「神の子どもたちはみな踊る」

        目 次

1. はじめに
2. 本の目次
3. 解 題

4. 読後感


村上春樹[著]
株式会社講談社
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1. はじめに
 1〜2年前に「アンダーグラウンド」「拘束された場所で」そして「神の子どもたちはみな踊る」を読みました。
 その結果、これらの作品が作者の作風にどう影響するのだろうかと考えていました。
 2002年の秋に発表された「海辺のカフカ」を読んで、この新作に色濃く反映されていると感じました。そこで改めて「神の子どもたちはみな踊る」を読み、別に解題を読むことによって作者の考えが分かったような気がしました。そこでこのページを作ることにしました。

2. 本の目次
 UFOが釧路に降りる 9
 アイロンのある風景 39
 神の子どもたちはみな踊る 67
 タイランド 97
 かえるくん、東京を救う 127
 蜂蜜パイ 159

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3. 解 題
『神の子どもたちはみな踊る』

 短編連作集『神の子どもたちはみな踊る』は2000年2月に刊行された。書かれたのは前年の夏で、雑誌「新潮」の8月号から12月号にかけて毎月連載された。僕は連載という形式がどうも苦手なので、一度にまとめて書いてしまって、それを順次掲載するというかたちをとった。どうして書き下ろしにしなかったかというと、短編小説というのはやはり雑誌にいったん掲載するのが筋だろうと考えたからだ。そうしないことには、気持ちとしてどうも収まりがつかない。ただ最後の『蜂蜜パイ』だけは雑誌には掲載されず、単行本のために書き下ろされた。
 7月頃から書き始め、出版社の離れ家に何度かまとめて泊まり込んで、二ヵ月ほどかけて『UFOが釧路に降りる』『アイロンのある風景』『神の子どもたちはみな踊る』『タイランド』『かえるくん、東京を救う』の五編を書きあげた。比較的短期間だが、かなり集中して書いたと思う。書き上げたときにはへとへとになっていた。
 これらの六編の短編小説においては1995年2月に起こった出来事が描かれている。ご存じのように、1995年1月に神戸の大地震があり、同じ年の3月には地下鉄サリン事件が起こった。つまり1995年2月というのはそのふたつの大事件にはさみこまれた月なのだ。不安定な、そして不吉な月だ。僕はその時期に人々がどこで何を考え、どんなことをしていたのか、そういう物語を書きたかった。地震の様々な余波を受け、来るべきサリンガス事件の(無意識的)予感の重みを抱えて生きる人々の姿。どれも神戸の地震に関連した話だが、舞台はすべて神戸とは無関係なところに設定されている。釧路市郊外、茨城県の鹿島灘、東京都と千葉県の境あたり、タイの山の中、新宿一丁目。
 僕は1995年の初めに起こったこのふたつの大事件は、戦後日本の歴史の流れを変える(あるいはその転換を強く表明する)出来事であったと考えている。その二つの出来事が示しているのは、我々の生きている世界がもはや確固としたものでもなく、安全なものでもないという事実である。我々はおおむね、自分たちの踏んでいる大地が揺らぎのないものだと信じている。あるいはいちいち信じるまでもなく「自明の理」として受け入れている。しかし突然それは我々の足下で「液状化」してしまう。我々は日本の社会が他の国に比べて遥かに安全であると信じてきた。銃規制も厳しいし、凶悪犯罪の発生率も低い。しかしある日出し抜けに、東京の心臓部で、地下鉄の車両内で、毒ガスによる大量殺戮が実行される。目に見えない致死的な凶器が通勤する人々を無差別に襲う。

