風に立つライオン

  目 次

1. まえおき
2. 目 次
3. アフリカ旅行記
4. 解説に代えて
5. この本を読んで


編著者 第26回宮崎医科大学
すずかけ祭 医学展 ライオン企画
発行所 不知火書房

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1.まえおき
 蓮見さんは神宮テニスクラブの仲間です。彼の息子さんは、青年海外協力隊の一員としてアフリカのジンバブエに行きました。その帰途にエチオピアの農村に寄り、ジンバブエでの教育も、現地の子供が健康だという前提の元に役にたつことを知ります。彼は帰国後宮崎医科大学に入学し、今は国内で医療の実習をしています。今回ご紹介する「風に立つライオン」は、第26回宮崎医科大学すずかけ祭で企画した医学生たちによる現役の医師たちへのインタビュー集です。
 蓮見さんさんがこの本を贈ってくれ、一読して皆さんに紹介する価値のある良い本だと思い採り上げました。
 なお表題となった、さだ まさしさんの歌「風に立つライオン」が収録されているCD「さだまさし/ベスト」も載せましたので、あわせてご覧下さい。

2. 目 次
 はじめに                  1
   風に立つライオン       さだまさし   7
   八ヶ岳に立つ野ウサギ   さだまさし  11
僕もライオンのようになりたい−−−−−−−−−−−−− 柴田紘一郎 15
人生の師、柴田紘一郎との出逢い−−−−−−−−−−− 松崎 泰憲 35
教師と医師、二つの「先生」として−−−−−−−−−− − 木村  勤   53
「ライオン」と「野ウサギ」にこめた思い−−−−−−−−−− さだまさし  83
ライオンに憧れる野ウサギ−−−−−−−−−−−−−− 小松 道俊 107
いい医者である前に−−−−−−−−−−−−−−−−−鎌田 實  123
国際医療協力の現場から−−−−−−−−−−−−−− 岩本あづさ  139
アフリカ旅行記−−−−−−−−−−−−−−−−−−   蓮見 純平  163
  ◎ライオン企画来場者の感想      177
茶話会語録 柴田紘一郎先生を囲んで−−−−−−−−−−−−−−185
  ◎茶話会参加者の感想         200
おわりに−企画員からのひとこと      204
 [寄稿] 心ある医師を育てるために  堂園 晴彦 206
   回り道を重ねながら         葛岡 桜    34
   私が医師を目指した理由      山本 茜    52
   経験から現実へ           石田唯人  105
   障害を持った弟がくれた夢     寺澤大祐  122
   医との出逢い             関 大成  137
   初心                  彦坂ともみ 160
   いま思うこと              坂元昭裕  161
   夢                    三苫 悠   175
アメージング・グレースのメロディーにのせて−解説に代えて  二ノ坂保喜 210

