現代京劇
「駱駝祥子 らくだのシアンズ」
(老舎の同名小説に基づいて脚色、京劇化した作品)

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    目 次

1. ものがたり
2. キャストとスタッフ
3. 駱駝祥子の誕生と文豪老舎の死
4. 感 想

1. ものがたり(出典 感想を除き、すべて上演当日のプログラム)
 舞台は1920年代、軍閥の割拠する時代の北平(ぺいぴん: 現在の北京)。
 祥子(シアンズ)は、勤勉で寡黙な若い人力車夫である。どん底の暮らしを3年耐えてやっと自分の車を手に入れ、今喜びに輝いている。車夫仲間の娘・福子(フーズ)を乗せて車を引く姿は、希望に満ちていた。
 ところが城外に客を送る途中、兵隊の騒ぎに巻き込まれ、新しい車もろとも捉えられてしまう。駱駝三頭を連れて命からがら城内に逃げ帰って来た祥子は、それから「らくだ」とあだ名されるようになった。
 車を失った祥子は、再び劉四爺(リウスーイエ)の経営する車屋「人和車廠」に雇われる。店を切り盛りする劉の娘・虎姐(フーニウ)は、以前から祥子に惚れていた。苦境にある祥子を、虎姐は今がチャンスと誘惑し、関係を結ぶ。一方福子は貧しさのあまり軍人の妾に売られてしまう。
 祥子は曹(ツァオ)家のお抱え車夫となり、自分を平等に遇してくれる曹先生のもとで一時の平安を得て、お金を貯め出直そうとしていた。そこへ大事な用があるという虎姐が訪ねてくる。子どもができた−。劉四爺の誕生祝いに来て機嫌を取り縁談話を進めよう、とまくしたてて帰って行く。年増女に運命を握られた身の不運を嘆くところに孫探偵がやって来る。危険思想の持ち主という嫌疑をかけられた曹先生を捕まえに来たのだが、すでにもぬけの殻と知って、祥子を脅し、有り金すべて奪い去る。貯金壷とともに祥子の心も砕け散った。

 年の暮れ。祥子は無一文となって再び「人和車廠」に姿を現す。おりしも劉四爺の喜寿の祝いが賑やかに催されている。家のことを手伝うように命じられた祥子をからかう車夫仲間との諍いから劉父娘の喧嘩に発展し、激しい口論の末、最初の目論見とは全く違って、虎姐は勘当同然で祥子と所帯を持つことになった。
 軍人に暇を出された福子が、父の車を売りたいと祥子と虎姐の新婚の家にやって来る。虎姐は二人の仲を嫉妬して嫌がらせを言い、福子を追い返す。車が引きたい!−絞り出す祥子。祥子の頑固さを知る虎姐は、流しで引いて毎日必ず家に帰ってくるならと、福子の車を買うことを許す。そして、前は嘘だったが今度は本当に子どもができたと告げ、息子と三人で仲良く暮らそうと言う。その言葉に、祥子はかつて感じたことのない、暖かな感情が沸き起こるのだった。
 しかし、虎姐は難産で産婆に見放され、病院に行くお金も用立てられないまま、母子ともに死んでしまった。冷え切った心を抱えた祥子は福子にも別れを告げる。

 それから二年。酒や博打にすっかり身を持ち崩した祥子がポロ車を引いていた。再会を夢見た福子が女郎屋に売られた果てに首を吊ったことを知り、祥子は魂も抜け、降りしきる雪の闇に消えて行く。

