広がり、深まる春樹現象ほか

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11. 広がり、深まる春樹現象 中国と米国
  小説ほぼ収録、全集20巻刊行 中
  本格的な評論の出版 相次ぐ  米


 海外での作家村上春樹氏の人気が続いている。最近はロシアでの過熱ぶりが話題になったが、中国では全20巻の「村上春樹文集(全集)」が刊行され、アメリカでは昨年、評論書が2冊登場した。急激な経済変化が進む中国社会では、若者が村上作品に漂う喪失感や孤独に共鳴する一方、アメリカでは「同時代」的感性が魅力になっている。  (編集委員・由里幸子)

 「現在の中国での村上人気は、世界でも一番ではないか」。中国海洋大の林少華教授(日本文学)は、こう語る。上海訳文出版社が一昨年から刊行した「村上春樹文集」の翻訳者だ。
 「文集」は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『羊をめぐる冒険』『ねじまき鳥クロニクル』『スプートニクの恋人』など、これまでに出た小説のほとんどを収録している。全20巻は外国作家としては異例という。昨年の話題作『海辺のカフカ』も今春には追加する予定で、エッセーなども合わせ、さらに14巻の刊行も決まった。
 「89年に初めて『ノルウェイの森』を訳した。装丁をかえたり出版社が移ったりして、延べ約83万部が出ている。村上作品全体では、150万部以上になる」 林氏によれば、読者はだいたい40歳以下。身近な学生や大学院生110人余りにアンケートをとったら、好きな理由として「世界や社会生活を認識する別の視点・方法を提供」「孤独や寂寥感(せきりょうかん)への共感」が上位になった。
 「経済発展が進みゆとりができた都市の青年たちの、趣味や遊びを大事にする感性と合っている。一方で、激しい競争や仕事の重圧、複雑な人間関係など、社会のマイナス面も強くなっている。そこで傷ついた心が、自己の内面の孤独や空虚さに目をむける村上作品に共鳴しているようだ」
 一人っ子政策で、中国の20歳前後の若者は過保護で育っていることが多い。「村上作品の世界は、自由にあこがれる彼らにとってのユートピア」とも見る。
 藤井省三東京大教授(中国文学)は『ノルウェイの森』に始まる東アジアの「村上現象」は、高度経済成長による都市化と連動していると見ている。
 まず台湾で、89年に出た『ノルウェイの森』がベストセラーに。人気は今も続き、「非常村上(すっごく村上)」という流行語も生まれた。香港では別の訳が91年から出版されて人気になり、映画の小道具に使われるはど。
 中国では、林氏の訳書は98年から急上昇。上海に始まり、北京、広州にと人気が拡大した。藤井氏が「村上チルドレン」と呼ぶ若い作家たちも登場してきた。
 「『ノルウェイの森』は、高度成長以前の恋を回想している。面白いことに、どの都市でも人気が急上昇したのは成長率が落ちかけた時期。それまでの急激な成長で失われたものを振り返り、喪失の意味を納得しようとしたときに共感するのだろう。中国では個人で部屋を借りられるようになって、同棲(どうせい)にリアリティーが感じられるようになったことも大きい」

