春樹をめぐる冒険

「私の愛読書」に戻る

トップページに戻る

総目次に戻る

村上春樹の目次に戻る

               目 次

1. シンポジウム「春樹をめぐる冒険」
2. 世界は村上文学をどう読むか
3. ロシアの村上春樹−「モノノアワレ」から世界文学へ

1. シンポジウム「春樹をめぐる冒険」 翻訳家の祭典
【開催場所と期日】
東大駒揚キャンパス  20006年3月25日/26日
 世界十数か国から村上春樹の翻訳者たちが一堂に会し、パネルディスカッションを行った。
 基調講演では、アメリカの作家リチャード・パワーズが村上文学をニューロサイエンス(神経科学)でもって見事に読み解いてみせた。
 『ハルキ・ムラカミ−広域分散−自己鏡像化−地下世界−ニューロサイエンス流−魂シェアリング・ピクチャーショー』
 概要は次項の「2. 世界は村上文学をどう読むか」に載せてあります。

【プロジェクト概要】
 国際交流基金(ジャパン・ファウンデーション)は、いま世界で最も愛読されている現代作家の一人、村上春樹氏の作品と翻訳に焦点をあて、春樹ブームの秘密、国や世代による読まれ方の共通性や違いを探ることを目的としたシンポジウムおよびワークショップを開催します。

 日本文学の翻訳・出版という領域において、一人の現存する作家がこれほど全世界的に注目されたことはなく、「村上春樹ブーム」の原因について各方面から関心が高まっていますが、現在のところこの現象の総合的な分析・研究は行なわれていません。そこで、世界各国の翻訳家・評論家に村上作品の魅力や読者からの反響を縦横無尽に語ってもらう機会を設けることを企画しました。

 東京で開催されるシンポジウムでは、国や世代を超えて共感を集める村上文学の普遍的な魅力がどこにあるのかを、各国の翻訳者によるパネル・ディスカッションなどを通して探ります。

 さらに、世界各国から参加する村上作品の翻訳者や評論家が集うこの機会に、文学・翻訳・国際文化交流に関わる実務家・研究者・学生に参加いただき、村上春樹の文学世界をめぐる二つのワークショップを開催します(3月26日(日)、東京にて同時開催)。

主催:国際交流基金(ジャパン・ファウンデーション)
共催:毎日新聞社
協力:東京大学文学部&大学院総合文化研究科言語情報科学専攻

■公開シンポジウム
日時: 2006年3月25日(土) 13:00〜18:00
会場: 東京大学駒場キャンパス900番教室
使用言語: 日本語および英語(同時通訳)

目次に戻る

プログラム
13:00〜13:10 開会

13:10〜14:00 基調講演
リチャード・パワーズ(作家、米国)
「ハルキ・ムラカミ-世界共有-自己鏡像化-地下活用-ニューロサイエンス流-魂 シェアリング計画」
案内人:柴田 元幸(東京大学教授)
コメンテーター:梁 秉鈞(香港)
 Esquire誌に90年代の5大作家に選ばれたアメリカを代表する作家パワーズは、日本人でインパクトを受けたアーティストとして村上春樹の名前を挙げ、「頭と心のパズル」、「構造自体がテーマを反映する構造になっている」という点において自身と共通点をもっていると評価しています。そうした「小さな物語が大きな物語と交わるという構造を持つ」という共通性は、村上春樹が現在アメリカのみならず世界的に愛読されていることとどのように関連するのでしょう。現代の人々が世界共通に求めている物語とは何かを、ニューロ・サイエンス(脳神経科学)と文学の関係性や自身の創作哲学に照らしながら考察します。

14:00〜16:00 パネル・ディスカッション
翻訳者が語る、村上春樹の魅力とそれぞれの読まれ方
案内人:藤井 省三(東京大学教授)
パネリスト:Corinne Atlan(フランス)、金 春美(韓国)、Dmitry Kovalenin(ロシア)、頼 明珠(台湾)、Jay Rubin(米国)
 各国翻訳者に、自分の国での村上春樹の翻訳・出版状況と読まれ方(読者層・読者評・批評)、村上春樹の何が読者を魅了するのか、村上春樹の翻訳における特色・特別なエピソード等を語り合っていただきます。

