足利
      目 次

1. 概 要

2. 第1日 フラワー・パークほか

3. 第2日 足利学校ほか


   あしかがフラワーパーク
            

  トップページに戻る

総目次に戻る

ウオーキング・旅行に戻る

1. 概要
 今回はNMCが毎年行っている一泊旅行で、足利に行きました。
 1) 名称      足利旅行
 2) 訪問地     足利(地図)
 3) 期間      2007.6.3〜4
 4) 参加者     NMC会員12名
 5) 交通機関   東武伊勢崎線、JR両毛線、タクシー
 6) 訪問先
  (1) ココ・ファーム・ワイナリー  (2) あしかがフラワーパーク  (3) 栗田美術館  (4) 鑁阿寺(ばんなじ)  (5) 足利工業大学  (6) 足利学校
 7) アクセス   今回の旅行で一番苦労したのは、現地集合だったため、電車で行く場合、JRで行くのか、東武伊勢崎線を使うべきかということでした。集合場所はJR足利駅ですが、東武伊勢崎線足利駅(足利市駅という)からどの位の距離かと、特急などの時間がわからなかったためです。結果的には距離は徒歩で約20分、東武伊勢崎線は特急が約1時間毎に1本あり、必要な時間は浅草から約1時間だということがわかりました。私の家は都営地下鉄浅草線の西馬込で、浅草までは乗り換えなしの1時間弱で行かれるため、東武伊勢崎線の特急を使うことにしました。JRの場合は上野から2回乗換が必要になります。
 8) 参考図書など
  8.1) 茨城・栃木・群馬さわやか散歩38コース 山と渓谷社 2006.2
  8.2) 郷土資料大事典 栃木県 人文社 1997.3.20
  8.3) 足利市のホームページほか

 目次へ戻る

2. 第1日  フラワー・パークほか
[ココ・ファーム・ワイナリー]
 所在地 〒326-0061 足利市田島町611 TEL. 0286-42-1194
 交 通  JR足利駅よりタクシー
 1950年代に開かれた急斜面のぶどう畑で、その麓にある「こころみ学園」の父兄等の協力により、設立されたのが始まりです。以来知的なハンディーをもつ農夫たちのつくったワインが高い評価を得ています。
 ワイナリーのレストランで昼食を済ませてから、ワイナリーの方に案内していただきました。ぶどう畑、ワイン工場、熟成庫などを見学しました。ワインの醸造は年間で15万本だそうです。
[あしかがフラワーパーク]ページ・トップの写真参照
 所在地 〒326-0061 足利市迫間町607 TEL. 0284-91-4939
 JR両毛線で小山方面に一駅めに富田という駅があり、そこの近くです。時間を節約するためタクシーであしかがフラワーパークに向かいました。
 大きな藤棚で有名なようですが、シーズンを過ぎていました。それでもバラを始めとして、クレマチス、和睡蓮、菖蒲など広い園内を廻りながら、多くの花を眺めることができました。
[栗田美術館]
 所在地 〒329-4217 足利市駒場町607 TEL. 0284-91-1026
 この美術館はあしかがフラワーパークから両毛線の線路を挟んで10分位の所にあり、歩いて行けます。
 創立者栗田英男氏が収集した伊万里、鍋島の陶磁器を展示する美術館です。入口(大手門)を入ると山の斜面に本館、歴史館、無名陶工記念聖堂と三つの建物があり、花瓶、皿、壺などの大型の収蔵品が見られます。
 なお帰りは直ぐ近くの両毛線富田駅まで歩き、電車でJR足利駅に戻りました。
 泊まった旅館は足利館で鑁阿寺や足利学校に近く、とても便利な場所にありました。夕食後は来年に迫ったNMC30周年記念行事の相談などをしました。
 足利館の所在地 〒329-4217 足利市通2丁目2658 TEL. 0284-44-0111