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 早くから紹介されているアメリカではどうだろうか。
 昨夏、『神の子どもたちはみな踊る』の英語版『地震のあとで』がクノッフ社から出版された。阪神大震災後の「喪失」感に対し、「9・11」以後のアメリカ人の心理を重ね、ニューヨーク・タイムズ紙などの書評は好意的だった。
 本格的な評論も出始めた。『地震のあとで』などの翻訳者で、村上氏の友人でもあるジェイ・ルービン・ハーバード大教授(日本文学研究)は、ハーピル社から『村上春樹と言葉の音楽』を出した。
 「私は、もともとは漱石が専門で、日本文学の印象は地味で灰色に近い、というものだった。しかし、初めて『世界の終りと……』を読んだときは、想像力豊かで、イメージの色鮮やかな作品に、読み終えるのがおしかったほどだった」と語る。
 その魅力を作品中のジャズなどをつないで探り、「同時代」性を打ちだしている。直接聞いたエピソードなどもちりばめた。
 ワシントン大学でルービン氏に学んだマシュー・ストレッカー東洋大助教授は、ミシガン大学日本研究センターから評論『ダンス・ウイズ・シープ』を出した。「先生のは感性的。僕は自己発見』をテーマに、論理的に作品分析した」と違いを語る。
 村上春樹事務所によれば、作品が翻訳、もしくは契約が済んでいるのは世界で31の国と地域。アジアでは韓国が早く、ついで中国語圏。タイでも近く出版される。欧米語圏では米英仏独伊、スペイン、イスラエル、北欧などで翻訳され、東欧やトルコでも準備中だ。
 高度資本主義社会の空虚さを描いた『世界文学』か、社会との対決を欠いた物語か。日本での批評は今も分かれている。外国では、中高年以上の読者には抵抗があり、文学としては「軽い」といった反発もある。村上氏は今年54歳。評価が定まるのはこれからだろう。むしろ、さまざまな海外反響に、それぞれの深層がうかがえる気がして、興味深い。
(出典 朝日新聞 2003.2.18 夕刊)

12 村上春樹の短編集、米国から"逆輸入"

 米国で1993年に刊行された村上春樹の短編築「象の消滅」の日本語版が、今月末に新潮社から刊行される。村上と親交のある米出版社クノップフの編集者が、英語に翻訳された村上の初期短編から十七点を選んだ作品集。英語圏で評価を得て、その後の村上人気につながったという。
 収録されるのは後の長編「ねじまき鳥クロニクル」につながる「ねじまき鳥と火曜日の女たち」、「僕」が妻と二人でマクドナルドを襲う「パン屋再襲撃」など。日本では出版社の異なる複数の短編集に分かれて収録されている。
 半ズボンが原因で両親が別れた話を女性から聞いているという設定の「レーダーホーゼン」に関しては、村上自身が英語版を元に新たに「翻訳」した。元の日本語版と比べると文体に変化がうかがえる。このほか、カセットテープに吹き込んだメッセージの形をとる「カンガルー通信」では、文芸誌に連載していた時に著者が描いたテープのラベルの絵を20数年ぶりに再録する。
 この短編集が編まれたのは、村上作品がニューヨーカーなどの米誌に掲載されるなど、米国での評価が固まってきた時期に当たる。 短編集のなりたちを著者自らが振り返った「まえがき」は、その辺りの事情も伝えていて興味深い。
(出典 日本経済新聞 2005.3.16 文化往来)

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13 村上春樹が語る
「意識の奧のトンネル 行き来し紡ぐ物語」
「人生は実験室だと思っています。そこでいろんな実験をしてみたい」

 この作家の登場は、現代文学のひとつの節目だった。第1作『風の歌を聴け』から26年。作家村上春樹さん(56)は、現在も「挑戦」を意識している。先月、滞在先の米国から一時帰国していたときに、最近考えていることを語ってもらった。              (編集委員・由里幸子)