・・・休憩 10分・・・

16:10〜17:00 翻訳本の表紙カバーに観る村上春樹/日本イメージ比較
案内人:沼野 充義(東京大学教授)
 翻訳本の表紙は、作家のイメージのみならずその国において特定の国がどのようなイメージで捉えられているかを表象します。また、同時に翻訳を行なう国の文化・社会・政治状況を反映することもあるでしょう。
 様々な言語ヴァージョンの村上作品の表紙カバーを比較・紹介することにより、春樹以前の日本文学翻訳作品と比べて違いはあるのか、そこにはどのように日本に対するイメージが反映されているのかなど、各国において村上春樹がどのようなイメージで捉えられているのかを探ります。

目次に戻る

17:00〜18:00 映像世界にみる村上春樹
案内人:四方田 犬彦(明治学院大学教授)
 村上春樹作品は、短編を中心にいくつかの作品が日本国内で映画化されています。のみならず、海外においても村上春樹作品に影響を受けたと思われる映画作品が少なからず存在しており、いまや村上ワールドは国境のみならず文学というジャンルを越えて伝播・普及しています。映画のなかの村上ワールドは原作の何を写し撮ることに成功し、どこを表現できていないか。「翻訳」が言語を代えることによる新たな創作という面をもっているのと同様、メディアを代えた映画化によって村上ワールドに新しい豊かさや魅力が生み出されたとしたら、それは何でしょうか。グローバリゼーション、マルチメディアの時代における現代文化の翻訳論を映像という切り口から眺めてみましょう。

■ワークショップ
日時: 2006年3月26日(日) 13:00〜16:00
会場: 東京大学駒場キャンパス(目黒区駒場3-8-1)
【ワークショップ1 翻訳論】学際交流ホール
【ワークショップ2 表象論】18号館ホール
*ワークショップ1と2は同時開催です。

対象: 文学・翻訳・国際文化交流に関わる実務家・研究者・学生
使用言語: 日本語
内容 ワークショップ1:
翻訳の現場から見る村上ワールドの魅力
案内人:柴田元幸・沼野充義
Erdo"s Gyorgy(ハンガリー)、Mette Holm(デンマーク)、Jonjon Johana(インドネシア)、Tomas Jurkovic(チェコ)、Ika Kaminka(ノルウェー)、Dmitry Kovalenin(ロシア)、頼 明珠(台湾)、Serguei Logatchev(ロシア)、Jay Rubin(米国)、葉 (マレーシア)
 村上春樹作品を題材にして、特定の文章の翻訳比較を試みたり、具体的なテキストの翻訳についての技術的な問題を考えたりするほか、村上春樹を翻訳することの楽しさがどの辺りにあるのかを各国の翻訳者から聞いてみたいと思います。
 日本語で書かれた文学を翻訳者が自分の言語に翻訳し、それをさらに読者が自分の言葉で翻訳・解釈するというプロセスを通じて、ますます豊かさと面白さを増している村上春樹文学を味わいます。

目次に戻る

ワークショップ2: グローバリゼーションのなかの村上文学と日本表象
案内人:四方田 犬彦・藤井 省三
Corinne Atlan(フランス)、Angel Bojadsen(ブラジル)、Ted Goossen(カナダ)、Uwe Hohmann(ドイツ)、金 春美(韓国)、梁 秉鈞(香港)、Ivan Logatchev(ロシア)、Anna Zielinska-Elliott(ポーランド)、Alfred Birnbaum(米国)
*新しい参加者がワークショップ2に加わります。
 グローバリゼーションのなかの文化表象論の視点から、現在の世界を舞台にした春樹ブームを検証します。村上春樹より前の世代の日本の作家に対して、海外の読者は異国情緒や非西洋的価値を求める傾向が少なからずありましたが、他方、村上を日本文学とみなす傾向はあまり見られないように思われます。
 村上春樹作品は日本文学として読まれているのか? それとも日本という特定の文化的範疇を超えたコスモポリタンな文学として認識されているのか?受け入れ側の社会状況は、村上作品の受容にとってどの程度影響を与えているのか? 各国での読まれ方の比較検証を通じて、村上文学の海外受容の傾向を浮き彫りにしたいと思います。

