「キャッチャー・イン・ザ・ライ」

    目 次

1. まえおき

2. 書 評

3. 解 説

4. 原文の一部

5. 読後感


J・D・サリンジャー[著] 
村上春樹[訳]
白水社
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1. まえおき
 村上春樹さんによる新訳が出たときから、読みたいと思っていた本書を、やっと読了しました。15年位前に「ライ麦畑でつかまえて」を野崎孝訳で読んだときも感激しましたが、村上さんの訳が出たので読みなおすことができました。
 二人の訳の違いについては、次項の中条省平さんの書評を読んでいただくのが良いと思います。
 今回の翻訳には「本書には訳者の解説が加えられる予定でしたが、原著者の要請により、また契約の条項に基づき、それが不可能になりました。残念ですが、ご理解いただければ幸甚です。 訳者」との断りがあり、解説が載っていないのですが、未読の方の便宜も考え、野崎訳に載っていた解説を載せました。

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2. 書 評 「新訳が掘り起こす豊かで深い鉱脈」    [評者] 中条省平(学習院大数授)
 怪物的な書物の新訳である。1964年に出た野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』はすでに二百五十万部を突破した。原書、翻訳をあわせると、全世界では六千万部にのぼるという。いったいどこにそんな魅力があるのだろう?
 物語は単純だ。主人公のホールデンは高校生。成績不振で、クリスマス休暇をもって退学を命じられている。その休暇前の、土曜の午後から月曜の昼までのできごとが、「僕」という一人称のくだけたおしゃべりで饒舌(じょうぜつ)に語られる。
 「僕」は級友と大げんかをして学校を飛びだし、夜の列車でニューヨークヘ行く。怪しい界隈(かいわい)のホテルに泊まり、エレベーター係に売春婦を押しつけられ、金を巻きあげられる。翌日曜は、感じのいい尼さんに出会ったり、女の子とデートして散々な目にあったり、バーで泥酔したりしたあげく、恩師(男性)の家で将来への立派な助言を受けるが、夜、目覚めると先生が自分の頭を愛撫(あいぶ)していて、あわてて逃げ出す。
 月曜は、大好きな妹のフィービーと動物園に行く。「僕」は、時々すごく「やるせない気持ちになって」 「このまますっと死んでしまいたいと思った」りすることもあるのだが、回転木馬に乗って回る妹を見ているうちに、「やみくもに幸福な気持ちになって」 「大声をあげて泣き出し」そうになってしまう。そんな話だ。
 三十年前に野崎訳で読んだとき、ホールデンは、下町のべらんめえ口調でまくしたてるやんちゃ坊主といった感じだったが、村上訳では、山の手言葉でああでもないこうでもないと愚痴る引っこみ思案の少年という印象である。
 「奴(やっこ)さんは、いつものでんで、ひどくゆっくりと部屋の中を歩きだした。(中略)奴は、いつだって、ひとの物をつまみ上げちゃいちいち見やがるんだ。いやあ、イライラさせられるぜ、ときどき」 (野崎訳)
 「彼は部屋の中をうろうろと歩きまわり始めた。(中略)こいつはいつだってひとの持ちものを手に取って、それをじろじろと眺めるんだ。やれやれ、年中そういうことをされたらやっぱりときには気に障るよね」 (村上訳)
 野崎訳の必殺技「奴さん」対ハルキ節の殺し文句「やれやれ」! いやあうまいもんです。
 さて、新訳で読み直すと、主人公のアブナさが浮き彫りになる。これは鋭敏すぎる感受性をもつ人間が狂気の淵(ふち)に降りる直前までの記録なのだ。だから、主人公は病院らしき場所でこの話をしているのである。村上春樹の神経質な文体は、この小説の新たな読み方にうってつけだ。
 さらに、ホールデンの弟の夭折(ようせつ)や、友人の飛び降り自殺の挿話にあるように、この小説が死についての省察であること、また、節金いりの反軍・反戦思想の書であることなども見えてくる。少年のおしゃべりの単純な外見の下に、豊かで、深く、恐ろしい鉱脈が隠されている。
 村上春樹訳、白水社・353n・1600円/J.D.Salinger 19年生まれ。米国の作家。著書に『フラニーとゾーイー』など。
(出典 朝日新聞 2003.5.11)

