みんなの広場
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 アクセスされた方々との交流の場です。今月は次の三項目を取り上げました。先月の「みんなの広場」は「12 改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)」に移しました。

目 次 
 我が家の近くにある池上梅園では、やっと一分咲きというところでしょうか。2月中旬が見頃とのことでした。梅園の前にかなり広い区営の駐車場ができ、遠方の方にも便利になりました。駐車料は30分で百円です。
 このところ寒い日が続いていますが、朝夕は陽が永くなったことを実感します。水仙の花が、春を思わせます。
1. 「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  今月追加した内容の、ご紹介です。
 1.2 新聞の記事から
  最近読んだ記事の中で、ご参考になると思われるものをご紹介します。
2. 1月のトピックス
 1月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 谷中七福神
  1月5日に、二人の姉と谷中七福神の初詣に行きました。
 2.2 スキー
  1月中旬に戸隠、下旬に志賀へスキーに行きました。
 2.3 オーロラの贈物展
  我が家の近くで開催中の陶器展を見に行きました。
3. 来月の予定
 今、来月に向けて計画していることを、お知らせします。

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1. 「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  「パリ1900年・日本人留学生の交遊 『パンテオン会雑誌』資料と研究」は新刊図書のご紹介です。
  「谷中七福神」は初詣に行った、上野近くの谷中にある七福神のご案内です。
  「菅原伝授手習鑑」は12月の国立小劇場に見に行った文楽の内容です。
 1.2 新聞の記事から
 日本 王維、仲麻呂を送る詩に記す(漢字コトバ散策)    【興膳 宏】
 阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)と同期の遣唐留学生で、志半ばで中国に没した人物の墓誌が昨秋発見されて、話題を呼んだ。その人は、中国名を井真成(せいしんせい)といい、唐の開元22年(734年)正月、36歳で亡くなったと墓誌にはある。彼の出身国を「日本」と記すのは、墓誌のような第一次資料に「日本」の国号が明記される最古の例になる。
 「日本」の国名がはじめて現れる中国の正史は、『旧唐書(くとうじょ)』東夷(とうい)伝である。その記事を読むと、女帝則天武后(そくてんぶこう)治世下の703年に、粟田真人(あわたのまひと)を大使とする遣唐使が長安を訪れ、「日本」の国号が正式に中国側の認知を得るようになったらしい。井真成の死から30年ほど前のことである。
 唐詩に「日本」が見えるようになるのも、井真成の死からしばらく後のことだ。阿倍仲麻呂は50年にわたる中国滞在ののち、遣唐使藤原清河(きよかわ)に従って、帰国の途についた。著名な詩人王維は、「秘書晁監(ちょうかん)の日本国に還(かえ)るを送る」詩を作って、はなむけとした。仲麻呂は中国名を「晁衡(ちょうこう)」といい、宮中の図書をつかさどる秘書監の任にあった。「国に向かってただ日を看(み)、帰帆(きはん) ただ風に任す」などという句には、日本という神秘の国への遥かな距離感がにじんでいる。
 仲麻呂の船は、しかし暴風雨にあって難破し、ベトナム北部の海岸に漂着した。仲麻呂が死んだといううわさを聞いた李白は、「晁卿衡(ちょうけいこう)を哭(こく)す」と題する七言絶句を作って、その死を悼んだ。
  日本の晁衡 帝都を辞し
  征帆一片 蓬壺(ほうこ)を遶(めぐ)る
 「蓬壷」は、東方の海上にあるといわれた伝説の島蓬莱山(ほうらいさん)である。仲麻呂は運よく助かり、帰国を断念して、再び長安に帰還した。
 日中関係でぎくしゃくした問題が起こるたびに、こうした個人と個人をつなぐ交わりの大切さを思う。お互いに相手の顔がよく見える隣づきあいを心がけることこそが、長い友好のきずなを強めるはずだ。その意味で、ヨン様ブームはまことに結構な現象ではないか。
(京都国立博物館長)
(出典 日本経済新聞 2005.1.9)

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2. 1月のトピックス
 2.1 谷中七福神
  昨年は元旦に七福神巡りに行ったのですが、元日は受け取った年賀状でも読んで、のんびりしたいし、開いている店も少ないので、今年は5日に出掛けました。ホームページで調べ、何となく土地勘のある谷中七福神に決めました(戦後一時上野に住んでいたことがあります)。この数年の七福神は大通りを歩くコースもあったのですが、谷中はほとんどがバスも来ないような狭い道で、谷中銀座や谷中の霊園なども通り、最後は不忍池(しのばずのいけ)とあって、親しみが持てました。
 道も一部を除いては判りやすく、旗の立っていない寺もあったのですが、迷わずに歩けました。七福神巡りは、すっかり正月の行事として定着したようです。
 2.2 スキー
  数年前からBSAスキーに参加していますが、今シーズンのはじめに戸隠(長野駅からバス利用)に行きました。今年から友人の加藤君も入会し、旅館は同室でした。今年のテーマは「回転の初めに内足に体重をかける」でした。
 下旬にNMCのメンバーと志賀へ行きました。一ノ瀬の旅館に泊まり、奥志賀からジャイアンツ・コースまで広く滑りました。昨年は参加者が少なくて、淋しかったのですが、今年は参加者が六名で楽しい4日間でした(上の写真はジャイアンツ・コースです)。

 2.3 オーロラの贈物展
  我が家の近くに熊谷恒子記念館があります。桜並木から記念館に行く途中に、イケダアンドロカーという展示場があり、そこで「オーロラの贈物展−オンタリオのクラフツマンたち」という名の陶芸展をやっており、覗いてみました。説明を聞くと絵画展(抽象画らしい)と陶芸展を時々開いているようで、地元の人に見て欲しいとのことでした。食器、花瓶など気持ちの良い作品が並んでいました。
 地元で良い作品に接しられることは、ありがたいと思います。

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3. 来月の予定
 来月は次のような項目を予定しています。
 3.1 本の紹介
  中沢新一著「僕の叔父さん 網野善彦」(集英社新書)を採り上げたいと思っています。
  また今月ご紹介した「パリ1900年・日本人留学生の交遊 『パンテオン会雑誌』資料と研究」に、項目を追加したいと思っています。
 3.2 ウオーキング・旅行
  東京の公園を採り上げたいと思っています。
 3.3 古いページの更新とリンク先
  毎月、少しずつ更新して行こうと思っています。

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[Last Updated 3/1/2005]