「阿 古 屋」ほか

    目 次

1. はじめに
2. 演目と配役
3. 解説と見どころ
4. 新聞記事
5. 感 想

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1. はじめに
 先月(2007年9月)は、歌舞伎座へ「秀山祭9月大歌舞伎」夜の部を見に行きました。秀山というのは初代吉右衛門の俳号で、昨年生誕120年を記念し秀山祭を催したところ好評だったので、今年も吉右衛門の当たり藝を中心に開催したようです。
 出し物は壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)別名阿古屋、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん)と、秀山十種の内 二條城(にじょうじょう)の清正(きよまさ)の三本で、吉右衛門、玉三郎、團十郎、左團次などが出演しました。

2. 演目と配役()

1. 壇浦兜軍記(阿古屋) 一幕
 遊君阿古屋   玉  三  郎
 秩父庄司重忠  吉 右 衛 門
 岩永左衛門   段  四  郎
2. 身替座禅   常磐津連中
           長唄囃子連中
 山蔭右京    團  十  郎
 奥方玉の井   左  團  次
3. 二條城の清正 二幕 三場
 加藤清正    吉 右 衛 門
 豊臣秀頼    福  助
 徳川家康    左  團  次

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3. 解説と見どころ
壇浦兜軍記
 『壇浦兜軍記』は全5段の時代浄瑠璃で、作者は文耕堂、長谷川千四です。享保17年(1732)に大坂・竹本座で初演され、同年には早速、歌舞使に移されて上演されました。
 "琴責め"とも通称される「阿古屋」は、原作の三段目の口にあたり、音楽裁判とでも言うべき趣向の面白さと、その華やかさから今日に残りました。特に歌舞伎では、実際に琴、三味線、胡弓を演奏して見せるために3曲の素養が必要である上、景清を想う阿古屋の心理描写が求められ、数ある女方の大役の中でも屈指の難役となつています。
 阿古屋を裁く、秩父庄司重忠は白塗りの生締めという典型的な捌き役です。重忠の助役の岩永左衛門は、対照的な赤っ面で、全て人形振りで演じ、その眉毛も仕掛けで動くようになっており、悪人ながらも滑稽な役どころとなつています。
 この作品の最初の見どころは、阿古屋の花道の出で、五條坂随一の遊君らしい風格が必要です。そして景清の行方を知らないと訴える阿古屋が、いっそ殺してくれと身を投げ出す場面では、権力者に対してもひけをとらない傾城の心情が巧みに描かれます。
 眼目の3曲の演奏では、景清との馴れ初めから、その別れに至るまでを語っていきます。この場面の阿古屋は、ただ楽器を奏でるのではなく、景清に対する深い思慕が必要とされます。
 琴では蕗組(ふきぐみ)の唱歌(しょうか)を、三味線では班女(はんじょ)の故事を唄い、舞台下手に登場する長唄との合奏となります。続いての胡弓では、『望月』の一節を用いて、景清との縁のはかなさを訴えます。
 阿古屋の演奏の間、重忠は辛抱役となりますが、阿古屋を許す理由を岩永に語ってきかせる件(くだり)は、重忠の見せ場となっています。
 すでに定評ある玉三郎の阿古屋に、染五郎の榛沢、段四郎の岩永、そして大正7年に市村座で初代も勤めたことのある重忠を、当代吉右衛門が初役で勤める注目の舞台をお楽しみ下さい。

身替座禅
 狂言の大曲で、極重習物の『花子』を歌舞伎舞踊化した『身替座禅』は、明治43年(1910)3月に下谷二長町の市村座で初演されました。作詞は岡村柿紅、作曲は7世岸沢式佐、5世杵屋巳太郎です。
 現在は廃絶した狂言の流派である鷺流の狂言師について、実際に狂言を学んだ岡村柿紅は、狂言に題材を求めた松羽目舞踊を数多く書き下ろしましたが、この『身替座禅』はその処女作にあたります。また『身替座禅』という題名は、鷺流では『花子』を『座禅』と称することに因みます。
 幕が開くと山蔭右京の出となり、花子のもとへ出かけるための口実を思案して、玉の井を呼び出します。玉の井が右京の申し出を断る場面は、玉の井のおかしみある演技もあって、笑い溢れるものになっています。とはいえ何よりも玉の井に必要なのは、恋しい夫である右京を思う気持ちです。
 玉の井を言い含めた右京が、太郎冠者を呼び出し、自らの身替りに座禅をさせて、花子のもとへと向かいますが、この右京の花道の引っ込みも見どころの一つとなつています。
 「綾の錦の下紐は解けて中々よしもなや」からは、長唄と常磐津の掛合になって、右京の二度目の出となります。花子の小袖を着て、乱れ髪の姿となった右京の出は、一夜の逢瀬を楽しんできた雰囲気が必要で、演者に技量が求められます。
 そして「谷の戸出ずる鶯のやさしお声でようこそと」で、ほろ酔い加減の右京が、花子とともに過ごした様子を仕方話で語っていく件は、この作品の眼目となつています。やがて右京が座禅衾(ざぜんふすま)を取ると、中から怒りの形相の玉の井が現れ、右京を追い回すうちに幕となります。
 山蔭右京に團十郎、初演時に初代吉右衛門が勤めた太郎冠者に曾孫の染五郎、玉の井に左團次という配役で、松羽目舞踊の名作をお楽しみ頂きます。

