マイルズ・デイヴィス


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マイルズ・デイヴィス(1926〜1991)
イリノイ州生まれ。45年からトランペット奏者としてチャーリー・パーカーの許で演奏。48年にはギル・エヴァンズらの協力を得て作編曲重視の歴史的な9重奏団を結成。ハード・バップを経て、59年、モード・ジャズの傑作『カインド・オフ・ブルー』を生む。その後も電化サウンドを大胆に取り入れるなど、常にジャズの動向を牽引し、膨大なアルバムを残す。75年に引退するが、81年、劇的な復活を遂げた。

 どんな人生にも「失われた一日」がある。「これを境に自分の中で何かが変わってしまうことだろう。そしてたぶん、もう二度ともとの自分には戻れないだろう」と心に感じる日のことだ。
 その日は、ずいぶん長く街を歩きまわっていた。ひとつの通りから次の通りへと、ひとつの時刻から次の時刻へと。よく知っているはずの街なのに、それは見覚えのない街みたいに見えた。
 どこかに入って酒を一杯飲もうと思ったのは、あたりがすっかり暗くなってからだった。ウイスキーのオンザロックが飲みたかった。少し通りを歩いて、ジャズ・バーのような店をみつけ、ドアを開けて中に入った。カウンターとテーブルが三つほどの、細長い小さな店で、客の姿はない。ジャズがかかっている。
 カウンターのスツールに座って、バーボン・ウイスキーをダブルで頼んだ。そして、「自分の中で何かが変わってしまうことだろう。もう二度ともとの自分には戻れないだろう」と思った。ウイスキーを喉の奥に流し込みながら、そう思った。
「何か聴きたい音楽はありますか?」、少しあとで若いバーテンダーが僕の前にやってきて尋ねた。
 顔を上げて、それについて考えてみた。聴きたい音楽? そう言われてみると、たしかに何かが聴きたいような気もした。でもいったい僕は、ここでどんな音楽を聴けばいいのか? 僕は途方に暮れた。「『フォア・アンド・モア』」 と、少し考えてから言った。そのレコードの黒々とした陰鬱なジャケットが、最初に−とくに明確な理由もなく−頭にぽっと浮かんだのだ。
 バーテンダーはレコード棚からマイルズ・デイヴィスのそのレコードを取り出して、プレーヤーに載せてくれた。目の前に置かれたグラスと、その中の水を眺めながら、『フォア・アンド・モア』のA面を聴いた。それはまさに僕の求めていた音楽だった。今でもそう思う。そのときに聴くべき音楽は『フォア・アンド・モア』しかなかったんじゃないかと。
『フォア・アンド・モア』の中でのマイルズの演奏は、深く痛烈である。彼の設定したテンポは異様なばかりに速く、ほとんど喧嘩腰と言ってもいいくらいだ。トニー・ウィリアムズの刻む、白い三日月のように怜例なリズムを背後に受けながら、マイルズはその魔術の楔を、空間の目につく限りの隙間に容赦なくたたき込んでいく。彼は何も求めず、何も与えない。そこには求められるべき共感もなく、与えるべき癒しもない。そこにあるのは、純粋な意味でのひとつの「行為」だけだ。
「ウォーキン」を聴きながら(それはマイルズが録音した中ではいちばんハードで攻撃的な「ウォーキン」だ)、自分が今、身体の中に何の痛みも感じていないことを知った。少なくともしばらくのあいだ、マイルズがとり憑かれたようにそこで何かを切り裂いているあいだ、僕は無感覚でいられるのだ。ウイスキーをもう一杯頼んだ。
 ずいぶん昔の話だけれど。
(出典 ポートレイト・イン・ジャズ 和田誠 村上春樹 新潮社 1997.12.20)

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[Last Updated 3/31/2002]