『春樹をめぐる冒険―世界は村上文学をどう読むか』

【国際シンポジウム&ワークショップ 参加予定者】
基調講演: Richard Powers(作家、米国)
案内人: 柴田 元幸 (東京大学教授)
     沼野 充義 (東京大学教授)
     藤井 省三 (東京大学教授)
     四方田 犬彦 (明治学院大学教授)
海外参加の翻訳家・評論家:
Corinne Atlan (フランス)
Angel Bojadsen (ブラジル)
Ted Goossen (カナダ)
Erdos Gyo"orgy (ハンガリー)
Uwe Hohmann (ドイツ)
Mette Holm (デンマーク)

目次に戻る

Jonjon Johana (インドネシア)
Tomas Jurkovic (チェコ)
Ika Kaminka (ノルウェー)
金 春美 (韓国)
Dmitry Kovalenin (ロシア)
頼 明珠 (台湾)
梁 秉鈞 (香港)
Ivan Logatchev (ロシア)
Serguei Logatchev (ロシア)
Jay Rubin (米国)
葉 (マレーシア)
Anna Zielinska-Elliott (ポーランド)
Alfred Birnbaum (米国)
*アルファベット順
*参加予定者は変更することもあります。予めご了承ください。
*参加を予定していた林少華氏(中国)、Ursula Grafe氏(ドイツ)は、本人のスケジュールの都合により参加しません。
* 葉氏(マレーシア)が参加メンバーに加わりました。
(出典 国際交流基金のホームページ http://www.jpf.go.jp/j/intel_j/topics/murakami/index.html)

目次に戻る

2. 世界は村上文学をどう読むか アメリカの作家による基調講演
『ハルキ・ムラカミ−広域分散−自己鏡像化−地下世界−ニューロサイエンス流−魂シェアリング・ピクチャーショー』
リチャード・パワーズ 柴田元幸訳 『新潮』2006年5月号からの抄録

ミラー・ニューロン
 今から約10年前、イタリアのパルマの研究所で、ジャコモ・リツォラッティの主導のもと、国際的なニューロサイエンティストの一団が、心のはたらきをめぐる、大きな発見に行きあたりました。サルが腕をのばして何か物を動かそうとするたびに、脳の運動前野にあるひとつのニューロンが信号を発していることをつきとめました。サルのうちの一匹が、腕は止まっているのに、信号を出し始めました。実験をしている人間がその物体を動かそうとして腕を伸ばしたときに限って起こることを突き止めました。このメカニズムを、リツォラッティたちは「ミラー・ニューロン」と名づけました。

 脳のなかの、身体的な行為を司る部位が、イメージを作る営みにも駆り出されています。

 イメージングと脳波図を通して、サルのみならず人間にもミラー・ニューロンがどっさりあることが判明しました。ミラー・ニューロンのシステムが行うのは、運動を監視し実行することだけではありません。さらに向こうまで触手をのばし、より高次元の認知プロセス全体に忍び込んでいるのです。人間のミラー・システムは、言語の処理を司るいわゆる「ブローカ野(や)」の中もしくはその近辺に見つかりました。どうやら、何かを言葉で言い表すことによって、その言い表された何かが、なぜか他人の頭のなかで再構築され、存在するに至るらしいのです。そうしたシンボル上の再構築によって引き起こされる生理的反応とほぼ同じらしいのです。見ることと為すことを結びつけているニューロンが、相互にシンボルを作りあう回路にあっても、口にされたメッセージの送り手と受け手を結びつけているようなのです。

 ミラーリングがさまざまな高次元の認知機能に一役買っていることが見えてきた。言語使用、学習、表情の解説、危機の分析、相手の意図の理解、感情の認知、適切な反応の設定、心をめぐる理論の発達、社会性の形成。行為を実行することと、想像すること、両者はもはや別個のプロセスではなく、同じニューロン回路の、二つの違った現れ方にすぎない。(ジョン・スコイルズとドリオン・セーガンの言葉)