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3. アフリカ旅行記(「まえおき」のみ) 蓮見 純平
 私と『風に立つライオン』との出会いは、今から8年前、私が青年海外協力隊員としてアフリカのジンバブエ共和国にいた時でした。毎月送られてくる協力隊の機関誌の中に、この歌の紹介とさだまさしさんへのインタビューが掲載されていたのです。早速カセットテープを日本から取り寄せました。ストーリー性の高い歌詞と落ち着いたメロディーが気に入り、それ以来この歌を時々口ずさむようになりました。
 ジンパブエでの私の仕事は、小学校での水泳の指導でした。教育の現場にいたため、2年間の任期が終る頃には、何よりも教育が大切だと感じるようになっていました。ところが、ジンバブエからの帰途にエチオピアの農村に立ち寄った時、教育が子供の健康という前提の上に成り立っていることに気が付きました。その時、将来は発展途上国で小児医療をやりたいと思い、帰国後宮崎医科大学に入学しました。ライオンのイメージはいつも頭の片隅にありましたが、まさかあの歌のモデルの先生が宮崎医科大学におられたなんて夢にも思いませんでした。
 入学後は、日本にも問題が山積しているのにどうしてアフリカに行きたいのか、自問自答することが度々ありました。日本での暮らしには発展途上国との接点が殆どなく、国内の問題の方がずっと身近に感じられるからです。特に、高齢者の問題や小児科医不足は深刻に思われました。そのため、わざわざアフリカになど行かないで日本で医者として働くべきではないかと、随分悩んだ時期もありました。
 5年生になって、漸く決心がつきました。やはり初心を貫いてアフリカに行きたい。アフリカで医療をやりたい。私はやはりアフリカが好きなのです。『風に立つライオン』に歌われているような、人々の心の美しさ、自然の豊かさ、緩やかな時間の流れ−。たった2年暮らしただけでも、そこには人間の原点があるような気がしました。
 卒業後の進路について具体的に考えるために、夏休みを利用してアフリカの医療現場を見に行きました。訪れたのはエチオピアの山奥の診療所でした。旅立つ前にライオンのモデルである柴田先生から「風を感じて来てください」とのお言葉を頂きましたが、エチオピアの山奥で満天の星空を見上げながら、このような環境の中で生き、働くことの喜びを感じました。私にとっての風が、確かにそこにありました。
 今回、ライオン企画の場をお借りしてエチオピアでの体験を発表する機会を頂きましたが、本企画で紹介されている先生方は私の大先輩であり、その横で体験発表など恥ずかしい限りですが、この展示を通して発展途上国の医療事情を少しでも紹介することが出来ればこの上ない喜びです。            (平成13年11月)

4. 解説に代えて−アメージング・グレースのメロディーにのせて−             二ノ坂保喜
 2001年11月24日午後2時、茶話会が始まった。
 宮崎医科大学講義棟視聴覚教室。ござを敷き詰めた床の上に、ちゃぶ台がいくつか置かれちょうど田舎の集会所みたいな雰囲気だ。集まった顔ぶれは、宮崎医科大の学生たち、それに高校生から年齢不詳?のカスミさん(正体は後述する)まで、実に多彩。今からここで始まるのは、さだまさしの知る人ぞ知る名曲『風に立つライオン』のモデルになった、柴田紘一郎先生(現宮崎県立日南病院長、前宮崎医科大学第二外科助教授)を囲み、望まれる医師、医療のあり方を考えようという学園祭の一企画、通称「ライオン企画」の言うならばライブコーナーだ。

