「切られお富」

    目 次

1. はじめに
2. 演目と配役
3. 解説と見どころ
4. 感 想

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1. はじめに
 先月(2007年1月)は、前月に引き続き、歌舞伎座へ初春大歌舞伎を見に行きました。当初、歌舞伎に行く予定はなかったのですが、たまたま上の姉のピンチヒッターで切符が廻って来ました。夜の部です。
 出し物は廓三番叟(くるわさんばそう)、金閣寺(きんかくじ)、春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)、切(き)られお富(とみ)の四本で、雀右衛門、富十郎、幸四郎、玉三郎、左團次、吉右衛門などが出演しました。

2. 演目と配役

1. 廓三番叟(くるわさんばそう) 長唄囃子連中
 傾城千歳太夫 雀右衛門
 番新梅里    魁  春
 新造松ヶ枝   孝太郎
 新造春菊    芝  雀
 太鼓持藤中  富十郎
2. 金閣寺(きんかくじ) 一幕
 松永大膳    幸四郎
 雪  姫     玉三郎
 十河軍平
 実は佐藤正清 左團次
 狩野之介直信 梅 玉
 此下東吉    吉右衛門
3. 春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし 新歌舞伎18番の内) 長唄囃子連中
 小姓弥生   
 後に獅子の精 勘三郎
 胡蝶の精    宗  生
 同        鶴  松
4. (き)られお富(とみ) 二幕
 お  富      福 助
 井筒与三郎   橋之助
 穂積幸十郎   信二郎
 赤間女房お滝  高麗蔵
 蝙蝠の安蔵   禰十郎
 赤間源左衛門  歌 六

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3. 解説と見どころ
廓三番叟
 『廓三番叟』は、文政9年(1826)正月に初演された作品で、もとは素の演奏曲として作られた作品です。作詞、作曲は、四世杵屋六三郎(後の六翁)によるものです。六三郎は江戸時代後期に活躍した三味線の名手で、『勧進帳』や『草摺引』など歌舞伎のための作曲も行ないましたが、『老松』や『吾妻八景』などの素の演奏曲も数多く作曲しました。
 この作品は、『式三番叟』の詞章をふまえながらも、全てこれを廓の情景に置き換えるという洒脱な作品ですが、六三郎にはこの作品以外にも同工異曲の『俄獅子』があります。両作品とも廓の雰囲気をよく写した名曲で、吉原に耽溺したと伝えられる六三郎らしい作品となつています。
 舞台は、吉原の座敷で、『三番叟』につきものの「とうとうたらり」という唄い出しの後、「千早振袖かむろまで」と砕けて、傾城、番頭新造と、新造たち、そして太鼓持が登場します。この作品では傾城を翁に、新造たちを千歳、太鼓持を三番叟に見立て、面箱の代りに煙草盆を用いるなど洒落た趣向に溢れており、こうした箇所に、この作品の面白さがあります。
 「およそ千年の鶴は 仕着せ縫いに止めたり」から、千歳に見立てた新造たちの踊りで、艶やかに踊ります。続いて三番叟に見立てた太鼓持の踊りとなり、烏飛びなど『三番叟』らしい振りを見せていきます。
 そして「ああら物に心えたる あどの太夫さんに」からは、千歳と三番叟の問答を、廓での文のやりとりにして見せ、クドキとなります。「くるかくるかと待つ辻占に」で、総踊りとなつて目出度く舞い納めて幕となります。
 今回の上演では、傾城千歳太夫に雀右衛門、太鼓持藤中に富十郎、そして、魁春、芝雀、孝太郎という配役で、華やかな舞踊をお楽しみ頂きます。

金閣寺
 『金閣寺』は、『祇園祭礼信仰記』の四段目切にあたり、宝暦7年(1757)に大坂豊竹座で初演されました。作者は中邑阿契(なかむらあけい)、浅田一鳥ほかです。
 現在でも見どころのひとつである金閣のセリ上げは、初演以来の演出で、初演時には、この大掛かりな仕掛けが評判となり、三年越しの続演となりました。人形浄瑠璃で初演された翌月には、歌舞伎に移され、京都と江戸で上演されました。
 また『金閣寺』の主人公のひとりである雪姫は、『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』の八重垣姫、『鎌倉三代記(かまくらさんだいき)』の時姫とともに、歌舞伎では"三姫"のひとつとされ、女方の大役となつています。
 『金閣寺』の前半は、"碁立"と呼ばれ、典型的な国崩しである松永大膳(史実の松永弾正)と、捌き役の此下東吉(史実の豊臣秀吉)が、ノリ地の台詞で、碁を打っていくところが見どころとなつています。そして大膳が碁笥(ごけ)を井戸の中に投げ込み、東吉が手を濡らさずにこれを取るという才知を見せる件も、見どころのひとつです。
 後半の"爪先鼠"は、雪姫が、大膳を親の仇と悟って詰め寄り、かえって足蹴にされる場面が、最初の見どころです。続いて桜の花が散る中、縄で縛られた雪姫が嘆き悲しむ場面は、歌舞伎の様式美に溢れる場面となつています。やがて雪姫が、祖父・雪舟の故事に思い到り、桜の花を集め鼠を描く場面は、この作品最大の見どころですが、演者には高い技量が求められる難しい場面です。
 また陣羽織姿に身を改めた東吉が、桜の木を登ってみせる趣向は、豊臣秀吉の渾名である"猿"を利かせた趣向となつています。そして大膳に久吉と佐藤正清が詰め寄っての幕切れは、時代物に相応しい華やかな幕切れです。
 松永大膳に幸四郎、此下東吉に吉右衛門、雪姫に玉三郎という大顔あわせに、狩野直信に梅玉、佐藤正清に左團次、慶寿院尼に東蔵という豪華配役で、時代物の大作を上演いたします。