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2. キャストとスタッフ
[キャスト]
祥 子(シアンズ)…………陳森蒼
虎 姐(フーニウ)…………黄孝慈
      (ダブルキャスト) 襲蘇萍
福 子(フーズ)……………周麗霞
劉四爺(リウスーイエ)……博関松
曹先生(ツァオ)………… 王新農
孫隊長(スン) ……………韓俊奎
(後に孫探偵)
馬じいさん(マァ)…………夏春鎰
二 強(アルチアン)………蒋遂平
高おばさん(カオ)…………石業群
敬 子(ドゥンズ)………… 宋維良
喜 子(シーズ)……………江鵬雲
桂 子(ジューズ)…………翻志翔
馬じいさんの孫…………  高 飛
人力車夫達/兵隊ごろ達
誕生祝いの人々/野辺送りの人々
 …………………………江蘇省京劇院団員
語り物芸人………………董 源

[スタッフ]
制作……………… 高舜英
             陳霖蒼
             方錦森
             呉世輝
芸術顧問 …………舒 乙
脚 色………………錘文農
演 出………………石玉昆
作 曲………………遁 潤
美 術………………黄海威
             姜浩楊
照 明………………耶 辛
衣 裳………………戴修玲
メイク……………… 徐霞英

◆日本側スタッフ
制  作  津田忠彦/(財)日本青少年文化センター
舞台監督 竹原孝文/ユニオンステージカンパニー
照  明  中本勝之/未来工房
音  響  山口敏宏/SoundConcRete
字幕・舞台制作 楽戯舎