 「以前は、失敗しても次があると考えていた。50歳を超えると、カウントダウンに入って、あといくつ書けるかな、と考えてくる。無駄なものは書きたくない。今あるものを出し切って、深みのあるものを書きたい。掘り下げる場所も、変わってくるのは当然でしょう」
 90年代の『ねじまき鳥クロニクル』から02年の『海辺のカフカ』、昨年の『アフターダーク』まで長い作品が続いた。短編集『神の子どもだちはみな踊る』も、地震というテーマがあるので長編に近いと説明する。
 久しぶりに短編5作をまとめて仕上げたのが、最新刊『東京奇譚集』。人生の不思議な偶然といいたくなる話ばかり。41歳のゲイの調律師、サーファーの息子をハワイでなくした母親の物語などは現実にもありそうだ。だが、最後の「品川猿」に言葉を話す猿が出てきて、いっきょに非日常に誘いこまれる。
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 「僕は縛りがある方が書きやすい。今回は、奇妙な話にしようと思った。不思議なもので、まとめて書くと調子が乗ってきて、予想しなかったものが出てくる」。最初、思いつくままに20のキーワードを挙げ、そこから三つずつ選んで話を作った。
 「人からキーワードをもらっても、できないですよ。自然に浮かんできた言葉から、話はするすると出てくる」
 一方、長編小説は「待っているのが仕事」という。
 「ストーリーや構造ではなく、イメージや細かい断片や情景がだんだんたまっていく。心の水位が上がってきて、あと数ヵ月でのど元まで来る、書くことができる、とわかる」
 無意識世界から、物語を呼び出すかのようだ。
 「才能というものは衰えていくかもしれないが、僕の手にしているのは才能とはまた別のものみたいです。あるとき、意識の奥の方にポンとトンネルを開けることができて、向こうと行き来ができるようになった。それと同時に、25年かけて文章の技法を身につけてきたという思いはあります」
 しかし、通路から、何が出て来るかまではわからない。暴力と性を描くのも、この手法とかかわるようだ。
 「僕自身は性的人間でも暴力的人間でもない。書いているときは書きにくいし、苦痛です。でもそれを書かないと、意識をこじ開けられない。物語を大きく動かして違う場所に抜けたいときには、時としてそのようなシーンを出さざるをえない」

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                                       □   □
 『神の子どもたちはみな踊る』あたりから、さまざまな世代や職業の人物を描くようになった。人称も、一人称から、三人称へと幅を広げている。
 「小説は人間が生きていないとダメだと思う。本一冊の中で、ひとりでもいいから、生き生きと動いてくれれば、それでいい。難しい感想を言われるよりも、たとえば『カフカ』のナカタさんが好きだとか、あの猿は好きだったとかいってもらえるとうれしい」
 それでも、基本的には読解はそれぞれの自由だという。
 「誤読というものはないと思う。私はこう読んだといえば、それが正しい読み方です」
 意識の通路をくぐるには、「体力、集中力、持続力」が必要だ。「ものを書くのは肉体労働」というのが持論。
 「身体だけは鍛えている。フルマラソンも年に一度は走る。でもタイムは少しずっ落ちてきているから、肉体杓には老いはやはり進行しているんでしょうね。年をとるのって初めてのことなので、対処の仕方と言われてもよくわからない(笑)」
孫が生まれた同世代もいる。村上さんは子供がいないので、年をとる実感がないという。
 「だから、気持ちが若いかというとそうでもない。年相応です。よく老人の知恵と若者の力があればいいといわれるけど、僕の場合できるだけ肉体を鍛えて、自分を少しでも強く、きちんと保っていきたい」
 「待っている」とき、翻訳する。昨年、レイモンド・カヴァー全集(全8巻)を終えた。来年は翻訳シリーズを刊行予定で、改訳や大幅な手入れをしている。来春まで、ボストン郊外で生活する。外国によく行くのは、つねに新しい地平を切り開きたい慾求が強いからだ。
 「ぼくは小説家になろうと思ってなったわけじゃなくて、たまたま小説家になった。天の恵みみたいなもんです。小説を書くのも翻訳するのも、楽しいから。いくら文章を書いても、本当に飽きないですね」

「揺れ動く世界と若者と 混沌にある現実性」

 まるでカメラのような「私たち」という視点が話題を呼んだ昨年の長編小説『アフターダーク』もそうだが、村上作品には中国が重要な意味をもつ。
 「僕にとって、日中戦争というか、東アジアにおいて日本が展開した戦争というのは、ひとつのテーマになっています。知れば知るはど、日本という国家システムの怖さのようなものが、時代を超えてそこに集約されている気がする。政治的なことはあまりいいたくないが、そこから学ぶものは多いだろうと思います」
 日本とは何か、日本人とは何か。それは、村上さんの「裏テーマ」になっている。
 「僕は、日本人であり、日本の小説家であって、日本語で書き、日本の読者がいるわけです。それは、僕にとって大事な事実です。国家システムみたいなものから自由になりたいという思いと、そこに小説家として関っていかなければならないという気持ちが同時にある」