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 前者は言うまでもなく回避しようのない自然現象であるし、後者は人為的な犯罪行為である。原理的に言えば、そのふたつのあいだには大きな違いがある。しかしその両者は決して無縁のものではない。オウム真理教のグルである麻原彰晃は阪神大震災にインスパイアされて、今がまさに日本という国家の基盤を揺るがせるための、あるいはうまくいけばそれを転覆させるための、好機であると信じて(あるいはそういう妄想に駆られて)、地下鉄のサリンガス攻撃を企図した。そのふたつは間違いなく因果関係を有する出来事なのだ。
 もうひとつ、それらの出来事は、言うなれば地下から、我々の足下深くから、やってきたものだ。地震は地下のマグマの活動によって、またそれがもたらす地層のずれによって起こる。すべては我々の知らないあいだに、地下の暗い場所で時間をかけてひっそりと予定され、決定されていく。そしてオウム真理教は人々の意識のアンダーグラウンド(下部)を把握し、組織化することによって勢力を伸ばしてきた。麻原は言うなれば、我々の住む社会の下に、妄想によって生み出された地下の帝国のようなものを築いてきたのだ。そして教団が襲撃の場として選んだのは、まさに地下鉄の車両だった。そのような執拗なまでの「地下性」は、僕にはただの偶然の一致とは思えなかった。それらは我々の社会が内包していた時限爆弾であり、それらはほとんど同じ時刻に設定されていたのだ。
 僕は『アンダーグラウンド』と『拘束された場所で』で、地下鉄サリンガス事件及びオウム教団を扱ったあと、どうしても阪神大震災についての本を書いてみたくなった。どちらかひとつだけでは片手落ちだという気がしたからだ。それら二つをあわせることによって、戦後日本の五十年の歴史に、ひとつのはっきりとした終止符が打たれることになるのだ。それはあくまで二つで一組の、巨大な不吉な里程標なのだ。しかし僕は神戸の地震についてのノンフィクションを書きたいという気持ちには、どうしてもなれなかった。そこは僕が少年時代を送った思い出の深い場所であるし、たくさんの知り合いもいる。そこに行って本を書くために事実を集めて回るというのは、僕にとってはいささか気の重いことだし、あまりにも生々しいことだった。それに僕としては、オウム事件とはまったくべつの切り口でこの出来事を取り上げ、語ってみたいという気持ちもあった。
 それで今回はフィクションの形式を使おうと決めた。それも短編小説の連作がいい。そして地震という題材を直接には取り扱わないことにしよう。物語の場所も神戸から遠く離れたところに設定しょう。その地震がもたらしたものを、できるだけ象徴的なかたちで描くことにしよう。つまりその出来事の本質を、様々な「べつのもの」に託して語るのだ。僕はそう決心した。

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 いったんテーマと方針が決まってしまうと、あとは比較的簡単だった。一人きりになって、集中して話をひとつひとつ書いていくだけだ。
 それぞれの作品は、筋書きや枠組みを前もって決めることなく、冒頭のシチュエーションだけを設定して、あとは自由に書いていった。たとえば『かえるくん、東京を救う』では、「銀行員の片桐さんがアパートの部屋に帰ってきたら、そこに言葉をしゃべる巨大な蛙がいた」ということだけを決める。そこから話を進める。あとはすベて成り行きである。その蛙がどこでどうやって地震と結びついていくのか、彼が片桐さんに何を求めているのか、それは僕にはわからない。でも書いているうちに、だんだんそれがわかってくる。
 ほかの作品もおおむねそういう書き方をした。象徴性のようなものを大事にしたいときには、僕はだいたいいつもこういう書き方をする。前もって何か決めてしまったら、象徴性の自由さが損なわれてしまうからだ。それは、書くという行為の中から、ごく自然に自発的にわき出してくるものでなくてはならない。
 もうひとつ特徴的なのは、これらの短編のすべてが三人称を使って書かれていることだ。これまで僕が書いてきた作品の多くは一人称で書かれてきたわけだが(たとえば短編集『レキシントンの幽霊』では7作品中6作品までが、多かれ少なかれ一人称で書かれている)、ここでは作品の成り立ちからして、どうしても全部三人称で通さなくてはならなかった。これは僕にとって良い経験だったと思う。視点を大きく散らしていくことによって、これまでにない新しい書き方ができたし、新しい作風のようなものがそこに生まれたと思うからだ。とくに『タイランド』や『かえるくん、東京を救う』のようなタイプの物語は、三人称でなくては書けなかったものだ。
 こういう書き方をしたことには、やはり『アンダーグラウンド』を執筆した影響があったように思う。僕はそこで様々な物語の採集をし、人々のボイスをそのまま文章にする作業を一年間にわたって辛抱強く行ってきた。そのボイスは実に多様なものであり、ひとつひとつが取り替えのきかない固有のものであり、世界はそれらの無数のボイスの集積によって成り立っていた。そしてその世界を一人称だけでしめくくることは、現実的にもうほとんど不可能になっていた。そしてその三人称という語り口は、僕の短編小説のスタイルを多かれ少なかれ変えていったという気がする。