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3. 駱駝祥子の誕生と文豪老舎の死  稲田直樹
 1966年8月23日老舎67歳の時、北京の文芸界を震撼させる事件が起きた。紅衛兵が北京の孔子廟で、京劇の衣装や小道具を積み上げて火をつけ、老舎を始めとする文化人数十人をその周りに脆かせて殴打するという暴挙を行ったのである。頭部に傷を負った老舎は其のあと文連本部に連れ戻されたが、またそこで別動の紅衛兵に取り囲まれる。其のとき一人の女流作家が進み出て、「老舎は駱駝祥子の版権をアメリカに売ってアメリカのお金を受け取った」と告発した。攻撃の材料を得て勢いづいた紅衛兵が、老舎に激しい暴行を開始した。悪意の詰問と、理不尽な暴行に堪忍袋の緒を切らした老舎は、「反動権威」と書かれた胸のプラカードを外して足元に叩きつけたところ、紅衛兵の足にあたり、ますます騒ぎがエスカレートした。見かねた文連職員が割って入り、「反革命現行犯」として老舎を公安局の派出所に連れ去る。こうして虎口は脱したが、一貫して租国を愛し、革命に献身してきた老舎にとって、「反革命現行犯」とは耐え難い侮辱であったに違いない。当日夜になって連絡を受けた老舎夫人、胡緊(けい)青女史は、派出所へ老舎の身柄を引き取りに向かう。車は見つからず、歩き始めてから奇跡的に三輪の輪タクを見つけ、嫌がる車夫を拝み倒して派出所に駆けつけ、傷ついた老舎を自宅に連れ帰る。ようやく帰宅した時はもう8月24日になっていた。早朝老舎は可愛がっていた幼い孫娘に別れを告げて家を出て、再び帰ることなく、其の翌日郊外の太平湖で水死体で発見されたのである。
 老舎の死に関してはまだ謎も多く、一時は他殺説も取りざたされた。とりわけ日本での衝撃は大きく、井上靖、水上勉、有吉佐和子、開高健など老舎と交流のあった著名作家が、中国国内での沈黙とは対照的に、相次いで哀悼の文章や作品を発表した。死後12年の1978年になって、ようやく老舎の名誉は正式に回復され、政府による盛大な追悼式が行われた。その後遺族の舒乙氏(長男)、舒済さん(長女)の手で遺稿の整理も進み、1980年代に出た老舎文集16巻は大幅に増補され、新装の老舎全集19巻が1998年に刊行された。老舎生誕生百年に当たる1999年に北京灯市口西街にある老舎旧居が修復され、老舎記念館としてオープンした。修復に際しては中山時子御茶ノ水女子大学名誉教授の呼びかけで集められた日本からの寄付金が北京市に贈呈された。日中で老舎研究熱は衰えることなく続いており、中国では第三次国際会議が2003年に安徽師範大学で予定されているほか、日本でも毎年老舎研究会が開催され、研究発表が行われている。
中山時子名誉教授主導の「老舎を読む会」も50年来継続しており、現在も毎日曜日、中国人講師による講義が続いている。
 最近中国で異色ある業績として、老舎の死に関するインタビュー記録を収めた大変読み応えのある本が1999年と2001年に相次いで出版された。編者の博光明・鄭実夫妻は若手の文学研究者で、老舎の死の真相を徹底的に究明する目的で、数多い文人、事件関係者を精力的にインタビューした記録を集大成したもので、大変な労作である。第二冊目には事件に直接関係した元紅衛兵、元大学生とのインタビュー記録が収録されている。この二人とも中学高校時代から老舎を尊敬し、『駱駝祥子』を読んだと証言している事に、何ともやり切れない感じがする。
 老舎は1899年に北京で生まれ、苦学の後19歳で北京の師範学校を主席で卒業、小学校長をつとめ、視学官に昇進した。23歳で洗礼を受け、キリスト教会の夜学で英語を習得、其の時の英人教師の推薦で、25歳の時に渡英、ロンドン大学東方学院で中国語教師をつとめる傍ら小説を書き始めた。『ちゃお・つー・ゆえ』、『張さんの哲学』、『二馬』などの作品がこの時期に生まれた。31歳で帰国、翌年結婚。1934年山東大学で教鞭をとる。1936年に専業作家になる腹を固め、教職を辞し、其の年の夏に代表作『駱駝祥子』を書いた。或る山東大学の同僚教授が老舎宅に遊びに来て、北京の人力車夫の話になり、自前の車を持つ為に一生苦労して夢が叶わなかった車夫の話や、兵隊にさらわれて行ったが、しぶとく駱駝を三匹盗んで脱走して来た車夫の話をした。老舎はたちどころに「これを小説の種にしよう」と決心、早速人力車夫の生活や、駱駝の生態などを調べ上げて執筆を開始した。一生車を買えなかった車夫と、駱駝を失敬して来た車夫とは元来別人であったが、老舎の筆で一人の車夫に見事に合成された。1936年から文芸雑誌に掲載され、1939年に単行本で出版された。日本での翻訳はかなり迅速で、1943年に最初の日本語訳が新潮社から刊行されている。更に驚くべき事は、中山高志氏という医学博士(2001年没)が上海で医師の激務の傍ら『駱駝祥子』の翻訳に精魂を傾け、1941年に既に訳業を完了していた事である。中国での単行本刊行から僅か二年後の事である。博士の超人的な努力は、其の流麗で正確な訳文と共に驚嘆に値する。この翻訳は数奇な運命を経て、平成二年になってようやく出版され、今も書店で入手可能である。アメリカでは1945年に"RICKSHAW BOY"と題した英訳本が出版され、たちまちベストセラーになり、この英訳からの重訳で欧州各国語訳が出た。旧ソ連では日本並に数種類の訳本が出ている由である。かくて『駱駝祥子』は偶然の雑談をきっかけに誕生し、世界で愛読されるにいたったが、生みの親の老舎は、『祥子』誕生から30年後に、中国全土を蔽った狂気の嵐の中で理不尽な暴行を受けて傷を負い、老車夫の三輪車に乗せられて最後の帰宅をし、其のあと自ら命を絶ったのである。十年の、永きに及んだ「文化大革命」の幕開け早々の悲劇であった。
      (老舎研究会、老舎を読む会会員)

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4. 感 想
 京劇は初めて見ました。歌舞伎とオペラの両方と関係があるようです。役者の動作には、歩き方、みえに近い動作など、また劇は音楽で進み、舞台の向かって右の袖には楽団が控え台詞はほとんどが歌われます。
 内容としてはさすがに老舎の作品だけあって見応えのあるものでした。

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[Last Updated 11/30/2002]