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二條城の清正
 この作品は昭和8年10月に東京劇場で、初代中村吉右衛門の清正、17世中村勘三郎(当時・もしほ)の秀頼、2世市川左團次の家康ほかの配役で初演されました。初代吉右衛門は、『八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)』や『増補桃山譚(ぞうほももやまものがたり)『清正誠忠録(きよまさせいちゅうろく)』などの清正役で好評を得ていましたが、昭和8年に清正所用の短刀を手に入れたことに縁を感じて、自分のための"清正物"を懇望し、この作品が書き下ろされました。
 作者の吉田絃二郎は、『島の秋』で小説家として名を成し、昭和に入ると歌舞伎俳優のために数々の戯曲を書き下ろしました。その中でもこの『二條城の清正』が代表作ですが、続編として『蔚山城(うるさんじょう)の清正』(昭和9年初演)、『熊本城の清正』(昭和11年初演)があります。
 清正館では、病を患いながらも豊臣家のために、自らの命を賭けて秀頼を守ろうと決意する清正の姿が雄渾に描かれています。また家中のものに下知を下す場面は、勇将としての清正の側面を見せます。
 二條城は、様々に策略をめぐらせながら、表面上は柔和な態度を見せる徳川家康、本多佐渡守主従と、秀頼を必死に守ろうとする清正との腹の探りあいが見どころです。清正が刺客から秀頼を守ろうとして、「還御」と大喝する幕切れは緊張感溢れる場面です。
 御座船は、秀頼と清正の主従の間柄を越えた結びつきを見せる場面で、幼少期の秀頼を振り返る清正の述懐と、清正を「爺」と慕う秀頼のやり取りは、この作品随一の眼目となっています。
 秀山十種のひとつで、初代吉右衛門ゆかりの作品を当代吉右衛門の清正、福助の秀頼、芝雀の清正妻葉末、段四郎の本多佐渡守、魁春の大政所、左團次の徳川家康という華やかな配役で上演します。
(出典 歌舞伎座発行のプログラム[平成19年9月])

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4. 新聞記事
歌舞伎座「秀山祭」 吉右衛門の「熊谷」高い境地
 初秋の歌舞伎座は初代吉右衛門をしのぶ「秀山祭」。当代吉石衛門が故人の当たり役「熊谷陣屋」と「二條城の滞正」を勤め、見事に二代目としての芸を築き上げたことを実証してみせる。
 熊谷は7度日の今回、細部まで再検討、洗い直した感があり、一段と高い境地に到達した。ぜい肉の一切ない引き縮まった芸だが、とりわけ妻の相模と最後の別れをする一瞬の、残心ともいうべき思いの表現が素晴らしい。福助の相模も悲嘆に耐える母の心をよく形象化している。加えて義経の芝翫、弥陀六の富十郎の二長老が心配りの行き届いた、さすがという芸を見せるのも今回の舞台を彫りの深いものにしている。当代歌舞伎の一高峰として推奨したい。
 「二條城の清正」でも吉石衛門は圧倒的な存在感を示すが、一見古くさいと否定されがちなこの劇に生命を吹き込んでいるのは、主人公の加藤清正の心情を通じて初代への思いを通わせる吉右衛門の心境の探さゆえだろう。福助の秀頼がここでも心のこもった芝居を見せる。
 今月のもう一つの呼び物は玉三郎7度日の「阿古屋」。琴・三味線・胡弓の三曲の演奏に一段と哀婉(あいえん)の情が深まった。吉右衛門が初役で重忠を付き合うので舞台が大きくなる。岩永の段四郎の人形振りも単なるもうけ役に終わらず、この不思議な劇の奥行きを深くしている。染五郎の横沢がまことに涼やか。
 玉三郎は福助と、おなじみの「汐汲(しおくみ)」に手を加えた「村松風二人汐汲」でもはんなりした夢の世界を繰り広げる。団十郎が「身替座禅」で元気な姿を見せるのも見ものの一つ。左団次の奥方と合わせ舞台ぶりの大きさ。染五郎の新作「竜馬がゆく」もさわやかな開幕劇だ。26日まで。
(演劇評論家 上村 以和於)
(出典 日本経済新聞 2007.9.5)

5. 感 想
 今回は初見の舞台ばかりで、しかも三つの舞台にそれぞれ特徴があり、楽しめました。最初の阿古屋は、玉三郎の藝と段四郎が人形振りで演じるのは、目新しく思いました。二番目の身替座禅は狂言から採った舞台だけあって、笑わせます。三番目の二条城の清正は、吉右衛門の重厚な藝が楽しめました。いずれにしろ歌舞伎役者は一世代変わって、次の代に着実に入れ替わっているのだと思います。

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[Last Updated 10/31/2007]