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春興鏡獅子
 『春興鏡獅子』は、明治26年(1893)3月に東京歌舞伎座で、九世市川團十郎の小姓弥生、獅子の精で、初演されました。作詞は福地桜痴、作曲は三世杵屋正治郎です。
 この作品の下敷きになっているのは長唄の『枕獅子』で、一説によると、娘たちが『枕獅子』の稽古をしているのを見た九世團十郎が、『枕獅子』の詞章を高尚なものに書き改めて、新たな"石橋もの"の舞踊をと着想したことにより作られたと言われています。
 江戸城のお鏡曳きの余興として、小姓の弥生が江戸城の広間で、踊りを踊ることとなります。そして「人の心の花の露」に始まる"川崎音頭"に合わせての袱紗を使っての踊りが、最初の見どころとなつています。「春は花見に心移りて」からは、扇を使っての踊りとなり、早乙女の田植えの様子を見せます。
 「恨みかこつもな」で再び手踊りとなり、時鳥の啼き声を開く様子を見せる件は、眼目のひとつです。「時しも今は牡丹の花の」からは、再び扇の踊りとなり、牡丹の花をじつと見つめる件もまた、見どころとなっています。
 続いて二枚扇を使っての踊りを見せ、獅子頭を手にすると、弥生に獅子が乗り移りますが、獅子頭に引かれての花道の引っ込みは、前シテ最後の見どころです。
 「世の中に絶えて花香のなかりせば」で、山台を割って胡蝶の精が現われ、鞨鼓や振鼓を使っての、華やかな踊りをみせます。
 やがて乱序の鳴物となって、後シテの獅子の精の出となりますが、花道の付け際まで来て、再び花道を引っ込む件は、相当な技量を要する難しいところです。
そして眼目の獅子の狂いとなり、勇壮に毛を振る場面は、後シテ最大の見どころとなっています。
 勘三郎襲名後としては初めて勤めるという注目の舞台をお楽しみ下さい。

切られお富】 
 『切られお富』は、本名題を『処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)』と言い、元治元年(1864)に、江戸守田座で初演されました。作者は河竹黙阿弥(当時・二世新七)です。
 この作品は、その題名からわかるように、三世瀬川如皐作の『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』の書き換え狂言で、幕末から明治にかけて活躍した名女方・三世澤村田之助に当てて、河竹黙阿弥が書き下ろした、悪婆ものの代表的な作品です。
 美貌の女方である田之助を散々に切り苛み、傷だらけの姿を見せるという残忍な趣向は、いかにも幕末の退廃期に作られた作品らしい趣向です。
 序幕第一場は、独吟に合わせてのお富と与三郎の色模様と、不義をしたお富が赤間源左衛門によって、切り苛まれる場面が見どころとなっています。
 第二場では、傷だらけになつたお富が、偶然にも与三郎と再会し、今の身の上を恥ずかしがる件が最初の見どころです。
 与三郎の前では楚々としていたお富が、赤間源左衛門を強請ろうと思いつき、伝法な口調で安蔵に相談していく変貌ぶりや、第二幕第一場での久しぶりの対面をした源左衛門を脅しながらも愛嬬を見せる場面が、お富の二面性のある人物像が活き活きと描き出される見どころとなっています。
 続いての第二場は、お富が先ほどの愛矯溢れる振る舞いから一転して、悪婆ぶりを見せるのが眼目で、「総身の疵に色恋も薩唾峠の崖っぷち」という強請りでの台詞は、名台詞として知られています。
 第三場では、蝙蝠の安蔵との凄惨な立廻りが見どころです。そしてお富が、打ってかかる捕手を蹴散らしての、華やかな幕切れとなっています。
 福助初役のお富に、橋之助の与三郎、禰十郎の蝙蝠の安蔵、そして歌六の赤間源左衛門という華やかな配役で、黙阿弥の名作をお楽しみ頂きます。
(出典 歌舞伎座発行のプログラム[平成19年1月])

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4. 感 想
 歌舞伎座の正月公演は、夜の部のせいか演目、配役とも12月公演にくらべると、ずっと良かったと思います。特に勘三郎の鏡獅子は素晴らしい内容でした。
 廓三番叟は正月らしい華やかな踊りでした。
 金閣寺は舞台装置が大がかりで、面白いと感じました。
 切られお富はパロディーだけあってやや物足りない内容でした。

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[Last Updated 2/28/2007]