にあります。日本三大お家騒動の一つ「仙石騒動」の首謀者とされ、天保6年(1835)に処刑された家老仙石左京の屋敷跡です。内町通りに面して白壁の築地塀と長屋門が昔を偲ばせます。
 出石は皿蕎麦が有名ですが、街の至る所にそばやがあり、一人前5皿のそば(小皿に盛られている)を食べさせます。我々が訪れたときは観光センター前の広場で蕎麦喰いのコンクールをやっていました。これは一定時間に何皿のそばが食べられるかを競うものです。
 昼は山の麓にある総持寺までバスで行き、知里庵で精進料理をいただきました。この寺は奈良時代に行基が開き、のちに山名氏の祈祷所として栄えたといわれています。境内には珍しい徳利と盃の供養塚があります。
 帰りは福知山でバスを降り、再び京都に出て、駅構内のホテル・グランヴィア・キョウトに泊まりました。

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4. 第3日 京都・大阪
 今日は午前中、京都駅近くを三ヶ所歩き、午後は大阪に移動して最近大阪に転勤になった長男と一緒に市内を観光します。
 京都の三ヶ所は(西)本願寺、東本願寺と、渉成園(しょうせいえん 枳殻邸[きこくてい])です。
[(西)本願寺] 市バス:西本願寺前
 世界遺産で浄土真宗本願寺派の本山です。1272年(文永9)親鸞の娘覚信尼(かくしんに)が東山大谷に創立した大谷廟堂(びょうどう)に始まります。3世覚如のときに本願寺と称し、1591年(天正19)豊臣秀吉が寺地を寄進し、現在地に移りました。桃山文化を今に伝える北能舞台、唐門(からもん)など国宝建造物が沢山あります。
[東本願寺] 市バス:烏丸六条または烏丸七条
 浄土真宗大谷派の本山です。1602年(慶長7)徳川家康の本願寺分割政策により、教如(きょうじょ)が本願寺(西本願寺)から分かれ創建しました。親鸞(しんらん)の像を安置する御影堂(ごえいどう)は927畳もあり、本堂とともに木造建築では最大級です。
[渉成園] 東本願寺の東
 真宗東本願寺の別邸です。徳川家光から土地の寄進を受け、伏見城の遺構、石川丈山(じょうざん)の作庭で完成しました。13世宣如(せんにょ)上人の隠居所になりました。3万4千平方メートルの回遊式庭園には印月池(いんげつち)をめぐる13景が展開しており、四季折々の風情ある名勝です。周囲にカラタチ(枳殻)が植えられているため、枳殻邸と呼ばれていました。右の写真は渉成園の印月池です。

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 大阪の二ヶ所はみなみの天王寺となんばです。
[天王寺] 地下鉄御堂筋線 天王寺
 天王寺は南大阪の玄関口でJR3線(大阪環状線、関西本線、阪和線)のほか、近鉄、地下鉄2線(御堂筋線、谷町線)が乗り入れている大ターミナルです。駅前には天王寺動物園を含む天王寺公園があります。ここは1903年に行われた第5回内国勧業博覧会の跡地だそうです。天王寺公園の西側には新世界があり、真ん中には通天閣がそびえ立っています。天王寺から地下鉄御堂筋線で一駅梅田の方に戻り、動物園前で降り1号出口を出ます。すぐ左手の寿司屋とパチンコ屋が入るビルの前の細い道を進み、高架をくぐるとジャンジャン横町の入り口です。延長約150m、幅2.5mほどの通りの両側には小さな店がギッシリとひしめいています。寿司屋、立ち飲み処、串カツ・どて焼きの庶民的な飲食店にまじって将棋や囲碁クラブなどもあります。横町のアーケードは切れますが、作業着などを売る店を右手に見て歩き、左に折れます。ここからパリのエッフェル塔を模したといわれる通天閣が見えます。エッフェル塔も東京タワーもまだ上ったことは無いのですが、通天閣の塔に登ってみました。二つのエレベータを乗り継いで最上階に登ると、北の遥か向こうに大阪城が見えました。また少しユーモラスな顔をしたビリケンさんという像が飾ってあり、福の神として信仰を集めているようです。
[なんば] 地下鉄御堂筋線 なんば
 さらに地下鉄に乗り、二駅梅田の方に戻るとなんばです。御堂筋が南北に走っていますが、道頓堀川はこれと直角に東西に流れています。道頓堀、千日前、なんばは、ショッピングや飲食店が密集する歓楽街です。戎橋(えびすばし)から一筋東を下ると法善寺横町の名が書かれた看板があります。少し歩くと水掛け不動さんがあり、みどりのこけむした像が立っています。隣に「夫婦善哉(めおとぜんざい)」の店があり、そこで夫婦善哉を食べました。帰りは御堂筋の一筋東に並行している心斎橋商店街を通って、地下鉄御堂筋線の心斎橋に出ました。商店街にはしゃれた店が並んでいました。

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[Last Updated 5/31/2007]