 いくつかの調査においては、何かを実際に見るときよりそれを想像するときの方がより多量の血液を使っている。視覚能力・運動技能を再現することが、思考することの根底にあるのだ。運動を想像した人々のグループは力が22%増したのに対し、実際に運動した人々は30%増すに止まった。(ジョン・スコイルズとドリオン・セーガン「アップ・フロム・ドラゴンズ」)

目次に戻る

 村上春樹が一連のインタビューにおいて、彼自身の小説に満ちている夢の産物や無意識の風景をどう想い描いているかに耳を傾けてみてください。
 僕たちは自分のなかにいろんな部屋を持っています。その大半を僕たちはまだ訪れていません。でも時おりそこへの通路が見つかることがあります。不思議なものがいろいろ見つかります。古い写真、絵、本それらは僕たちのものなのに、初めて見つけたものなのです。セックスは霊のなかへ入ってゆくための鍵です。セックスは目ざめているときに見る夢のようなものです。夢というのは集合的なものだと思います。自分のものではない部分も夢にはあるのです。(マット・トンプソン「捉えがたきムラカミ」)

 共同体に属す夢。そこにはわれわれが相続した他人の所有物があって、われわれはそれを探求し発見しなくてはならない。何十年か前だったら、こうした考え方を系統立てて記述するとすれば、その最良の記述は、ユングの言う集合無意識のようなものになっていたかもしれません。事実、ごく最近まで、個人の自己が巨大な、共有された時空間の上に、人間的なものすべてを素材として縫いあわされているということを述べるにあたっては、ユング心理学はそのもっとも包括的な記述方法でした。しかし今日、ループする共有された回路でミラー・ニューロンが活動し、モノを動かすことと物のイメージを作ることの境界もぼやけてきたなか、人間が共有する、心の地下の真実を解き明かすいっそう豊かな記述に科学は行きあたったように思えます。そうしてそうした真実こそ、われわれが村上春樹を読むとき、さまざまなシンボルによって出来ているそのミラー・ワールドから文字通り生まれてくる真実なのです。

 <脳の十年(ディケイド・オブ・ザ・ブレイン)>と言われる1990年代は、脳に関して、村上作品のどのプロットにも負けぬほど奇怪で驚くべき発見や理論を数多く生みました。リツォラッティの<ミラー・システム仮説>は脳科学におけるそうした革命の頂点を成すと言ってもよいでしょう。かって心とは、単一のまとまりでした。それがやがてフロイト、ユングら深層心理学者によって二つ、三つ、もしくはそれ以上の、かならずしもアクセスが容易でない要素に分解されたわけですが、それでも一つひとつの部分は依然おおむね一元的なものでした。それがいまや、心は何百もの分散したサブシステムに分解され、それら一つひとつが、ゆるやかに絡みあった連合関係を成して、それぞれ個別に信号を発しているのです。

 リツォラッティによるミラー・ニューロンの発見が示唆しているさらに重要な点は、一人の人間の自己というゆるやかな議会は、それが触れあうほかの人間の自己たちを時々刻々アップデートし、それらほかの自己たちによってアップデートされてもいるのです。
 この複合的、多方面的な鏡の館にあっては、ネットワークのどの部分に損傷が起きても、われわれが即興で作り続ける自己のありようががらりと変わってしまいかねません。たとえば、脳内の前部帯状回と呼ばれる部位に両側性損傷が生じると、その人物は現実と想像を区別する能力を失います。単に最近誰かと話題にしただけの場所へ現実に往ったと思い込んだり、夢のなかで起きただけのことを実行したと信じたりするのです。しかし、新しいニューロサイエンスが急いで指摘するところによれば、脳の損傷から生じるこうした精神状態は、普通の人間の意識においても、より弱い、一時的な形で生じうるのです。

目次に戻る

 <脳の十年>がはじまるずっと前から、村上春樹はこうしたことを知りつくしていました。彼の登場人物の多くが、何らかの情景のなかをさまよいながら、自分はいまどこかの外的現実のルールに従って動いているのか、それとも心の中で自らのルールを組み立てているのか、判別できないのもまさにそのためです。