 目次へ戻る

3. 第2日 足利学校ほか
[鑁阿寺(ばんなじ)]
所在地 足利市家富町2220 電話 0284-41-2627
 この日の夕方は、東京で会合があり、昼食後余り時間がとれないため、朝食前に鑁阿寺に参詣しました。
 鑁阿寺(ばんなじ)は足利氏宅跡で、源姓足利氏2代目義兼が建久7(1196)年邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりで、3代目義氏が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。
 周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約4万平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えており、大正11年国の史跡に指定されました。
 春は桜、秋はいちょうの黄葉が素晴らしく、市民には『大日様』と呼ばれ親しまれています。
[足利工業大学]
所在地 足利市大前町268-1 電話 0284-62-0782
 JR足利駅から渡良瀬川沿いに約6km上流にあります。まず牛山副学長から「風力発電&環境エネルギーについて」約1時間30分図やグラフを使って説明していただき、その後、風力発電装置、各種の風車、ソーラー・クッカーなどを見せていただきました。また木質バテオマス化発電システムも拝見しました。これからの地球温暖化対策として欠かせない技術だと思います。
[足利学校]
 足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁(おののたかむら)説、鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)によって現在国宝に指定されている書籍が寄進され、庠主(学長)制度を設けるなどして学校を中興したことによります。
 また、天文年間(1550年ころ)には『学徒三千』といわれるほどになり、フランシスコ・ザビエルにより『日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学』と世界に紹介されました。
 しかし、江戸時代の末期には『坂東の大学』の役割は終了し、藩校へと移行し、明治5年をもって廃校になりました。
 その後、昭和57年に『史跡足利学校跡保存整備事業』を着手し、平成2年12月江戸中期の姿に蘇りました。

 目次へ戻る

三 門
 足利学校には、歴史ある三つの門があります。最初の門が、『入徳』と書かれた門、次に『学校』と書かれた門、最後が、『杏壇』(きょうだん)と書かれた門で、いずれも国の史跡指定になっています。
◇入徳門
  寛文8(1668)年の創建ですが、天保2年の火事により類焼、同11年ころ再修築、それも腐朽し、明治の中頃、通用門を移転修築したと伝えられています。
◇学校門
  寛文8年の創建。当時のまま現在まで受け継がれており、足利学校のシンボルとなっています。
◇杏壇門(きょうだんもん)
  寛文8年の創建ですが、明治25年の火事により類焼、同30年代に再建されたものです。
孔子廟(聖廟)
  杏壇門をくぐり、正面に見えるのが、孔子廟(こうしびょう)です。孔子様をまつってあり、聖廟(せいびょう)とも呼ばれています。建物の名称は大成殿で、寛文8年に造営されたものです。
 建物は、清楚簡潔でその様式は明の古廟を模したものと伝えられています。聖廟の中には、孔子坐像・小野篁(おののたかむら)公像・四配などが納められています。
 日本に現存する最も古い孔子廟です。
◇孔子坐像
  聖廟の中央にまつられています。孔子の坐している姿は珍しいものです。
  天保2(1832)年、画家の渡辺崋山によって像の胎内銘が発見され、天文4(1535)年に彫刻、納められたことが明らかになっています。
◇小野篁公像
  古くから『足利学校は小野篁の創建なり…』と伝えられるので創始者としてまつったとされています。
楷 樹(かいじゅ)
  中国の孔子の墓の楷樹の種を育て、大正11年に植えられたものです。
字降松(かなふりまつ)
  天文年間、読めない字や意味の解らないことばなどを紙に書いて、松の枝に結んでおくと、翌日には、ふりがなや注釈がついていたことから、学徒ばかりではなく、近所の人まで利用するようになり『かなふり松』と呼ばれるようになったと伝えられています。
遺蹟図書館
  足利学校が廃校になったのちに開設されました。足利学校の書物を継承し、大正4年に建築されたこの図書館に引き継がれました。

 目次へ戻る

史跡足利学校跡
  史跡足利学校跡は、昭和57年度に試掘調査が始まり昭和63年から建物復原工事が着工され、平成2年度に完了しました。
  建物は、江戸時代中期の姿に復原されました。復原された建物は、茅葺き屋根の寄棟造りの方丈、本瓦葺きで唐破風が付いている玄関、栗の板を重ねて葺いた屋根がきれいな書院などがあります。
国 宝
◇宋刊本 文選(もんぜん)
  周から梁までの約千年の間の代表的文人の詩文の選集です。文選60巻は、南宋時代の明州刊本の補修本で、巻中に、北条氏政寄進の記、金沢文庫の墨印などが記載されています。
◇宋版 周易注疏(しゅうえきちゅうそ)
  周代に行われた易占の書。儒家の基本文献の五経の一つで、易経の原典です。
◇宋版 尚書正義(しょうしょせいぎ)
  上代(周代から春秋時代まで)の史書で国王から下級武士までの言辞集・五経の一つの書経です。
◇宋版 禮記正義(らいきせいぎ)
  日常の礼儀作法や釈奠等の儀礼などの書。儒家は『禮記(らいき)』と呼び、五経の一つとなっています。

 目次へ戻る

ウオーキング・旅行に戻る

トップページに戻る

総目次に戻る

[Last Updated 7/31/2007]