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3.解 説
 もう二年以上も前になるが、アメリカの月刊誌『エスクァイア』(1981年12月号)に、"Catcher Comes of Age"と題する記事が載ったことがある。とりたてて言うほどの斬新な内容ではなかったが、その中で「長年にわたって、若い反逆者たちに、その人生を左右するような影響を与えてきたこの作品も、今や30歳という成熟の年齢に達した」という指摘に接したとき僕は、なるほど、The Catcher in the Ryeも出版以来もう30年か、といった感慨を覚えざるを得なかった。あれが出たのは1951年、朝鮮戦争のさなかであった。
 最初サリンジャーが持ち込んだ出版社からは、主人公が「クレージー」だと評されて突き返されたこの小説が、ボストンのリトル・ブラウン社の手で出版されたとたんに評判になり、にぎやかな毀誉褒貶の渦の中でみるみるうちに売れ行きをのばし、たちまちにして出版社の予測をはるかに上廻る出版部数を記録したことは既によく知られているところであろう。その後も作者は、それまでに発表した29篇の短篇小説の中から9篇を選んで一本にまとめた『ナイン・ストーリーズ』(1953)を上梓し、引き続き週刊誌『ニューヨーカー』に短篇小説「フラニー」(1955)、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」(1955)、「ゾーイー」(1957)、「シーモア−序章−」(1959)を発表したばかりか、1961年には前記の「フラニー」と「ゾーイー」とを合わせて一本をつくり、63年にはその余の二篇をいっしょにした形の単行本を刊行してもいるからして、その頃のサリンジャーは、アメリカの読書人たちの意識に、しょつちゅうその存在を印象付けていたわけで、しかも、「フラニー」を初め、グラース家の七人兄弟姉妹(きょうだい)の誰彼を主人公にした上記四つの作品は、いずれも技巧の限りをつくした、きわめて異色ある繊巧な達成ばかりである上に、それぞれが独立した短篇小説としての完結性を持つと同時に、互いに他を補足し合いながら全体として一つの大きな長篇小説の世界を構成するという結構をも備えていたものだからして、それらは「グラース・サーガ」と通称されたりしながらますます話題を呼び、賛否両論の批評とともに一般読者の関心をいやが上にも煽り立てて、サリンジャーは一時、アメリカ文学界の人気作家となった観があったことも、これまた周知のところであろうと思う。
 しかしながら、それぞれの作品の魅力にとらえられた読者たちの胸中には、作者とその作品に寄せる異常なまでの愛情と期待とが湛えられているというのに、以後サリンジャーのペンからは、長い間にわたって新しい作品は生まれなかった。1965年になってようやく、六年ぶりの新作短篇「1924年ハプワス16日」が『ニューヨーカー』に掲載されたとはいうものの、それから後は再び沈黙、何の音沙汰もないままに、はや20年に近くもの長い長い歳月が流れているのである。いや、作品だけではない。作者そのものの動静すらも皆目見当がつかなくなった。
 1919年2月1日、ハムの輸入を業としていたユダヤ人の父と、スコッチ・アイリッシュの母との間にニューヨーク市で生まれたサリンジャーは、この大都会の喧騒と雑沓の中で人目にさらされることなくその人間形成期を過ごしたのであったが、『キャッチャー』の出版を契機に突如として襲来し始めた好奇と穿鑿の目の執拗さに堪えかねて、1953年、いわば世の「響きと怒り」から逃れるように、その居をはるか北方ニュー・ハンプシャー州の小邑コーニッシュに移したが、それからは、屋敷の周囲に高い柵を廻らして人目を避け、隠遁者にも似た生活を送っているという風評が伝ってくるのがせいぜいで、作者そのものが世人の眼前からほぼ完全に姿を消してしまった感じなのである。