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 インタビューを受ける柴田先生は、普段着のままで現れ、ちゃぶ台の前に座り(最後まで正座で通した)、医学生たちの質問に答えた。受け答えは、あくまでも謙虚で、「人気アーティストの歌のモデルになった医師」といったおごりなど感じられない。少し赤い顔をしているので、居合わせたみんなは、緊張のせいだと思ったかもしれない。実は、茶話会の始まる前、緊張を隠しきれない柴田先生は、学園祭の模擬店で、ビールを少しばかり飲んでいた。本当に控えめな方で、しらふでは上がってしまうという。『風に立つライオン』のモデルというよりも、自分自身が『風に立つライオン』になりたい、と話す柴田先生。その謙虚さに感動した、という「ライオン企画」の医学生たちの思いがよく分かる。
 一方、インタビューする側の医学生たちも、かなり緊張していた。学生たちは、「アフリカヘの思い」「医療への姿勢」「国際医療協力」などのテーマごとに交代で司会をし、柴田先生に質問をぶつけていく。これは学生たちが、準備の段階で、それぞれに試行錯誤を重ねながら考え抜いた構成だつたのだろう。司会を交代しながら柴田先生から話を引き出す、これは本書の柱となつているインタビューの手法を実際に活かすことでもある。
 インタビューで、相手の本当の、自由な思いを引き出すことは、そう容易なことではない。茶話会の会場となつた視聴覚室には、「ライオン企画」のメンバーが聞き出してきた医師たちの話がまとめられて展示してあった(これらのインタビューを基に本書は構成されているのだが)。それらを見て私が感じたのは、意外に彼らが自由に本音を語っている、ということだ。医学生という後輩たちに心を許した、ということもあるのだろうが、きれいごとばかりでなく、その本音があちこちに見て取れる。このインタビュー技術は、学生たちが将来、医師として患者のこころや思いを引き出す基礎的な力となるだろう。
 しかし、それにしても緊張している医学生と柴田先生。それをほぐす仕掛けがあった。一つのテーマが終わると、樋渡カスミさんが、ギター演奏をバックに歌を歌うのだ。カスミさんは、宮崎市内のスナック「かすみ」のママさん。さだまさしの大ファンで、「かすみ」は、さだファンの間では有名な場末のスナックである。茶話会前夜も、さだまさしご本人が立ち寄っていた。一つのインタビューが終わるごとに、「奇跡」「まほろば」「主人公」−などを熱唱した。ギター伴奏はスナックの常連客。70歳に届こうかという彼女だが、年齢を感じさせない透き通った歌声と、その場にいる人たちを最大限もてなそうとする思いが、本当に心地よい。彼女はいつも、「私は女医だ」と言ってはばからない。毎日、アルコール中毒患者を癒している、というのだ。確かにこれは、彼女でなければできないことでもある。自分自身をさらけ出すことで相手をもてなすことは、カウンセリングの極意であり、また、"Therpeutic Use of Self"というホスピスケアの極意にも通じるものであろう。
「ライオン企画」の医学生たちは、この茶話会を通して、医師としての貴重な財産を授けられたはずだ。柴田先生の持つ謙虚さ、患者の本音を引さ出すインタビュー技術(積極的傾聴)、そして、かすみさんのもてなしのこころ、である。これは医のこころの基本であると同時に、人としての基本であるということも、いえるのではないだろうか。
 私がこのすばらしい茶話会に参加する機会を得たのは、不思議な偶然だった。
 今年9月、「日本ホスピス・在宅ケア研究会」という全国的なNPO組織の大会が福岡市で開かれたのだが、当時、私はその準備に奔走していた。10回目を迎えて初めて九州で開催されるこの大会では、九州各地のホスピス運動、在宅ケアにかかわっている医療機関、福祉施設、市民運動などに幅広く集まってもらおうと考えていた。大会のテーマは「ホスピスは何処へ〜歴史を見直し、未来を探そう」というもので、私なりに現在の日本のホスピス運動への批判を込めたものだった。