 現代のニューロサイエンスから見れば、心の中のマップと外的現実の境界は、そのつどとりあえずの多面的な交渉から生ずるものにすぎず、境界線のどこがいつ破れてもおかしくない状態にあります。脳の二つのサブシステム間のつながりに障害が起きれば、自己の成り立ちそのものが揺らいでしまい、その結果、どれひとつをとっても村上作品のプロットとして通用しそうな徴候を大量に生み出しかねません。見慣れた事物を見ても、それが何なのか特定できなくなる。オレンジがサクランボより大きいのか小さいのかがわからなくなるなどです。

 おそらく今日活躍している小説家の誰にもまして、分散しモジュールに分かれた脳があらわにするパラドックスを村上春樹は本質的に理解し、作品中で再現しています。すなわち、意識というものがまっとうで、堅固で、予測可能であるのは、脳がわれわれに対して時々刻々為していることをわれわれが自覚せずにいる限りのことでしかないのです。

 総体として見るなら、村上春樹の作品は、日常からの逸脱という出来事の執拗な探求にほかなりません。世界は見かけほど単純ではないこと、200のモジュールに分かれた脳の騒々しい不協和音が見せかけているほど単純では断じてないことを、彼の書くセンテンス一つひとつが知っています。そして何よりも奇怪なのは、われわれの脳が、自らの複合的プロセスから投げてよこされたものを、片っ端から平然と、一貫したストーリーとして捉えようとすることではないか−そう彼の物語は語っているように思えます。

 村上春樹は、国際的なユースカルチャーを巧みに活用しています。彼が範としているのは主としてアメリカ人です。タッチもお洒落で、文章はこの上なく読みやすく、ユーモアに富んでします。グローバル消費文化のさまざまなアイテムにも好んで言及します。それゆえ彼の成功は、表面的には、村上本人も登場人物たちもこよなく愛しているポピュラー音楽の世界的成功と似て見えます。

 登場人物と同様に、村上春樹はすべて日本人でもなければ、アメリカナイズされているわけでもありません。彼は人間の意識が持つ、境界を越えて自由に行き来するさまざまな側面に波長を合わせているのです。限定する国もなく決まった居住地も持たない、真にグローバルな作家の先駆にしています。特定の土地から離れて浮遊しているあらゆる場所に語りかけるような、グローバル意識を作り上げているもろもろの要素を巧みに使っているのです。

目次に戻る

 村上春樹の作品は、後期グローバル資本主義がもたらす、<いま・ここ>の感覚が失われる恐ろしさを、そしてそのなかで生きるわれわれの内なる難民としてのありようを、あらゆるレベルで理解しています。そして商品化された生活がもたらす不安な流動性、何ごとも取り替え可能になってしまう恐ろしさを、彼はいかなる現代作家にもましてよく把握しています。

 村上春樹は、世界中これだけ多様な地域でかくも広範な読者層を得た理由を問われて、「僕の本は読者に、自由の感覚を−現実世界から自由になった感覚を−もたらすのかも知れません」と答えています。村上春樹の物語は、分散した自己を生きること、古い国家が消えていくなかで新しい世界主義(コスモポリタニズム)を生きることにめざましい心地よさを見出しています。

 村上春樹を読むことからわれわれが得るのも、われわれ自身の脳の皮質のなかで、彼のニューロン的コズモポリタニズムを盗用することの喜びにほかなりません。リアルとシュールリアル、孤独と社会、グローバルとローカル、見慣れたものと見慣れないもの−これらの世界のすべてが、脳の劇場のなかで肯定され、却下され、改訂され統合されていることを村上春樹の小説は知っています。

 もし村上文学に何かひとつ支配的なテーマ、何かひとつ抗いがたい魅力があるとすれば、「われわれ」が終わってどこで他者がはじまるのか誰にもわかりはしないという、奥深い、かつ遊び心に満ちた叡智こそがそれでしょう。