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 もっとも、1974年には、『ナイン・ストーリーズ』に彼があえて収録しなかった残余の短篇小説を、作者に無断で出版したサンフランシスコの学生グループに、サリンジャーが電話で抗議してきたという『ニューヨーク・タイムズ』の記事を読んだことはある。1980年には、マイケル・クラークソンというカナダのあるニュース雑誌の記者が前年に書いたサリンジャー探訪の小文を読む機会に恵まれた上に、おそらくはその記者がそのとき隠し撮りしたものと思われる二葉のサリンジャーのスナップ写真を見ることもできた。それから例のジョン・レノンを射ったチャプマンという男、その男の上着のポケットにThe Catcher in the Ryeのペーパーバックが入っていたという新聞記事を読んだ記憶もあることはある。いずれも、サリンジャーに対する関心が今なお熾烈であることを窺わせるものかもしれないが、なにせ、それが僕の手にしている情報のすべてであるばかりか、アメリカの敏腕な探訪記者でさえも、それ以上のことは知らないありさまなのだ。
 もともと正体を人前にさらすことを極端に嫌うサリンジャーではあったけれども、これほど徹底して、これほど長くその消息すらが世間の耳目から隠され続けているならば、移り気な世間の関心はいつしか冷えて、さすがのサリンジャーももはや忘れ去られるのではあるまいかと、僕は秘かに懸念していたのである。
 ところが先の『エスクァイア』の記事は、この長篇小説が今なお出版当初と同じ売れ行きを続けていることをも伝えていた。30年といえば一世代だが、その記事の筆者も言うように、この作品は世代から世代へと読みつがれ語りつがれながら、読者各自の胸に生き続けてゆくだけの生命を持っているのであろう。もはや近代古典の仲間入りを果したと見てもよいのではあるまいか。独りアメリカだけではない。イギリスはいうまでもなく、フィンランド、ドイツ、フランス、イタリー、ポーランド、イスラエル、チェコ、それにソヴェートでも翻訳出版されて著しい反響を呼んだそうだ。ということは、この作品が、国境を越えて、現代の文明世界の広大な地域にわたるさまざまな人たちに訴える魅力を備えている証拠であり、ここに描かれている主人公の姿には、人種や社会制度や歴史の相違を越えて、現代人一般の共感を呼ぶ普遍的なものが造形されているということである。
 作品の基本的性格を単純化して言えば、子供の夢と大人の現実との衝突ともいえるだろう。いつの世にも、どこの世界にもある不可避的現象だ。純潔を愛する子供の感覚と、社会生活を営むために案出された大人の工夫との対立。子供にとって、夢を阻み、これを圧殺する力が強けれは強いほど、それを粉砕しょうとする反撥力は激化してゆくだろう。主人公ホールデンの言葉や行動が誇張にみちて偽悪的なまでにどぎついのは、大人が善とし美としている因襲道徳や、いわゆる公序良俗なるものの偽瞞性を何とかしてあばこうとする彼の激情の所産である。仮面が身についた大人の常識からすれば、たしかに正気の沙汰とは思えぬ所業であり、ひんしゅくすべき野卑な言葉をまきちらす要注意人物かもしれない。そういう観点からこの作品を禁書目録にのせた学校も地方当局もあったし、逆にまた、心理学その他の教材に使用している教師も少なくないと聞く。しかし、「幸運を祈るよ」と歴史のスペンサー先生に言われて、反射的に嫌悪を感じ、自分ならばそんなことは絶対に言わないだろうと思うホールデンの感覚は、たとえば、葉書などに「ご多幸を祈る」と書くことに抵抗を感じたことのある日本人ならば、容易に理解することができるはずだ。祈りもしないのに祈ると言い、祈る対象すら持たぬ人間が祈ると書く−その無神経、そのインチキさ。更には「幸運とは何か」、相手の「幸運を祈る」とは具体的にどういうことか、それを考えもしないで安易に口にする無責任さ。これがもし、相手を罵倒するなり、揶揄するなり、相手にマイナスを与えるような、従って自分もそのため不利になるような場合なら、あるいは許容されるかもしれない。しかし、相手にプラスを与える性質の言葉を、自分の真意以上の効果を孕ませて口にするのはいやらしい。ホールデンの反撥の基本的なものはここにある。だから、この感覚、この反撥が理解できれは、この小説は一挙にわかるはずだ。