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 私は、日本のホスピス運動の欠点は、施設ホスピスに偏っているということと、施設ホスピス、在宅ケア、一般病院および市民(運動)の間の連携が欠けていることだと思っているが、宮崎ではその欠点を突破する試みが現実に行われている、という話を聞いていたのだ。九州各地の試みを持ち寄って、これからのホスピス運動のあり方をいっしょに考えていきたい、というのが、私たちの狙いだった。中でも、宮崎の試みを私個人も聞きたかったし、ぜひ大会に宮崎から参加していただき、全国に発信していただきたい、という思いがあった。
 そんなある日、三苫悠さんという女性が、私のところを訪ねてきた。宮崎医科大学の四年生で、「ライオン企画の三苫です」と自己紹介し、「『風に立つライオン』というさだまさしさんの曲をご存じですか?」と切り出した。私は残念ながら、その曲を知らなかった。彼女は、その曲のこと、さだまさしのこと、曲のモデルになった医師が宮崎医科大学にいたこと、学園祭で「ライオン企画」というものを立ち上げ、モデルとなった医師たちや、さだまさしのインタビューを基に展示企画をしたい、といったことを熱心に話してくれた。そして最後に「二ノ坂さんにも、ぜひ、おいでいただきたいのです」と。
 学園祭のために宮崎まで出かけていく、なんてことは、在宅の患者さんをはじめ、たくさんの患者を抱えている私にとっては、たいへん難しいことなのだ。学会や研修会なども、かなり苦労して参加しているのが現状だ。宮崎は交通が不便で、往復するにも結構、時間をとられる。でもなぜか、行ってみようかな、という気持ちが起こつてきたのも確かだった。
 宮崎のホスピス運動について知りたい、学園祭も見てみたい、といった気持ちだけでなく、三苫さんの話に出てくる人々との不思議な因縁が私を引きつけた。実は、さだまさしとは同じ長崎出身で、弟と小学校で同級生。上京してグレープというデュオを組み、「雪の朝」という曲でデビューして以来、同郷ということ、また、その曲風に惹かれてよくテープやCDを買っていた。私の子供たちはさだまさしの歌を聴きながら育った。また、柴田先生は、私と同じ長崎大学の第一外科の出身で、いっしょに仕事をしたことはなかったが、そのうわさは以前から時々聞いていた。それに、インタビューを受けた医師たちの中でも、鎌田實先生は、今度のホスピス・在宅ケアの大会で内藤いづみ先生との対談をお願いし、地域医療、ホスピスケアの先駆者として尊敬する方だった。柴田先生、岩本あづさ先生の国際医療協力に関しては、バングラディシュの医療協力にかかわっている私としても、たいへん関心のあるところだった。いろいろな縁がつながっている、と感じた私は、思い切って土曜日の代診を頼み、二泊三日で宮崎へ行こうと決意したのだったった。
 本書は、医学生たちによる現役の医師たちへのインタビューからなつている。それだけのことだが、インタビューを受けた医師たちの思いや願いとともに、インタビューを行った医学生たちの夢が伝わってくるように感じられる。
『風に立つライオン』のモデルとなり、30年前にケニアに最新の医療を定着させるために奮闘した柴田先生の話はもとより、柴田先生を慕って外科医としての道を歩んでいる松崎泰憲先生、教師から医師へ転身し『風に立つライオン』を励みに受験勉強に邁進した木村勤先生、さだまさし本人、いずれのインタビューも人間性の豊かさを垣間見せてくれるものである。さらに、『風に立つライオン』への返歌といえる『八ヶ岳に立つ野ウサギ』のモデルとなった小松道俊、鎌田實両先生、国立国際医療センターで国際医療協力の最前線を歩んでいる岩本あづさ先生。それぞれが医師として、人間としての思いを医学生に語っている。そこで医学生と現場の医師とが和やかに、かつ真剣に語り合っている声が伝わってくるようだ。
 各インタビューの合間には、医学生たちが、なぜ自分は医師を志したのか、といった短い文章が挿入されている。一人ひとりが自分の原点を確認するような作業であると同時に、その出発点から、さらに今回の「ライオン企画」の作業を進めることによって、その思いが新たな段階へ飛翔していくような予感を抱かせるものである。

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 それぞれにこころに残る文章だが、中でも寺澤大祐君の「障害を持った弟がくれた夢」は、医師、医療の原点を示してくれているように思える。
 「病を持っていようとも、大事に生きる姿勢が大切だな、と思うとき、医師として人が充実して生きられることの手助けをしたい、そう感じます。医師が病気を治すのではなくて、患者が病気と闘うことを手助けできる医師になりたい。これが僕の理想とする医師の姿です。」彼はこう書いている。
 このような将来のライオンたちが本書を生み出した。彼らが医師となって、世界各地で、日本の各地で、いろんな困難な状況に立ち向かい、わが国の医療を本当に魂のあるものに変革していくことをこころから願っている。
 そして、私自身も彼らの仲間として、アメージング・グレースのメロディーにのせて、「僕は風に向かって立つライオンでありたい」と、いっしょに歌いたいものだ。
(福岡市早良区野芥4丁目、にのさかクリニック院長)

5. この本を読んで
 今の日本の医学は、高齢者や、小児科医不足など多くの問題を抱えています。その中にあって地域医療や発展途上国の医療に関心を持ち、努力している人たちがいることは素晴らしいことだと思います。しかも、それらの人たちがさだまさしが作詞作曲した歌で結ばれていることにも感動しました。医療に限らずわが国は多くの問題を抱えていると思います。こういう若者達がいることは、わが国もまだまだ希望が持てると安心しました。

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[Last updated 3/31/2007]