 村上文学は、いつの時代、いつの国でも叡智ある人がつねに唱えてきたことを唱えています。人生はつかのまのものであり、確かだと思えるものは捉えがたい幻でしかない。

3. ロシアの村上春樹−「モノノアワレ」から世界文学へ[ルポルタージュ]
  沼野 充義(ぬまの みつよし) 『文学界』06.5月号

[村上春樹はいまやロシアを代表する作家である]
 彼の作品は30ケ国語以上に翻訳され、多くの国でベストセラーになっている。

目次に戻る

[国際的な人気が出るまでの歴史]
最初は東アジアが中心であった。
 1986年 中国語訳(台湾 頼明珠訳)「1973年のピンボール」
 1989年 英訳「羊をめぐる冒険」、韓国語訳「ノルウェイの森」、「ダンス・ダンス・ダンス」
村上は本格的な長編作家として世界の読者に認識されるようになった。
 1997年 英訳(アメリカ ジェイ・ルービン訳)「ねじまき鳥クロニクル」
 2000年代になり世界各国で翻訳ラッシュ
 2005年 英訳(アメリカ フィリップ・ガブリエル訳) 「海辺のカフカ」が英語圏で高く評価され、アップダイクが「ニューヨーカー」に絶賛の書評を書いた。
中国や韓国は特に熱気を帯びた地域である。
ロシアでは1990年代末に初めて翻訳が出た。数年のうちに代表作がほとんどすべて翻訳され、モスクワのたいていの本屋の棚には村上春樹コーナーがある。ロシア語の検索エンジンで調べると、ロシア随一人気のある推理作家アクーニンが約60万4千件、村上春樹は約78万4千件。
 1998年に、最初の露訳(ドミトリー・コヴァレーニン訳) 「羊をめぐる冒険」−次章に詳細がある。
 ほかにスモレンスキー、ザミーロフ、セルゲイ&ロガチョフ父子などが、競うように翻訳した。日本語からの直接訳、例外なくベストセラーになった。どの本も数万から数十万部で、中には百万部をこえたものもあるらしい。
 なぜロシアで人気があるのか。筆者は今年の2月にロシアに行き、その謎を探った。

[新潟発ペテルブルク行き] 
 ドミトリー・コヴァレーニン 1966年サハリン生まれ。ヴラジオストク極東国立大学で日本語を専攻した。新潟で9年ほど港の通訳などをした。個人的な村上春樹との出会いも含めて「スシ・ノアール」を書いた。村上の主要作品の解説と紹介をまとめたもの。彼と村上春樹の出会いは、1993年で古町のジュンジというオーナー兼DJから紹介されて知った。「羊をめぐる冒険」を読み始めて直ぐに「ハレルヤ!」と感じた。第一に素晴らしい物語があった。第二に著者が日本人だということを忘れてしまった。第三に読み終えたとき、「これを書けるのは日本人だけだ」と感じた。
 彼は3年かかって、この本を翻訳した。出版はできなかったが、翻訳文学を大量に掲載する老舗のサイトに掲載された。ロシア語世界の人たちは2年間ネット上で読むことができた。その間何千通にものぼるロシア語の手紙を受け取り、それはありとあらゆる年齢と職業の人たちで、彼らは異口同音にいった。「どうやってこの作家は、私たちの内面をこんなにうまく探り当てたのでしょう?」
 途中でメールのやりとりはあったが、1998年に「羊をめぐる冒険」がペテルブルクの出版社から単行本として出版された。
 「羊をめぐる冒険」のロシア語訳が出てからわずか7〜8年の間に、村上をめぐるロシアの状況はがらりと変わった。以下は2月にコヴァレーニンとモスクワで会ったときに交わした会話の一部である。