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 本の最後に収められている『蜂蜜パイ』は、やはり三人称では書かれているものの、僕のこれまでの小説世界にもっとも近いスタイルの物語になっていると言えるだろう。長さもほかのものに比べると長くなっている。僕は五編の新しい種類の、クリスプで象徴的な物語をまとめて書いたあとで、それらとはちょっと距離を置いて、最後にこのような「静かな」話を書いてみたくなった。僕自身はこの話を楽しんで書いたのだが、読者の意見はだいたいふたつに分かれたように思う。この作品が僕らしくていちばん好きだという読者も多いが、それと同時に、これまでの作品スタイルを踏襲していて、この短編連作の新しい雰囲気には馴染まないと批判する読者もいる。どちらが正しいかということよりは、たぶんそのような「論議」を広く喚起することが、この作品の持つ意味なのではないかと僕自身は考えている。
 この物語は淳平という小説家(内省的で、ジェントルで、いくぶん引っ込み思案なところがある)が、愛する女性の小さな娘のために即席の童話を作って聞かせるという構成になっている。でも彼にはそのお話の正しい終わり方をうまくみつけることができない。それはある意味では彼の生き方そのものを暗示している。しかし、遠く離れた故郷の街で大きな地震があり、それは彼の人生にも震動を与える。彼はその街から遠く離れたいと思っている。そことは無縁に生きたいと思っている。でもその街は今でも彼の中にある。だからその震動は彼のところにまで伝わってくる。そして話の最後で淳平は童話の結末をようやく見つけだし、世界とのある種の和解に達し、その結果彼は人間として、また作家として、そこにある責務を進んで引き受けていこうと静かに決心をする。この部分は、『神の子どもたちはみな踊る』という作品集においてはかなり大事な意味を持っている。それが結論というわけではもちろんないけれど(僕は小説というものはひとつの疑問をべつのかたちの疑問に有効に移し替える作業であると基本的には考えている)、それでも大事な意味は持っていると思う。読者の中には淳平の姿に僕を重ねる人もいたが、それは違う。たしかにいくつかの共通する背景はあるものの、僕は淳平とはまったく違ったタイプの作家だし、違ったタイプの人間である。僕がここで書きたかったのは、僕自身の姿ではなく、むしろ「我々」の姿なのだ。
 バブル経済が破綻し、巨大な地震が街を破壊し、宗教団体が無意味で残忍な大量殺教を行い、一時は輝かしかった戦後神話が音を立てて次々に崩壊していくように見える中で、どこかにあるはずの新しい価値を求めて静かに立ち上がらなくてはならない、我々自身の姿なのだ。我々は自分たちの物語を語り続けなくてはならないし、そこには我々を温め励ます「モラル」のようなものがなくてはならないのだ。それが僕の描きたかったことだった。もちろんそれはメッセージではない。それは小説を書く上でのおおまかな心持ちのようなものだ。もし僕が『アンダーグラウンド』という仕事をしなかったら、僕はおそらくそのような心持ちを強く抱くこともなかったかもしれない。そういう意味では、『アンダーグラウンド』の仕事は僕にとってのひとつの里程標のようなものになったし、『神の子どもたちはみな踊る』はその里程標を越えたあとの新しい一歩だったということもできる。

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『タイランド』に出てくる北極熊の話は、ノルウェイに行ったときに、ノルウェイのある作家から聞いた話だ。僕はその話が気に入って、どこかに使いたいとずっと考えていた。そういう小さなものごとが集まっていつしか物語を作っていくことになる。甲状腺の専門医を主人公にしたのは、たまたま甲状腺の専門医と知り合い、話をする機会があったからだ。「世界甲状腺会議」なんてものが本当にあるのかと疑う方がおられるかもしれないが、これは実在する。書いたあとでその人に会議のところを読んでもらったのだが、「うん、だいたいこういう感じですよ」ということであった。タイに行ったことは一度もない。
『神の子どもたちはみな踊る』に収録された短編小説のすべてはジェイ・ルービンの手によって翻訳され、アメリカのいろんな雑誌に掲載された。単行本のかたちでは、『after the quake』というタイトルでKnopf社より2002年7月に刊行された。世界貿易センタービル事件のあとだっただけに、「カタストロフのあとに来るもの」という文脈で、アメリカの読者からの反応は驚くほど真剣なものだった。以下はアメリカにおける掲載雑誌のリストである。

『UFOが釧路に降りる』 「ニューヨーカー」 '01/3/19
『アイロンのある風景』 「プラフシェアズ」 '02秋号
『神の子どもたちはみな踊る』 「ハーパーズ・マガジン」 '01/10
『タイランド』 「グランタ」 '01夏号
『かえるくん、東京を救う』 「GQ」 '02/6
『蜂蜜パイ』 「ニューヨーカー」 '01/8/20・27
(出典 村上春樹全作品1990〜2000B 短篇集U[株式会社講談社])

4. 読後感
 「アンダーグラウンド」「拘束された場所で」はオーム真理教を真正面から捉えたルポとして力作ですが、もう一つの関西大震災を採り上げた「神の子どもたちはみな踊る」も捉え方が素晴らしいと思います。
 特に「蜂蜜パイ」は「海辺のカフカ」の結末に繋がる作品として、興味深く読みました。

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[Last Updated 9/30/2003]