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 ところが、ホールデンの住む世界には、そうした彼の思考と感情に共感する人間はいなかった。そこで彼は、「孤独だ」「気が滅入った」と繰り返しながらも、心のつながりを求めて遍歴を続けるわけである。何度も何度も電話をかけようとしたり、折りあるごとに「ことづて」を伝えてもらおうとするのは、彼のこの気持を示す象徴的な動作だが、その遍歴の過程において、彼の接触する大人の世界の実体が、彼という触媒の作用によって、ふだんは見せない意外な姿であらわれても来る。
 その際作者はホールデンを、あの王様の裸を暴露した子供のような、単なる(イノセンス)の化身としては設定していない。もちろん子供の夢に全身をひたしている少年ではある。だから、たとえば、自分の金で買った金魚だからと誰にも見せない子供の話などを読むと、「これには参ったね」と文句なく降参してしまうし、妹のフィービーはもちろん、博物館で会う子供でも、スケート靴をはいている少女でも、教会帰りの少年でも、およそ子供には全身的共感を彼は示す。しかし、同時に彼は、大人の心事を見てとるだけの精神的成長をすでにとげている面をもあわせ持っている。サーマー校長でも、オッセンバーガーでも、前に兄のガール・フレンドだったリリアン・シモンズでも、すべてその心の動きを彼によって正確に見抜かれている。「幸運を祈る」といわれることに嫌悪を催した彼が、生きて行くためには「お目にかかれてうれしい」と、うれしくもなんともないときでも、言わなければならないのだとあきらめている姿は、彼が大人の世界に入りかけていることをたくみに示す叙述である。図式化して言い直せば、彼は子供の世界にありながら、大人の世界に片足突っこんだ不安定な姿勢で立っているともいえるし、彼という一個の人間の中に、子供の夢と大人の現実とが混在しているともいえるだろう。16歳の彼の頭の半分が白髪で一杯だというのは、彼の精神状態を象徴的に示している。
 そういう彼だから、背のびの意味でも、好んで大人の世界に入りたがる。しかし、大人の正体はある程度見抜けても、大人たちが巧妙に、あるいは狡猾に案出した現実処理の方法は十分に会得していない。だから、大人ならばコンヴェンションに従って上手にすりぬけてゆくところを、彼は自分独自の方法で対処するか、方法も見つからぬままに体ごとぶつかるしかない。その結果、大人でも子供でもがあかすことのできない現実の意外な姿があきらかになってゆくわけだ。「見なれた場面を、常とは変わった、興味をひく視点から写し出すこと」がピカレスク小説の一つの持徴であってみれば、これは現代の一種のピカレスク小説ということもできるだろう。個性ゆたかな主人公が自分の体験を自分の口から語って聞かせるという趣向をも含めて、アメリカでは遠くマーク・トウェーンの『ハックルベリー・フィンの冒険』に先蹤を見るし、日本ではさしずめ漱石の『坊っちゃん』あたりに最も卑近な同類を見ることができる。
 その際、ホールデン少年が最も敏感に嗅ぎわけて、最も烈しい嫌悪と侮蔑を示すのは、彼のいわゆる「インチキ」なもの、「いやらしいもの」であることは前にのべたが、既成の価値観にしばられず、かといってみずからの価値観も確立されていない彼にとって、これが法律上の罪や倫理的な悪などであろうはずはなく、単なる嘘やごまかしでさえなくて、精神の下劣さ低俗さ、根性のきたなさ、そこから来る糊塗、欺瞞、追従といった性質のものである。その不潔さを、思弁的に決定するのではなくて感覚的に感じとり、反射的に反撥するのだから、ことは明快で迅速で、まことにすがすがしい風が全篇を吹きぬけることになる。しかも歯切れのよいきわめて個性的な文体のリズムが、主人公の一方的な自己主張や言動の矛盾などを孕みながら、いやが上にも作品の魅力を増大せしめていることもつけ加えなくてはなるまい。
 この文体−ホールデンが自分の体験を語ってきかせる、その言葉つき−これは、50年代アメリカのティーン・エージャーの口調を実に的確に捕えていると推賞され、遠い将来には、この時代の口語を探る絶好の資料としても読まれるであろうと評されているものだけに、これを日本語に訳すことは至難であり、それを承知しながらあえてこの難事に挑戦した私の暴挙が、果たしてどこまで原文の感じを移すことに成功しているか、それは大方の判断にまつほかない。

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 最後に一言、使用したテキストにふれておこう。
 テキストにはこの作品を初めて出版したアメリカのLittle, Brown and Companyの本を使用した。わざわざこれをことわるわけは、この小説には他にイギリスの版があって、それとこの初版本との間には、かなりの相違があるからである。この相違の生まれたゆえんに疑問を持った僕は、直接作者に問い合わせたのだが、エージェントからの返事によると、イギリス版の改変は先方が勝手にやったことで作者の関知しないところだから、翻訳はアメリカ版によるべきであるということであった。相違の実体を考えると、「先方が勝手にやった」だけでは腑に落ちないふしもあるのだけれど、それを解明する手だてを持たない僕としては、エージェントから上のように言われた以上、全面的にアメリカ版に従うより他に途はなかったわけである。
1984年4月   訳 者

 本書は最初、《新しい世界の文学》シリーズの一冊として刊行された。その後、《Uブックス》の一冊に加えられたのを機会に、かねて気になっていた訳文の不備を及ぶ限り補正したつもりであることを附言する。今回の新装版はそれによっている。

ライ麦畑でつかまえて(新装版)
      1985年9月20日 第一刷発行
      1987年3月25日 第六刷発行

訳 者  野崎 孝(のざき たかし)
発行者  高橋 孝
印刷者  田中 昭三
発行所 株式会社 白水社

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4. 原文の一部
 書評で中条さんが野崎 孝さんの訳と今回の村上春樹さんの訳との比較を行っています。その部分の原文を、参考のために載せました。
He started walking around the room, very slow and all, the way he always did, picking up your personal stuff off your desk and chiffonier. He always picked up your personal stuff and looked at it. Boy, could he get on your nerves sometimes.
(出典 The Catcher in the Rye by J.D.Salinger <Kodansha English Libraly> 1991.5.15 株式会社 講談社)

5. 読後感
 こうして原文と二人の訳を比べてみると、翻訳とはいえ訳者の考えによって文体が大きく異なっており、別の本のような気がします。原作者がいなければ翻訳した本は生まれないので創作とは言えないかも知れませんが、それに近いものになっていると思います。
 前に村上春樹さんと柴田元幸さんとの共著「翻訳夜話」(文春新書)を読んで、一度村上さんの翻訳をゆっくりと読んでみたいと思っていたので、良い機会でした。

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[Last Updated 2/29/2004]