目次に戻る

−−ロシアの読者は村上の本のなかに、東洋の異国情緒を見ているのだろうか。それとも何か普遍的なもの?
コヴァレーニン ロシアにおける村上の愛読者は二つのカテゴリーに分かれます。一つは流行を追い求める人たち。もう一つはエキゾチシズムを求める人たち。ロシアにおける村上元年といえば、1998年ですが、それからわずか5年くらいの間に彼の主要な著作は全部ロシア語に訳されてしまった。
−−日本料理も同じ時期にブームになったわけですが、この二つは別々のものだと思いますか?
コヴァレーニン もちろん、互いに関係していることでしょう。村上はとても丹念にあらゆる料理を描写しているじゃありませんか。
−−でも、ロシア人はだいたいにおいて、食べ物とか食事の儀式などは低いものとみなしていいるでしょう。
コヴァレーニン それは確かにそうです。日本人は食べるプロセスを文化のレベルまで引き上げたのです。
−−ロシアの大作家は食べ物のことなんかむしろ軽蔑してきましたね。かれらはなんといっても社会の教師だったから。トルストイとか、ソルジェニーツィンとか。
コヴァレーニン 現代の状況でソルジェニーツィンのような作家が、何か説教するなんてとんでもない間違いですよ。ところが村上はそれがわかっている。
−−ところで村上がデビューしたとき、日本ではアメリカ文学の影響を指摘する人が多かったんですよ。
コヴァレーニン でも彼自身があるインタビューで、自分の小説を非日本的だと考えるのはばかげたことだと言っているじゃありませんか。僕はペテルブルグに行ったとき、巨大な曼陀羅を見たことがあります。ひょっとしたら、村上はこんな風に自分の小説を書いたんじゃないかと閃いた。とても緊密な構成で、無駄なディテールが一つもない。

[春樹はアメリカ的か、それとも日本的か?]
 いま「村上=アメリカ的」説と「村上=日本的(モノノアワレ)」説という二つの両極端を紹介したが、おそらく現在ではその両者を折衷したような見方、つまりある程度は日本的だが、かなりの程度西欧(アメリカ)的という見方が主流ではないかと思う。

[境界の存在を告げる羊男]
 ロシアの村上人気を支えているのが若い読者であるのに対して、文芸批評などという「古い」ジャンルを実践しているのはもっと年長の世代で、そもそも村上文学に対しては否定的であるか、あまり関心がないかのどちらかである。
 そんな状況の中で、珍しく若い世代のチャンピォンのような存在となっている文芸批評家がいる。レフ・ダニルキンといって1974年生まれ、まだ30歳そこそこの若さだが、モスクワで数十万部発行されている隔週の雑誌「アフィーシャ」の書評を書いている。

目次に戻る

−−どうして村上春樹はロシアでこんなに人気があるのだと思いますか。
ダニルキン いくつかの要因があると思いますが、一番単純なのは、村上がロシアで「発見」されたのがちょうどいい時期だったということです。ええと「羊をめぐる冒険」が初めて出たのが1990年代末で、外国の作家であるということにもってこいの時期でした。ペレストロイカからその後の時期にかけて、外国の作家たちが次々と発見され、大きな役割を果たした。ロシアは日本と同じく、アングロサクソン世界の端に位置している。村上を読むと、自分が属しているのは、自分自身の民族文化なんだということをつねに思い出させられる。

[ロシアの国民的料理としての日本料理?]
 ロシアでは村上春樹の人気が高まるのとほぼ並行して、1990年代末くらいから日本料理がたいへんなブームになり、モスクワの日本レストランの数はすでに数百軒を越える。じつは私の仮説は、ロシアにおける村上春樹の人気と日本料理の流行は互いに本質的に関係しあっいる、いや、おそらくは共通の美学が背景にある、ということだ。ロシア文学の伝統では、ドストエフスキーやトルストイを思い出せばよくわかるように、本来、グルメ趣味を見下す景行が強い。しかし、食べ物や消費生活に対する考え方そのものが、村上文学が登場するころから次第に変化し、食について語ったり、考えたりすることが次第に文化や芸術の領域に近づいていったのである。

