「パリヴィジョン」にも「シチラマ」にもジヴェルニィ行にルーアン行を加えたコースがある。ルーアンの大聖堂へはモネが二度制作旅行をしている。
ルーアン滞在中にモネが二度目の妻アリスに書いた1892年4月3日付の手紙は何と感動的な手紙だろう。「ぼくは毎日描さ加える。そして、今まで見えなかった何かしらを不意に捉えることが出来たりする。本当に難しい。でも、うまくいっている。数日天気が続いてくれたら相当描けると思う。挫けそうだ。投げ出したくなる。夜中にうなされてしまった。大伽藍がぼくの上に崩れかかって来たのだ。それが青やピンクや黄色に見えた」。天候、時間によって変化しながら反射する太陽の光と影を追い求めた彼は、夜中までも悩まされなければならなかった。92年、93年と二回にわたって三十枚あまりの連作を大聖堂広場に面したアパートや事務所や店などを借りて、その窓から描き、ジヴェルニィで仕上げたといわれている。その内の五点がオルセイに並んでいて、光の変化による大聖堂の表情のちがいを堪能させてくれる。
ルーアンはジャンヌ・ダルクが火刑を受けたことで有名になったが、もともと中世以来栄えた古い町。劇作家コルネイユ、ボヴァリー夫人の作者フローベール誕生の地としても知られている。右岸の旧市街探索散歩も興味深く楽しいから、パリのサン・ラザール駅からルーアン行に乗って行くのもよいだろう。急行で約一時間、一日18本の列車が出ている。
(出典「パリ オルセ美術館と印象派の旅」丹尾安典 南川三治郎 佐々木三雄・綾子 熊瀬川紀共著 新潮社 とんぼの本)
[Last Updated 8/31/2002]