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                                       □   □
 91年の湾岸戦争直後のアメリカで暮らしたとき、「日本は軍隊(自衛隊)があるのに、なぜ出さないのか」と日常的に問いかけられた体験が、この思いを強めたようだ。90年代後半、地下鉄サリン事件の被害者とオウム信理教信者にインタビュー、『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』をまとめ、その後も裁判に通った。
 「9・11同時多発テロのあたりから、原理主義(ファンダメンタリズム)が、世界のあらゆるところで目立つようになった。グル(尊師)に殺せと言われれば殺したオウム真理教は、原始仏教を摸した原理主義ともいえます。いちばん怖いのは、体制がこのような原理主義的な行動に対抗するために、同様の要素を取り入れていくことです。オウム裁判のことなどを書くのは、まだ先になるでしょうね」
 21世紀になって、ロシアやドイツ、最近はアメリカ、イギリスでベストセラー・リストに入って、海外での村上春樹人気は加速している気配がある。
 世界のどこでも、「よくわからないけれど、よく分かる。筋を整合的に論評はできないけれど、すごくリアルに感じられる」という反応が似ているという。アジア地域では、最初、小説のライフスタイルにひかれるところがあったようだが、最近は、一段階、違う読み方に移りつつあるようだとか。
 「仮説にすぎないが、僕の小説は社会的に一種のカオス(混沌[こんとん])状態にあるところで、比較的よく読まれるようです。ということは、日本はカオス状態という意味で先進国であり、日本人はカオスや矛盾とともに、それを自然なものとして生きてきたのではないか」
 ロシアや欧米は、80、90年代から体制、規範、宗教など社会の枠が揺らぎだした。日本では戦後社会そのものが、矛盾を抱え込んだ規範なき社会だったのではないかというのだ。
 「揺れ動いている社会においては、静止したものを打ち立てようとしても、説得力がない。ともに揺れ動いて揺れをのみこんでしまうもの、両方が揺れながら関係を変えて動くもの、その方がリアリティーを出す。それは、僕の書き方でもある」
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 日本の読者は、26年の間に世代がひとつ交代した。
 「不思議にも、読者が感じていることは変わらない。この社会の中で、どうやって少しでも自由に自分を維持して、正気を保って生きていけるか、ということです。違うのは、今はフリーターになれること」
 会社勤めや文壇的な付き合いもせず、ひとりでやってきた。その体験から、「フリーター文化というかニート文化というか、怠惰かもしれないが、成熟した文化が育つ土壌になるのではないか」と見ている。

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インタビューを終えて
『海外読者に人気 「方向性」に自身』
「欧米の読者の反応を見ると、物語の揺れ動き方の共振性が新鮮だったようだ」

 97年、『アンダーグラウンド』発表後にインタビューしたとき、村上さんは、古い規範が崩れた時代に新しい規範を明示するのではないが、正しい方向を読者が模索できるような物語の役割について語っていた。今回、その方向と役割が海外の若い読者にも受けいれられている自信が、感じられた。
 早寝早起きして、1日10`は走る生活は、意識の奥のトンネルをくぐるために、言葉以前の、身体に支えられた力を維持しようとしているのではないか。
 『神の子どもたちはみな踊る』に出てくる、地下の闇で戦って、地震をふせいだかえるくん。同じように、カオス化する社会で、無意識のなかで悪や死への誘惑がうごめき、若者が不安で波立つのを鎮める役割を、自分に感じているのかもしれない。「正気で、自分を自由に保とう」と励ましながら。          (編集委員・由里幸子)
(出典 朝日新聞 2005.10.3、4 夕刊)

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[Last Updated 10/31/2005]