[ロシアにおける現代日本文学受容の歴史に向けて]
 一般の日本の読者にはあまり知られていないかも知れないが、ロシアは伝統的に日本学の高い水準を誇る国である。旧ソ連時代、1960年代から70年にかけて、そういった現状を破ってロシア語に翻訳され、ソ連の多くの読者に歓迎された例外的な戦後日本作家としては、安部公房、川端康成、大江健三郎などがいる。
 そういった状況は1985年にゴルバチョフが登場し、ペレストロイカが始まると一変する。三島由紀夫の文学が解禁され、ロシアの読者を魅了した。三島の翻訳を手掛けたのは、1956年生まれのグリゴリー・チハルチシヴィリ。その数年後、彼は突然、ボリス・アクーニンというペンネームで質の高い推理小説を書き始め、あっという間にロシアの出版市場を席巻するほどの人気作家になった(一時、ロシアの小説市場はアクーニンと村上によって二分されるかのような観を呈した)。最後にこの2月にモスクワでアクーニンに会ったときの会話の一部をここに紹介する。
−−日本に最初に行ったのは、何年でしたっけ。
アクーニン 21歳のとき(1977年)です。
−−留学生として行ったのですね。
アクーニン 大学の最終学年の学生でした。日本文学に興味を持ったのも、まさにそんなときだったのです。そして初めて三島由紀夫を読みました。
−−ソ連では三島は事実上禁止されていたのですね。
アクーニン 完全に禁止されていました。出版のあてもなく、自分の楽しみのために翻訳していました。

目次に戻る

−−自分の翻訳を出版しようとはしなかった?
アクーニン ペレストロイカが始まり、私は「外国文学」の編集部で働くようになりました。その雑誌の編集者になってから、三島の作品を掲載できるようになるまで、3年もかかったのです。
−−「外国文学」には以前から安部公房、川端康成、大江健三郎といった作家が掲載され、彼らの作品はソ連でも人気が高かったわけですね。
アクーニン 人気があったのは、ただ異国情緒のものめずらしさからですよ。
−−そうだとすれば、やっぱり「外国文学」は「別世界への窓」の役割を果たしたわけでしょう。
アクーニン ある程度はそうです。でもこういった外国文学はまったく別の観点から受容されていたんですね。そういえば、現代ロシアの若者達は村上春樹がとても好きですが、その読み方もちょっと違っているんじゃないのかな。つまり書かれているとおりには読んでいないということなんです。若者たちには、自分たちを取りまく世界から疎遠になっているという感覚があり、それは村上にも共通している。冷たく、疎遠なまなざしですよ。だから村上の文学はかなり単純でありながら、そうして複雑な印象を与えることに成功している。
……
 いまの若い人たちはもう人種が違う。今の世代は、これまでの世代とは根本的に違っています。
−−そういう世代が村上文学に夢中になっいるわけですね。

 現代日本のいわば「心優しき」村上春樹のようなタイプの作家が、これほどまでに広く受け入れられたことの背景にはロシア社会、そして現代のロシア人のメンタリティの質的な変化というものが、やはりあると考えざるをえない。社会の人々はささやかながらも自分だけのものであるプライヴェート・ライフを楽しみたい、という方向に価値観を転換しつつあるのかもしれない。現実に即しながらも現実から少しだけ離れた洗練された世界、すさんだ現実の中にいながら、ちょっぴり異世界を味わせてくれる日本文化であり、村上春樹の文学なのだろう。
 村上文学のロシアでの受容など、一つの「特殊」な国の場合に過ぎないと思われる無期もあるだろうか。しかし私が本当に論じたかったのは、村上文学がもはや日本だけの専有物ではなくなっていて、日本を越えた世界で様々に受け止められ、様々な文化の中で日本とはひょっとしたら違った意味を持っているかもしれないということであって、ロシアはその端的な例である。その意味で、村上文学はもはや「世界文学」なのだ。
 村上春樹は「日本的」か、「世界的」か。彼の文学はポップ・カルチャー(大衆文学)なのか。純文学なのか。あいも変わらずこういった紋切り型の二項対立的な問いが、いまだに繰り返されている。しかし、村上春樹の作品がいま世界で切り開きつつあるのは、まさにこの手の二項対立的発想がすでに意味をなさなくなる新しい世界文学の地平なのである。

村上春樹の目次に戻る

「私の愛読書」に戻る

トップページに戻る

総目次に戻る

[Last Updated 8/31/2006]