「私の愛読書」に戻る

トップページに戻る

総目次に戻る

8. 働くということ この人に聞く 早くから自分で考える
 リストラ失業、フリー夕……。働くことの意味は何かとの問いに直面する人が増えている。作家の村上龍氏が「十三歳のハローワーク」 「会社人間の死と再生」などの著書で呼びかけるのは、一人ひとりが自ら考えることだ。
 「いい学校、いい会社に行けば一生安泰という時代ではないのは明らかだ。誰もがそう思うのに実際はその事実が社会に浸透していない。そう言っても耳を貸さない人が多いので、様々な働き方の現状を『十三歳』で紹介した。子供向けの本とは考えていない。社会で自分が占める位置、どんな仕事に向いているかを早く考え始めた方がアドバンテージ(有利性)ができる。それを伝えたい」
 「『五十歳まで嫌々働いて楽しくないまま生きたらそれは負げ犬』といった姿勢で書いており、当然反発もあると思った。だが、予想外に読まれているのは、日本の中に変化に対応しようという人が多いからだろう」
 学校を出たら会社に入って定年まで働く。そんな図式が崩れ、価値観の再構築を迫られる時代。自分の働く意昧を探す作業は容易ではない。
 「目標を持たないままリストラされた中高年にどうすべきかはアドバイスのしようがない。具体的な目標があればできるが、何をしたいのか分からない人には助言できない。このコンセンサスが社会に欠けており、相互依存症が起きている」
 「日本経済をどうする。流通、ゼネコンをどう再生させる……。こうした全体をひとくくりにして議論する発想が間違いで問題を生む。日産自動車のように改革を進めて自立すれば取引銀行も下請け企業も助かる。だが、特定の不振業界全体をどうすればいいかといった問いは無意味だ」
 「働く人の自立もそれと同じだ。自立してくれると周りも助かるのに、株の持ち合いのように、互いに寄りかかっているのが現状だ。答えは自分で見つけるしかない」
 個の自立が叫ばれても、政府の役割や敷かれたレールに依存する発想はくすぶる。
 「明治時代から戦後、高度成長期までは政府が税金などの資源を再配分する経済政策により国民全体を底上げしてきた。それでやって来られたのは1980年代まで。社会全体がハッピーになれるというのはもはや幻想だ。ゼロサムになったということを前提に語る"文脈"がまだできていない。政策を含め、新しい時代に対応していない」
 「会社への依存を求める人はフリーターにも中高年にもいる。その原因は銀行にせよ事業会社にせよ、本当ならつぶれるべき衰退企業をちゃんとつぶさなかったのが大きい。周囲を見回せば分かる。団塊の世代がいい給料をもらっているから、やはり正社員になりたいという人がいるのは当然だ。衰退企業の市場退出による打撃は大きいかもしれないが、それを放置すると、影響は若者に集中する。起業家になれ、リスクを取れといっても旧来の構図が温存されていれば、空疎に響く」
 羅針盤を欠く教育現場から「十三歳」の引き合いも相次ぐ。個人の自立を妨げている元凶として矛先は教育にも向かう。
 「教育の最大の問題は格差があることだ。都会と地方、富裕層と貧困層。私立と公立。こうした格差をだれも語らない。教育基本法を改正すればすべてうまくいくような幻想があるが、義務教育が始まったときと同じように全体の水準を上げる方策は有効とはいえない。米国や英国のように、みんなについそいけない子、飛び級するような子のクラス分けをしようとしたら、大騒ぎになって議論もできないだろう」
 「バブル崩壊から十数年が過ぎた。日本経済をどうするこうするといろ議論はもうやめた方がいい。個別の時代だ。働く人を『サラリーマン』とか『若者』とかひと固まりにとらえて言うのをやめることから始めよう」
 村上氏にとって働くことの意味は何か。
 「お金と充実感。自分も捨てたもんじゃないなと。作家の仕事によって誰かと知り合ったり、友達になったり。人との、ネツトワークができる」
(出典 日本経済新聞 2004.1.29)

目次に戻る

「私の愛読書」に戻る

トップページに戻る

総目次に戻る

[Last Updated 9/30/2004]